第三幕

第1場 光明(1)

 不安を抱えたまま出かけた結架だったが、集一と対面して、彼の笑顔と謝意の言葉を前にすると、たちまち胸の中から雨雲は消え、輝く光で満ちた。無意識に唇はほころび、頬は曙に染まる。陽ざしに撫でられて開く、花弁の如く。

「お礼を申し上げるべきなのは、私のほうですわ。それに、あなたは救いをくださったのですもの。天使の騎士のように」

 集一の両目が見開かれた。

「でも、私は、お詫びをしなければならないですわね」

「え?」

「あなたに弾いてほしい曲があると仰せつかっておりましたのに、私、すっかり忘れてしまいました」

「ああ──」

 集一の笑顔が、さらに眩しさを増した。

「それなら、果たしてくださいましたよ。あなたは、ちゃんと弾いてくださいましたから。サティの歌曲を」

「え?」

「あの曲は、母の友人たちがよく演奏して聞かせてくれたので、迚も耳に残っているのです。ただ、曲名が言い出しにくいのですよ。おわかりでしょう」

 悪戯っぽく光る瞳で見つめられて、結架は上気した。

「とくに、日本語では、ね。あまりに有名すぎて、フランス語でも気安く口にしづらい」

 ──Je te veuxあなたが欲しい

 言葉を失っている結架を、集一は優しい笑い声で包んだ。抱きくるめるように。

「……お戯れが過ぎますわ」

 ついに、困りきった弱々しい声を絞り出した彼女に、途端に集一は真剣な表情を向ける。

「とんでもない。本気ですよ。だからこそ、気軽には言えません」

 その涼やかな声の調子に、結架は何かを思い出しかけるような感覚に襲われた。

 真摯な瞳。誠実な言葉。そして、時折に見せる真面目ぶったユーモア。

 快活で屈託のない、笑い声。

 正直に、率直でありながらも、配慮を怠らない話術。

 この感じを知っている。覚えている。

 そんなふうに思えてならない。

 集一は、結架の心の動きを知ってか知らずか、柔らかい語調で続けた。

「そんなわけで、忘れたふりをして、どう言って弾いていただこうか考えていたのですが、あなたは お聞きになる前に応えてくださった。あの紳士がサティの曲をご所望になった、そのおかげですね。あのかたは音楽の神だったのかもしれません」

 思わず結架は小さく笑ってしまう。

 深刻な考えを持つことは、集一の前では難しくなりつつあった。自然に明るい気持ちになり、幸福感に胸が躍りだす。

「神が、酒場に?」

 朗らかな笑い声を上げてユーモアに乗る結架に、集一が答える。

「陶酔を象徴する豊穣と葡萄酒の神ディオニューソスと、彼と対比されている、理性を象徴する神託と医術の太陽神アポローンの共通項こそ、音楽ですよ。

 情動であれ、理性であれ、音楽は心の波を昂らせたり、鎮めたりしますから。酒場に音楽が必要とされるのも、ごく自然なことでしょう」

 もっともな話だった。

「それもそうですわね。ただ、あのかたは、どちらかといえばアポローンに見えましたわ」

「アポローンは酒場に似つかわしくないと?」

 すると、結架は首を傾げた。

「アポローンも神々の一員ですもの。生命のもとである、ネクタールを常飲している筈ですわ」

「神々の生命のもと、神酒のことですね」

「ええ。考えてみれば、古代ギリシャの神々は、誰しも、酒類と酒宴に深い関わりがありますのね。ただ、私には、神という言葉が近寄りがたく厳かに感じられるのです。ギリシャ神話の神々は近しく感じますけれど。

 何故かしら。さきほど、あなたが音楽の神と仰ったとき、思い浮かんだのはアポローンではありませんでしたの」

 すると、集一は花弁を運ぶ爽やかな風を思わせる声で、結架の疑問を吹き晴らした。

「あなたと僕が接している音楽は、殆どが、キリスト教カトリックの教えを生活の根幹としている時代と国に形成されたものですからね。その文化を身につける上で、いつのまにか、唯一絶対の神が さまざまな顔を持つという教えに馴染みつつあるのでしょう。勿論、他宗教を否定するようなものではありませんが、宗教カンタータやモテットを学ぶと、あまりにも神という言葉に一つの印象が集中してしまうのだと思います。

 それに、多神教では神をゼーウスや天照大御神というように固有名詞で呼びます。ですからなおのこと、神という言葉がヤハウェであるという解釈に自然に流れる。

 僕は先程、意識的に多神教の感覚を思い浮かべながら音楽の神と言い表しましたが、あなたは無意識的に一神教の感覚で聞きとられた。僕も無意識の範疇では、一神教の感覚になるかもしれません」

 たしかに聖歌ばかりに触れていると、その成立を求めたキリスト教の感覚は、いつのまにか頭に染みついてくる。もしも結架が歌い手であったとしたら、それは顕著なものになっただろう。

 ラテン語でも、ドイツ語でも、有名な宗教音楽を歌ううえで、意味を無視することは出来ないからだ。

 ただ──それは、表だけを見ていた場合だ。

 音楽を教会に捧げるほかに愉しむことは罪とされた中世。

 そうしたことに反感を抱いたかもしれない音楽家たち。

 教皇やトルコの殺戮からお守りくださいと神に歌う、あのルターのコラールからとられたバッハの教会カンタータ。そのなかに、敬虔な魂を読み取ることは容易たやすい。しかし、その彼も、絶対の神と父と聖霊という揺るがぬ教えのなかにあってシュレンドリアンに刃向かうリースヒェン、という曲をも書いている。

 果たしてそれは、世俗の世界だけにとどまるものだろうか。

 一心不乱に神を信じ、人生すべてを捧げることを賛美し、やがてはルネッサンスと称して世俗にわきたつ。

 人間らしさを讃え、禁欲から解き放たれようとする。

 そのなかで、花開いていく美しさもあった。

 そして、ペストの流行、戦乱という、絶対神にすがりたくなるような災厄が続いてもいた。

 教皇が支援する画家が裸婦像を描くような時代。信仰が複雑さを抱えていた。

 これらを音楽史の視線で学んできた集一には、同じように、そうした文化と長いこと密接に対してきた筈の、きわめて清廉な結架が、神と聞いて一神教の考え方に沿った答えをしてきても、それほど不思議ではない。彼女には、十戒も七つの大罪も笑い飛ばしてしまいそうな母子相姦、浮気ばかりする最高神、徹底して復讐する嫉妬深い女神などといったギリシャ・ローマの神々より、無原罪の御宿りに崇拝と憧憬を抱くマリア信仰が似つかわしい。それらが、絶妙なバランスで混在している時代をこそ身近に学んできたとしても。

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