第八幕

第1場 予兆を孕む夜に視た夢は

 目を開けようとしたわけではないのに、視界に景色が映っている。

 よく知っている、ここは、自分の寝室だ。

 就寝前に閉めることにしているカーテンが窓の端に寄せられていて、レース越しに庭園灯の光が差し込んでいる。ダマスク柄の繊細なレースは それを弱めているものの、常夜灯よりは明るく室内を照らしている。

 机の上に置いた読みかけの本。その横に置かれた小さなデスクライト。読書のための辞典。メモパッドと、鉛筆に消しゴム。

 椅子の背に掛けた、薄手で着回しやすいクリーム色のカーディガン。

 座面に畳んである、軽いのに暖かくて気に入っている、タータンチェック柄のブランケット。

 空になって置いたままのカップ。

 クローゼットの横に掛けた額縁のなかには、思い出深いパッチワークを飾ってある。それは、もし顔を近づけて注視したなら、幼い手の刺した針目が粗く、歪んでいると分かるだろう。

 収納庫として使っており、ほぼ甲板を開くことのないライティングビューローの天板に乗せた香りつきのプリザーブドフラワーからは、仄かな甘さが放たれている筈。心を安らがせる、優しい花の香り。

 ここは揺るぎない安息の場。

 幼少期から夜の眠りを静かに維持してきた、平和そのものの空間。

 絶対的な無防備を常と出来る居場所。

 なのに。

 夢うつつのなかにも不穏が漂っている。

 ──なに……?

 静寂しじまの中心に立つもの。

 目蓋が重い。

 背筋に冷たい戦慄と警告の震えが走っているのに、身体は鈍く緩み、再び眠りに落ちようとしている。

 人の形をした影が動いた。より、暗がりへ。漆黒に澱む、壁と壁の接する場へと。

 思考が溶けていて、理知も鈍重となっているのか、状況を理解できない。

 ただ、本能的な恐れが空気をも揺らす。

 ──どうして。

 黙って自分を見下ろすのか。

 なにか言ってくれれば。

 きっと、これほど怖くはないのに。

 ──夢の中でも こうなの?

 威迫。抑圧。劫脅きょうきょう

 頭の中でこだます悲痛な声。

『──お願い、結架を守って!』

 ──そう叫んだのは誰?

 お父さま?

 それとも、お母さま?

 甘やかな香りが強くなった。

 視界がもやで覆われていく。灰色に、闇色に沈んで。

 強烈な眠気に悪心が加わり。

「──おにいさま……」

 口内で呟きつつ、意識を失った。

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