Largo affettuoso

 誰かがこんなことを言っていた。

「音楽の無上の価値を知り、それを忘れない者は、絶え間なく辛い人生においても揺るがず、ときに酷く打ちのめされても、立ち上がることを決して諦めたりはしない」

 僕は、この言葉を疑ったことがない。なぜなら、絶望的な経験のさなかにも、この言葉と、それを信じさせてくれた音楽があったからこそ、周囲のやさしさを見失わずに、苦境に負けない、立ち上がる勇気と自信を保てたのだから。

 音楽。

 それはきっと、僕の人生の中で、あらゆる事物と繋がっているものだろう。音楽と無関係な思い出など、いま、こうして記憶を辿っても、思い出せないのだから。

 母はアマチュア奏者だった。とはいえ、きちんと正規の音楽教育を受けた演奏家ではある。ただ、職業的なそれではないだけだ。それは、息子としての感情を抜いても、決して才能の欠如からではなかったと思う。この国には、プロの演奏家として活躍する場所が桁外れに少ないのだ。そして、海外で光り輝くことが容易でないほどに、現地で音楽家を志す者は少なくない。そのわりに、市場はそれを支えきれるほど広く、豊かであるとはいえないのだ。

 しかし、それは決して僕の音楽を究めようという想いを曲げさせない。

 初めて その楽器を目にしたのは、おそらく生まれて間もないころ。母の両手の中で鳴り響くさまだったろう。

 すらりと長く、艶やかな黒い管。その表面に複雑に繋がり、並んでいる、銀色をした円形や楕円、しずく型の金属。その外見に、僕はたちまち魅せられた。

 家にはピアノもあり、最初に母はそちらを勧めてきたけれど、規則正しく黒鍵と白鍵が並んだピアノより、しばらく見つめても、毎日眺めていたとしても、よほどの記憶力がなければまず憶えられない姿をしたオーボエの、その緻密な美しさに惹かれたのだ。滑らかな新幹線の車体より、複雑な仕組みで走る旧式の蒸気機関車に憧れるように。

 なにより、その音色はもの悲しく、うら寂しい、切なげな甘さにみちていて、どんな感情をも易々と表現できるように聞こえた。深い幽愁と悲哀を湛えていながら、えもいわれぬ華やかな音。心に染み入る、慈愛そのものの音。

 しかし、オーボエをやりたいと主張しはじめると、母は難色を示した。そして、学生時代の友人で、同じオーボエ専攻のプロ奏者に相談したという。この楽器のもたらす、あまりにも多くの気苦労や困難を身をもって知っていた母は、共通の知識と認識を持つ人物、それもそれから離れる日のない人物に息子の意欲を削ぐことに賛同してもらい、その罪悪感を少しでも軽くしたいと思っていたのに違いない。ところが、「実際に体験させてみなければ、子どもはなかなか納得しないだろうね」という言葉しか得られなかった母は、ますます悩むようになった。

 ただ、なんといっても僕は幼かった。

 そのうち忘れてくれるかもしれないと楽器を隠した母に、しかし僕は毎日、何度も問いかけた。「いつになったら、ぼくのオーボエをくれるの?」と。

 そう言い出して、いったい何日後のことだろうか。このときの記憶が妙に鮮烈に残っている。

「あなたには、まだ、とても難しい楽器なのよ」

 そう言い聞かせようとした母に、僕は従うまいとした。

「それなら、どうしてピアノはやってもいいの? オーボエより、ずっと、ずっと大きいんだよ。キーだって、いっぱいあるじゃない。ほら、真ん中に座ったら、端っこには手が届かないよ、見て」

 母は言葉につまり、しばらく思案した末に、強情な息子をキッチンに連れて行った。

 引き出しからプラスティックのストローを一本取り出し、僕の前に屈みこんだ母は、それを僕に咥えるようにと言った。意味はわからないながらも面白いと思ったのだったか、僕は素直にストローを唇に挟んだ。

