Vivacissimo smanioso
一人の人間の人生を『物語』と言い換えるならば、俺の物語が始まったのは、いつだったろう。
おそらく、それは一三歳のとき。親——と呼ぶほかない存在——が、二人同時に死んだ、あの夜だろう。
生まれた瞬間に始まるのは確かに人生であろうが、それはその人間の物語とは呼べまい。物語が始まる『そのとき』までの瞬間にあったものは、すべて、その下に敷かれた、設定に過ぎないのだから。
いうなれば、『人生』とは事実で、『物語』は真実だ。事実は共有できるが、真実は占有しかできない。その中心となって見ている者が違うのであれば、それは当然のことだ。価値観、認識、感覚において異なるのであれば。
そして、人はみな、物語を背負って生きている。わずか一日で終わるものがあれば、何十年も続くものもある。
終わっていたと思っていたが、実はまだ続いていた、というようなこともあるだろう。だが、長い物語が必ずしも大きいとは限らない。ささやかな物語が延々脈々と続いていることもあるのだ。そんなものは特に、誰かに〝引き継がれる〟ことが多い。
それはともかく、俺の人生に物語はふたつしかない。
普通なら数え切れないほどあってもおかしくないのだが、どうしても、それ以上あるとは思えないのだ。
物語は本人にしか紡げない。だから、本人にしか認識することができない。
始まりも終わりも、新しい始まりも、すべて独りのなかで生まれ、死ぬ。誰の手で変えられることもない。物語の作り手を阻むことはできようと、物語自体には触れられない。
そして、もうひとつ。
物語には必ず柱となるものが存在する。
始まりから、何度終わってまた始まろうと、決して途切れることなき柱が。
俺の物語の柱は、妹とその音楽でできている。ふたつの物語、どちらともが、そうだ。それは、妹が誰より美しく、また誰より才能豊かであるからだろう。あまりにも強烈に俺の物語を綴った本に印刷された、稀有な挿絵。
妹は、俺と同じく、生まれる前から、両親によって過剰とも思える音楽教育を施されている。しかし、俺とは比ぶべくもない『演奏家」だった。
わずか二歳で正しい音の高さを正確に記憶に焼きつけた彼女は、驚くべき集中力をも備えていた。ひとたびレッスンが始まれば、父が「もうこれまで」と言うまでは決して投げ出さず、飽きることもなかった。彼女は天成の音楽家であり、学生だった。あの幼さで、あれほどの訓練を熟したのであるから、そうとしか言えまい。
彼女の非凡さは、それだけではない。
不世出な鋭敏さが驚異的に速い読譜を可能とし、信じ難く器用な指廻りが幼い小さな手のハンディを払い退け、たった四歳にしてG・F・ハンドルの組曲を弾けるようになったのだ。恐ろしいほどの才能だった。
父は、俺と妹に音楽以外への興味など重んずるなと言い聞かせていた。音楽を介さなければ、美術写真集も地図帳も、国語辞典すら持たせたがらなかったほどだ。しかし、妹は音楽以外のものにも強い興味を示した。父の目を盗むこともなく、ごく自然に。ときには絵本を譜面台に広げてピアノを弾くこともあった。俺には不可解ですらあったが、父は妹のすることには必ず音楽的な意味があると信じていたようだった。だからこそ、俺には決して与えられることのなかった絵本を、彼女は持ち得たのだ。父はその信念を曲げられるほど妹の才能を愛し、その感性を信じきっていた。無邪気とも言えるほどに。
事実、父は彼女にだけは声を荒げなかった。ただ一度をのぞいて。
そして、妹が素晴らしければ素晴らしいほど、父の俺への罵言は氷の刃のように容赦なく、絶え間なく振り下ろされた。
「おまえは俺の遺伝子を劣化させている落ちこぼれ、恥曝しだ。おまえなど、いっそ譜めくりをさせるだけにしてしまおうか」
妹の暗譜力があれほどでなければ、それは現実になされたかもしれない。
ヴァイオリンの松脂によって生来から弱かった咽喉を痛め、人体の楽器である歌声を失くした俺は、父にとって壊れたも同様だった。それだけならまだしも、俺は父が望むほどの才能を示さなかった。ヴァイオリンやフルートは程なく上達し始めたのだが、ピアノだけは、どうしても巧くならなかったのだ。
