第8場 魅了(6)
「驚いた。カルミレッリ、貴方、なかなか鋭いものね」
「もっと、お馬鹿だと思ってた?」
「ええ、もっと
カルミレッリは、とうに疑心を捨てている。マルガリータが本当は何を言おうとしたかなどに考えを巡らせることなく、彼女の言葉の表層だけを取り上げた。精神衛生上、まことに望ましい反応だろう。
「失礼いたします」
襖が開いて、菓子を運んできた都美子が入ってきた。重箱と似た菓子器の
「まあ、綺麗だこと……」
レーシェンが嬉しそうに、懐紙と黒文字を持ったまま、暫く菓子を見つめた。都美子の後から入ってきた女性が菓子鉢の横に濃茶を置く。
「思うんだけど、和菓子って、芸術よね」
向日葵に黒文字をぶっ刺したアンソニーが、やれやれ、と、首を振る。
しかし、沈黙したまま菓子を頬張った。限定品和菓子が付いてくるから、という理由で懐石風コースにすると即断した妻の、待ち望んでいた瞬間である。なるべく水を差したくなかった。
落雁、大福、餅、おはぎ、饅頭、かのこ、団子、きんつば、淡雪かん。銅鑼焼き、羊羹、善哉、あんみつ、甘納豆。そして──ねりきり。それらから派生する和菓子の名前も姿も性質も、レーシェンは熟知していた。日本贔屓と公言するだけあって、なかなかに、日本文化への造詣も深い。但し知識にも好みにも例外というものは有るものだ。流石に懐石料理の作法に関する脳内資料や塩辛への食欲は、持ち合わせていなかった。彼女曰く、納豆やくさやだって平気なのだから、そのへんの日本愛好家に負けはしない、なのだそうだが。
「それにしても、食べるのが惜しいわ」
溜息を吐いて、レーシェンが肩を落とす。五人の顔に幾通りかの表情が閃いた。
食べたいのに、食べられない、というのは結構つらいもので、希少価値の高い切手を平然と封筒に貼っている者の横に立っている蒐集家の気分……といえば解る人もいるだろうか。或いは、貴重な古文書を反故として割れ物を包むのに使っている人の傍に居合わせた歴史学者の心情……否、もっと有りそうな譬えで、豚肉をどうしても食べられない養豚家の気持ち、とするべきかもしれない。尤も、現実にそんな畜産家が存在するかは別であるが。
「食べちゃいなよ。放っといたら、いずれ腐るんだしさ」
レーシェンの思い煩いを一撃で破壊しておいて、カルミレッリは濃茶を一口飲むと、目を白黒させた。
「まあ……それも、そうね……」
軽く言い放ったカルミレッリに調子を崩したレーシェンは、結局、どこか腑に落ちない気がしつつも、菓子を口にした。頬を押さえながら、
「やっぱり、美味しい……」
うっとりと目を閉じて、程よい甘さを味わう。彼女は、あっという間に食べきった。
「ああ、旨かった!」
満足した食後の決まり文句を高らかに述べると、アンソニーは五人の顔を見回して、ごく小さな嘆息を
誰の胃袋も、ご満悦であることは間違いなかった。目も舌も楽しませてくれた食事だ。過不足も不満もない、最高の昼食だったといえる。それなのに、というより、だからこそ、皆は席を立とうとはしなかった。
沈黙を破ったのは、カルミレッリだった。
「……なんか、このまま昼寝しちゃいたいな」
六人全員、その無責任な独語に賛同の心を持ってしまって、ばつの悪い思いをした。それでも、何だか今の雰囲気を壊そうとすることこそ罪悪である気がするのだ。そして、一部の者は、そんな気持ちがあることに、驚きと羞恥心を抱く。
結架は自らを諫めようと努力した。余りにも気が合いすぎるということは、居心地が良すぎて、却って身の置き場に困ってしまう。いずれは必ず離れてしまうと判っているからこその辛さ。しかし、それを感じていたのは結架だけであったかもしれない。他の皆は、再会することがあると信じて疑わないのだから。
二度と会えない者たちを愛しいと思うことは、全く無益な蛮勇だと結架は思ってきた。だから、今までは、ずっと誰も愛さないよう気を配ってきたのだ。必要以上に親密な仲にならないように。なくてはならない存在と、意識しないように。
私的な会話を、関わりを、過度に持たないように。
けれど、今はこうして、共にいる喜びを分かち合っている。結架には、それを忌避せずにいる自分が不思議で仕方なかった。
何故、こんなにも近しくいられるのか。
一体、何が、自分をこんなにも大胆にさせるのか。
だが、それは間違っていた。過去として、この場面を見られたなら、彼女は間違いなく訂正しただろう。
この時点、この程度では、まだ大胆とは言えない、と。
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