 母は僕の咥えるストローの、反対側の先端に手のひらを近づけた。そして、言った。

「息を吹いてごらんなさい。思いきり強く、でも、できるだけ長いあいだ」

 僕はオーボエ欲しさに母に応じた。吹いてみろといわれて、どうやらこれがテストらしいと感づいたのだった。母はそんな僕の目をじっと覗きこみ、手のひらで僕の吹く息がストローの先から生む風を感じとっていた。

「……とてもいいわ。七秒も続いたわね。ではもう一度。同じように吹いてごらんなさい」

 得意顔で、大きく、そして深く息を吸いこみ、一度目よりも更に長く吹いてやろうと意気込んでいた僕は、しかし、二度目は三秒も吹くことが出来なかった。驚きに目を見開き、母を凝視すると、その指につままれたストローを見せられた。母の親指と人さし指で強く押しつぶされて、呼気の量が多ければ多いほど圧力のかかる度合いが高くなるストロー。当時の僕に理屈は解らなくても、そのせいで吹くのが苦しいのは分かる。

 なんて酷い意地悪をするのだろう。腹を立てた僕が抗議の声を上げる前に、母は口を開いた。その声は真摯で、息子を弄ぶような響きはいっさいない。

「どう? 最初に吹いたときよりも大変だったでしょう。でも、オーボエを吹くとね、今のように苦しいのよ。おもいきり強く吹かなければならないのに、その息が全部まっすぐに出て行かないで、押し戻されてしまうの。ちょうど、こうして細くつぶしたストローを吹くみたいに。

 今度は、これをごらんなさい」

 母が取り出した黒い箱には、オーボエの振動源である、魂ともいえる、『リード』が入っていた。

 それは西洋葦ケーンがコルクに覆われた真鍮の管に糸で巻きつけられているもので、コルクの部分をオーボエの上端の穴にさしこむ。リードなしにオーボエが音を生むことはない。そして、これの質の程度が演奏の成否、完成度に多大な影響を与える。どれほど優れた名演奏家であっても、リードの精度如何によっては、学校の部活動で楽器を吹きはじめたばかりの中学生の音並みにしか吹けなくなる、恐ろしいものなのだ。そして、作るのに大層な手間と集中力と時間を要する。それでいて必ずしも良いものが出来上がるとは限らない、とても貴重で大切なものである。

 母は、箱の中に敷いてある、黒いスポンジの上に綺麗に並べたリードを一本、注意深く取り上げると、僕の手のひらに乗せた。

 それまで、黄褐色のリードを唇に挟んで吹く母の姿は、それこそ毎日のように見ていたが、実際に現物を自分の手の中で見たことはなかった。とても壊れやすいから、という母の管理が厳しかったためだ。間違っても僕が触れることのないようにと、いつも、黒いリードケースは鍵をかけられるチェストの一番上の引き出しにしまわれていた。

 初めて手にしたリードの感触に興奮を抑えられずにいながら、僕は気がついた。リードの先端部分、唇に挟む二枚の西洋葦の形が、母の指で押しつぶされたストローの形とよく似ていることに。

「……これはね、ストローと違って、すぐに壊れてしまうの。舌や歯でつついてしまっただけで駄目になってしまうこともあるし、どんなに大切に使っていても、いつかは必ず割れてしまうわ。でも、少しでも割れたり、欠けたりしたら、もう使えないのよ。だから、どうしても、たくさん自分で作っておかないといけないわ。もちろん、お店で買ってくることもできるけれど、自分にいちばん合うものは、自分で作らなければならないから」

 〝自分で作る〟という言葉に内心では駆り立てられた僕だったが、母の真剣な表情と声色に圧されて、これ以上、駄々をこねるのはやめた。

「それから、やっぱりオーボエは今のあなたには重たすぎるわ。ピアノは置いてあるものをただ弾けば良いけれど、オーボエはずっと持って、支えていなければならないの。右手の親指でね。息が苦しい上に、指と腕が痛くなるわよ。だから、あなたがもっと大きくなるまで待ちなさい」