ペダル操作、それにキーから指を離すタイミング、それが、どうしても合わない。特別な訓練をしていない人間には分かるまいが、音楽を真剣に学び、鍛錬した人間の耳には察知されてしまう。そのせいで、不協和音が生まれ、全体が濁ってしまう。父の耳はそれを絶対に許さない。どれほど練習を繰り返しても、何年取り組んでも、その点は改善されず、向上しなかった。
母親もピアニストでありながら、それでも未だにピアノは不得手である。
一〇歳の俺には、五歳になったばかりの妹が弾く伸びやかなクーラントや軽やかなジーグが、恐ろしくも羨ましく聴こえた。彼女の年齢で、一日に同じ間違いは一度しかしないということが、どれほど大変なことであっただろう。父のもとで急速に進歩していった妹の姿は、あるときまでは憎悪の対象であったが、ある日を境に誇りとなった。
そして俺は、妹を、父よりも母よりも、ほかの誰よりも愛している。演奏家として、そして父の生徒という立場として生まれる嫉妬心よりも、その美しい音楽と存在とで俺の心を慰め、救ってくれるという歓喜のほうが強かったのだ。
テクニックなどというものより、はるかに得がたい才能。父がそう言い表した彼女の音は、ピアノから生まれているとは思えないほど清らかで神々しく、天から降ってくるかの如く、どんなに小さい音でも、澄んだ、明確な響きを発した。
どれほど優秀なピアニストでも必ず苦労した『変化に富んでいる美しい音』を出すことも、妹にとってはなんの造作もないことだった。そしてその、モーツァルトを弾かせたら並ぶものがいない彼女の音が、あどけない無垢な微笑が、俺の心に芽吹く、汚らわしい嫉妬心など、いともたやすく刈り取ってしまったのである。
それに、父が妹にヴァイオリンやフルートを学ばせようとしなかったので、俺はそれらの演奏技術を少しでも高めることによって、劣等感を持ち続けずに済んだ。何故、妹にはピアノだけを演奏させたのか、それは解らなかったが、おそらく、問題は妹がひとつの楽器に専念していたことよりも、俺が多くの楽器を学んでいたことにあるのだ。
ピアノでも、ヴァイオリンでも飛び抜けた才能を示さなかった俺に、父がフルートを与えたのは、「これが駄目なら次は何をやらせようか」という考えだっただけで、俺に見込みがあったわけではない。それでも、妹には扱えない楽器を奏でられるという事実が、俺の自尊心を守ってくれたのだから、父には感謝するべきなのだろう。だが、彼が存在していたというだけで俺が自分の物語を生み出せずにいたことを思えば、感謝などという言葉からは程遠いこの感情を抱くことも、許されるのに違いない。
ただ、ひとつだけ、父の言葉に心底から同意できるものがある。
「生まれながらに純粋な天才は、呆れるほどに脆い。血を吐くような努力と縁遠いぶん、挫折の味に目覚めたときの落胆と絶望に精神が耐えられないのだ」
妹こそが、そうだった。
彼女の場合、挫折といっても、それは彼女の音楽的能力とは関係の薄いものだったが、なにしろ心が弱すぎた。天才にしては豪く謙虚で、つつしみぶかく、他者を批判的に見ることができない
かつて冷徹な父の心にすら、混じりけなしの喜びをもたらした彼女の音はひび割れ、美しい旋律は惨めにも外れ落ちた。それ以来、俺はその復旧にのみ、心を費やした。初めて自分に対して後悔し、妹を護りきれなかった償いとも言える、彼女の音楽を取り戻すことにだけ情熱を注いだのだ。
一年ほどかかって立ち直らせた後は、新たな楽器を得た妹が、それをピアノ同様に自分の身体の一部として弾けるよう、ともにイタリアにも行った。片時も離れずに、彼女を支えた。
妹こそ、世界の中心。俺の持つすべてだった。
ほかのなにを擲っても手放せない。大切な、唯一無二の存在。
俺の心を預けられる、俺が心を預かれる、ただひとりのひと。
そして、二九歳を迎えた、あの夏、俺の物語はすべての終末に向かって動き出した。
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