第1場 食卓の音楽家たち(3)

「……日本でも、そういうのは、あるのかしら」

 すると、鞍木がこともなげに言った。

「私の知り合いで、いますよ。伊達だてさんと結婚して、生まれた娘に成実なるみと名づけた人が。伊達だて 政宗まさむねの親族で家臣の、伊達だて 成実しげさねという武将から命名したらしいです」

「どうして、その武将にあやかったのですか」

 話題につられて、つい日本語で話しかけてしまった集一に、鞍木も日本語で答える。

「豊臣 秀吉に、逆らっても逆らっても許されたのが伊達 政宗で、さらに政宗に逆らって許されたのが、この成実らしくてね。うまく世間を渡っていけるように、と」

 結架が英訳して伝えると、マルガリータは笑いをかみ殺すのに苦労した。

「すごい。好きになって肖りたい理由が、アマーリアより強烈だわね。逆らっても愛されるような人柄になれ、なんて。それとも、そういう上の者に恵まれるように願って、なのかしら。ヒデヨシって、たまに日本人から聞く名前だけど、なにをした偉人なの?」

「天下統一、つまり日本の統一ですね。それまでは完全にひとつの国ではなかったので。織田 信長が天下統一を目指し、その家臣だった豊臣 秀吉が成し遂げ、さらに家臣だった徳川 家康が盤石のものとしたんです」

 好きな話題で余裕が出てきたのか、鞍木は英語でも語りはじめた。マルガリータは、まったく知らない話でも興味深そうに聞いてくれるので、話し手としても盛り上がる。

 給仕がやってきて、グラスに水を注いだ。細かな泡がたって、かすかにガスの霧が浮く。

「権力者が土地をまとめて国を建てるのは、地球上の常ね。その土地の有力者が領主となり、さらに力の強い領主が君主となる。彼らの嗜好によって、芸術も影響を受けるものよね」

 さらに料理が運ばれてきて、ちょうど話に区切りをつけたマルガリータは言葉を止める。

前菜アンティパストの、インサラータ・ディ・トロータ・パターテ・エ・クレッショーネ・アッラ・ヴァルドスターナ。ヤマメとジャガイモ、クレソンのヴァルド風サラダでございます」

 イタリア語と英語での説明に、日本人三人が首を傾げる。

「ヴァルド風?」

 マルガリータが微笑んだ。

「このピエモンテ州でも西側の、フランスとの国境近くの地方よ」

「さようでございます。オリーブ油の生産がない地方ですので、クルミ油を使用いたしております。ソテーしたヤマメと、ゆでたジャガイモにバネットをのせまして、クレソンとクルミを散らしてございます」

 集一と鞍木が、さらに首を傾けた。

「バネットというのは?」

 給仕に尋ねると、流れるような説明が返ってきた。

「細かく刻みました ゆで卵に、白ワインのヴィネガーで柔らかくしたパン、それぞれ みじん切りにいたしましたタマネギとケイパー、キュウリのピクルス、アンチョビをクルミ油で混ぜ合わせまして、塩と胡椒で味を調えたものでございますよ。酸味と玉子のコクがアンチョビで深みを増して、ピクルスやケイパーの歯ごたえが引き立っております」

「美味しそうだわ」

「いただこう」

 それぞれがナイフとフォークを操って、料理を口に運ぶ。

 幸せそうなため息が、結架の喉を揺らした。

「美味しい……」

 三人ともが首肯して同意を示した。

 あっという間に皿が空になる。

「ほんと、玉子とアンチョビの濃さが、ヴィネガーとピクルスでスッキリするわ。美味しかった」

 マルガリータが満足の吐息とともに言うと、給仕が一礼してから皿を下げていく。そして、すぐに次の皿が運ばれてきた。一皿目プリーモ・ピアットの料理だ。

「プリーモ・ピアットは、ラヴィオーリ・デル・プリン・ディ・セイラス・エ・ビエートラ。セイラス・チーズとビエートラのプリンでございます。このあたりの山岳地方で見られるラヴィオリで、このあとのフィナンツィエーラのために、軽めの味わいにいたしております」

「へえ。ラヴィオリか」

 明るい声が踊ったのを聞いて、結架が嬉しげな鞍木に視線を向ける。

「お好きなメニューですものね。でも、これは中の具材がチーズとビートということだから、お肉ではないのかしら。よく見るのは牛のもも肉ですけれど。──変わっていますわね」

「さようでございますね。炙り肉アッロースト煮込み肉ブラザートの余りを使うのがよく知られておりますかと。こちらではセイラス・チーズとビエートラ、それから焼いて細かく砕いたヘーゼルナッツを組み合わせてございます。味と香りに強調点をつけるために、パルミジャーノも少々、加えてございますよ」

 熱々のラヴィオリを見つめながら、集一が問う。

「セイラス・チーズというのは? 牛乳のチーズではないのでしょうね」

「セイラス・チーズ自体は牛乳からもつくられておりますが、こちらの料理では、羊と山羊の混合乳のものを使用いたしております。

 セイラス・チーズというのは、そうした乳に塩を加えて絞り袋で脱水した、いわゆるリコッタ・チーズを、イラクサの葉に包んで熟成させたものでございますよ」

「イラクサの葉で包んで熟成?」

 鞍木が驚きの声を上げ、ラヴィオリ・プリンをしげしげと眺める。

「納豆の藁みたいだな」

 思わず集一と結架は笑ってしまった。マルガリータは、なんと納豆を知っているらしく、しかつめらしく頷いている。

 給仕が微笑んで、さらに詳しく説明をつけくわえる。

「こちらは、セイラス・チーズを細かく刻んで卵と混ぜ、柔らかくした状態にビエートラとパルミジャーノ、ヘーゼルナッツを和えて生地で包み、鶏からとったブロード──ブイヨンでございますね──と肉汁スーゴ・ディ・カルネというソースをバターでつないだものにからめてございます。タイムの香りをつけてございますので、味わいもより深くなっております」

 ラヴィオリをそっとすくいあげて口に運んだ結架が、満足げなため息をついた。

 三人も、それに続く。

「美味しい……。この、ビエートラとナッツが、もったりしたチーズと絡んで、ソースのなかでなんともいえない歯ごたえを主張するのね。でも、生地やソースとのバランスがいいわ」

「うん。具が肉じゃないから、思ったよりも あっさりしていて、食べやすい。ところで、さきほどプリンという単語を言っていましたね」

 ワイングラスにマルガリータの指定した『リゼルヴァ』を注いでいた給仕が、集一の声に一瞬だけ手を止める。

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