 まだ幼い子どもだった僕に、よくこれほど細かい説明をしたものだ。それでも、次の僕の質問には、さすがの母もお手上げとなった。

「じゃあ、大きくなったら、ぜんぜん苦しくない? 痛くなったりしないんだね」

 そんなことはない。

 この苦痛には、慣れることはあっても熟れることはないのだ。肉体的にとても無理な吹き方をしなければならない楽器であることは変わらず、大人になっても負担は決して軽くはならない。苦痛に対する免疫、つまり忍耐力が養われることはあっても。

 それならば、本人がこれほど強く望んでいる気持ちを無理矢理に抑えつけることもないではないか。第一、もし、それほどのものでなければ、今でなくとも諦めさせることは容易い。

 そうして僕はリードを一本もらい、その一ヶ月後にオーボエを持つことを許された。

 以来、およそ十数年。反対されればされるほど燃え上がるという、この天邪鬼な性格のおかげもあって、どんなに辛く、苦しくとも、オーボエを手にしない日は1日たりとなかった。

 はじめはすべてのキーに指が届かず、出せない音の方が出せる音よりも多かったけれども、成長していくにつれて音域はどんどん広がっていったし、いま出せる音をどれだけ綺麗に吹けるか、どれだけ自然な強弱を美しく表現できるか、それらを追求するロングトーンの繰りかえしだけでも、僕には楽しかった。

 楽器の重みで指と腕がすぐに痛くなり、長時間は続けて練習できないかわりに、単調なレッスンにも飽きず、絶えず熱意を持ち続けた。

 プロ奏者になって、大勢の人と音楽を分かち合いたいという夢を持つようになってからは、ますます練習にも熱が入った。その難易度も、それにしたがって上がっていった。

 どうすれば、素晴らしい演奏ができるか。

 どうすれば、聴いてくれる人々の、心の奥深くまで届く音を生めるか。

 現在にも続いている音の追求は、その頃から始まっていた。

 美しい音。

 高く、柔らかく、朗々と響きわたる音。

 低く、しかし濁らず、透きとおった音。

 小さくとも、通る音……。

 オーボエにとって身をよじるほど難しい数々の音を出す訓練は、いま思い返しても、まさに壮絶というほかない。そもそも、玩具のチャルメラのような音に聴こえればまだ良いほうだったというくらい、初期の僕の音はひどい響きをしていた。それを矯正するのに一日合計およそ三時間、吹かなければならなかったという。まだ五歳になる前の幼児がである。そして、たったひとつの音を出すのに丸一日、費やしたこともある。

 父に音楽の道を反対され、それを見返そうと名声を追うようになってしまった時期は、とくに辛かった。ただでさえ過酷な練習時間に加えて精神的な圧力がかかり、殆どノイローゼのような状態になっていたのだ。

 そのために学校の授業はおろか、ほかの何もかもを投げ出したくなったときもあったけれど、それでは本当の意味で何にも邪魔されずに音楽に没頭することはできないのだと気づかされ、僕は、僕自身の夢に追い迫られるような日々から解放された。勿論、それは自分ひとりの力で得たものではなかったが、僕が挫折を免れたのは確かだ。さまざまな分野の知識や経験が音楽の表現に必要となることも多いのだと知ったのも、周囲の人々のあたたかな眼差しがそばにあるのだと実感したのも。

 だからこそ、強く思う。

 そのとき僕は、あの言葉のとおり、立ち上がることを諦めなかったのだ。音楽は僕の人生を困難にしたかもしれないが、それだけではない。誰より僕を幸福にしてくれるものだから、それをしてほかの誰かを幸せな気持ちにさせたいと思ったのだ。

 この一本の笛が、僕の存在を確たるものとし、願いを叶える。そう信じることで、僕はオーボエ——音楽をすることで生じるさまざまな苦難や試練のすべて——と対峙し、何度倒れても再起した。

 そして、二三歳のあの夏、僕の物語は新しく始まった。

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