第1場 食卓の音楽家たち(4)

「さようでございます。このあたりの方言で、〝つまむ〟という意味の言葉でして。このラヴィオリの端をつまんでつくっておりますことから、そう呼ばれるようになったのだということです」

「あら、方言。ユイカは知っていた?」

「いいえ。私がつかうのは、〝prendereプレンデレ 〟だもの。取る、つかまえる、得る、食べる、意味を受けとる……いろいろな意味があるわ」

「いつも思うけど、フランス語と似ているようで、違うのよね。まあ、かなり似ていると言っていいけど。そういえば、日本も方言が多いと聞いたけど、ほんと?」

「ええ。北海道は開拓の影響で各地の方言が混ざっているそうですけど、東北から九州、沖縄まで、それぞれに方言の特色がありますよ」

「方言だと、共通語では理解できないものもありますね」

 鞍木と集一がそれぞれに答えた言葉に、マルガリータの手が一瞬、止まる。

「たとえば?」

「僕は一度、〝せこい〟と言われたけど、それって、どこかの地方では〝疲れた〟という意味らしいよ」

「おお。おれたちには、ケチとかズルいとかいう意味に聞こえるな」

「かなり違うのねぇ。同じ国なのに。統一されても、そういう違いは残ったままなのね、面白いわ」

「私も初めて聞いた表現だわ。本当、不思議ね」

 そんなことを話しているうちに、各自の皿は綺麗に空になった。

「さあ、つぎはフィナンツィエーラよ」

 ワインを味わいながら、マルガリータが楽しげに言う。

 さわやかな酸味のある香りが漂ってきた。

「お待たせいたしました。フィナンツィエーラでございます」

 給仕たちが四人の前に同時に皿を置く。酢とマルサーラ酒とポルチーニ茸の香りが混ざって、満腹に近くなっている男性陣の食欲もそそった。

「いい香りだわぁ」

 マルガリータの嘆声に、ほかの三人の同意を表す響きが重なる。

「発祥は発泡ワインで有名なアスティの近く、モンフェラートの丘に暮らす農民の料理なのよね」

「はい。ポルチーニ茸やトリュフ、肉などが材料に加わり、このような高級料理となったのは、イタリアが統一されて首都をトリーノと定めたころでございます。つまり、統一イタリア王国の誕生と、ほぼ同時期で」

 マルガリータの指がフォークをつまみ、鶏冠らしき塊をもちあげる。一口ぶんにカットされた小さな塊は、あっという間に彼女の喉を滑り落ちた。

「柔らかいわ……とろりとして……すごく美味しい」

「本当だ。硬そうに見えたのに」

「香りから思ったほどの酸味はなくて、とてもまろやかなのね。美味しいわ。マルガリータの選定眼力は流石ね」

「具材によって食感が違う。美味いな」

 スーゴ・ディ・カルネはデミグラスソースに近いソースだが、これはポルチーニ茸とブロード、マルサーラ酒などで薄められたのか、すこし白っぽく、とろりと柔らかい。

 鶏冠は形状から見ればわかるが、全体にソースの色がなじんでいて、どれが肉垂で どれが脳髄か、あるいは睾丸なのか、ひと目では判断がつかない。おっかなびっくりを隠して口に運ぶ集一と鞍木だったが、どれも独特の歯ごたえや風味がして、非常に美味だった。

「具材それぞれの下ごしらえで火の通り加減が調節されているからかしら。どれも柔らかくて、本当に美味しいわ」

 結架が最大級の感嘆をこめて言うと、給仕が誇らしげな笑みで応えた。

「ありがとうございます。普段は品書きの中にない料理なのですが、フランソワーズさまからのご所望を聞きました料理人が張りきりまして、サヴォイア家の七代目に当たるカルロ・アルベルト王陛下の料理番が残した調理法レシピと、統一イタリア初の首相カヴール閣下の御用達リストランテの調理法とを参考に、独自のフィナンツィエーラをお作りいたしました」

「まあ! 急なお願いだったのに、嬉しいわ。アマーリアの推薦に間違いはないわね」

「はい。プレッティ家とカヴァルリ家の皆さまには、長く当店をご愛顧いただいておりまして、ありがたいことです」

 つまり、マルガリータはカヴァルリ家と親しい知己である友人に、この店を紹介してもらったのだ。そして、かねてから食べてみたいと思っていた、この州の郷土料理を頼んでいたのである。

「でも、アマーリアさんはミラーノの方なのよね?」

「そうよ。でも、カヴァルリ家で暮らしていたこともあって、そのころに何かというと この店に来ていたの。忘れがたい店、だそうよ。トリーノに来るたびに、必ずここで食事をするそうだから」

「はい。数日前にも、お越しいただいたばかりです」

 すると、集一がナイフとフォークを止めた。

「……そういえば、ジャーコモが是非にと薦めてくれたトリーノの名店のなかに、ここの名前もあったような気がする」

「あら、そうなの? そういえば、シューイチは普段の食事は、どこで?」

 屈託ないマルガリータの質問に、なんの躊躇いもなく、すらすらと集一は答えてしまう。

「たいていは自炊しているよ。カヴァルリ家の紹介で、家具付き台所付きのアパートメントを借りているから」

「えっ、ホテルじゃないの?」

「休みの日も練習したい、リードを作りたい、気晴らしに料理したい、と、我儘を言ったら、用意してくれてね」

 はにかみながらの集一の言葉にマルガリータの目の奥が光ったような気がしたが、すぐに彼女は無邪気に笑った。

「ほんとに特別待遇ね! そこまで優遇されてる演奏家にお目にかかったのは初めてだわ」

「いや、カヴァルリ家の経営する幾つかの会社が所有していて、会議出張などで来た社員が使うための部屋らしいから、いつも一室か二室は空いているそうでね。そこまで特別扱いしてもらったわけじゃないと思うけど」

「そんな部屋で練習したいって言ったの? 大物ね」

 楽しげなマルガリータと対照的に、集一は慌てだした。

「日中は無人になるからね。ほら、会議で。ちゃんと時間は守っているよ。リードも、音がするような作業は夜には控えているから」

「慌てなくても、ユイカは呆れちゃいないわよ」

「えっ」

 異口同音に声を発したのち、二人は絶句して顔を見合わせた。

 本当に、マルガリータには、参ってしまう。

「やれやれ。フランソワーズさんは、容赦がありませんね」

 鞍木が苦笑したが、マルガリータは涼しい顔でワインを飲み干した。給仕も澄ました顔を崩さず、そのグラスにおかわりを注ぐ。

「だって、この二人ときたら、本当に焦れったいわ。いろいろと情報交換したいのでしょうに、ちっとも捗らないんだもの。ミスター・クラキ。そのうちユイカが外泊したとしても、知らぬ顔をして頂戴ね。居場所はお分かりになるでしょ」

「マルガリータっ」

 抑えつつも叫んだ二人に、彼女は にやりと笑った。

 窓の外のコンソラータ聖所記念堂も、なんだか今日は、明るく揺らめいて見えた。まるで、くすくす笑っているかのように。

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