第2場 帰来を待ちわびていたことに気づく心(3)

 しばらくして身を離した彼が胸ポケットから取り出した小さな袋から現れたものを見て、マルガリータは、どちらかというと身を退かせた。

「えっ、えーっ……ずっと持っていたわけ? これ」

 すると、フェゼリーゴは微かに苦笑をこぼす。

「ああ。我ながら、女々しいことにね。ポケットに入れておくようにしたのは最近だが」

「意外。とっくに手離したんだと思ってたわ」

「そう出来ていたら、君のことも忘れられたかもしれない」

「持っていてくれて、ありがとう」

「新しいもののほうが相応しいかとは思うが」

「いいえ。これがいいわ。気に入ってるの」

 そんな会話が交わせることを楽しく思いながらも、彼女は表情を引き締めた。

「ねえ、リーゴ。きっと、わたしたち、皆を心配させてきたのよね。レーシェンやアンソニーは、より一層」

「ああ、そうだな。気を遣わせてきただろう」

「なにか考えないとね。お礼とお詫びの気持ちを伝えられるように」

 頷いて、近いうちに食事会を開いて招待しようという彼の提案に、マルガリータは同意した。ここで共演している仲間たちでは、結架と集一には同じように何か感謝を伝えるべきだろう。ただ、不和となってからも同じ楽団員として見守ってきてくれたレーシェンとアンソニーたちには、長く心配をかけたのだ。報告も兼ねて、感謝の会を開こう。

 ふたりは真剣に計画を語り合いながら、待っている人々のもとに戻った。

 小宴会場の扉をフェゼリーゴが開けると、いっせいに視線が注がれた。

 戻ってきた二人は無表情で、誰もが不安げに見つめる。

「待たせてごめんなさい」

 マルガリータは神妙な顔をして、それから、

「──婚約したわ!」

 レーシェンとアンソニーには見覚えのある指輪を填めた指を皆に見せ、明るく宣言する。

 わっと歓声が上がった。

「おめでとう!」

「おめでとう、ふたりとも!」

 口々に皆がグラスを掲げて祝福し、拍手をして迎える。

 目を潤ませたレーシェンが近づいてきて、マルガリータは彼女を抱き寄せた。

「ずっと見守っていてくれて、ありがとう。ごめんね、心配かけて」

「いいの。ほんとに良かった。ユイカとシューイチが動いてくれなかったら、わたしは諦めそうだったわ」

「でも、ふたりと一緒に、わたしを応援してくれていたでしょう。貴女が気を遣ってくれていたから、今日があるのよ。感謝してる。ありがとう」

「マルゴ……」

 抱き合うマルガリータとレーシェンの横で、彼女たちのパートナーであるフェゼリーゴとアンソニーも、同じように感謝と労いの会話を交わした。

「そういえば、シューイチ」

 マルガリータが不意に真面目な声を出した。

「本当に、この時計を、わたしたちに譲ってくれるの?」

 その問いに、あっさりと集一は首を縦に振る。

「うん。譲るというか、返そうと思っているんだけど」

「それは無償で、ってこと?」

「勿論そうだね」

 事も無げに頷いた彼を、マルガリータは呆れ顔で見つめた。

「それはちょっと……。この時計、実は、結構、高価なのよ。小さいけど、宝石も、あちこちに使われてるから」

 しかし、集一としては、フェゼリーゴからもマルガリータからも、金銭を貰う気持ちにはなれない。

「フェゼリーゴにも同じことを言われたけどね。でも、この時計は購入したわけじゃなくて、戴きものだから。元手がかかっていないのに、代価を払ってもらうのは、おかしいだろう。

 日本からの輸送についても、僕が他に頼んだもののついでとして持ってきてもらっただけで、特別に費用はかけてないから。

 まあ、祝いの品が偶然に戻ってきたと思ってくれれば、嬉しいよ」

 婚約者たちは顔を見合わせ、暫く無言の会話を交わす。

 実は頑固者の集一が、こうして皆の前で宣言するくらいだ。何をどうやっても、撤回させることは無理だろう。にこにこと笑みを浮かべているのに、決して譲らない。楽曲の演奏速度でフェゼリーゴの意見を全て退けたときのように、先回りした説明の言葉も用いて、朗らかに。

 ここは彼の好意を素直に受け、その顔を立てるべきだろうと、二人は判断した。

「随分と幸運な偶然ね。でも、ありがとう、シューイチ。とても嬉しいわ」

「そうだね。これがここにあることで、わたしは勇気づけられた。本当に、ありがとう、シューイチ」

「どういたしまして」

 そこに、グラスをいくつも載せたトレーを手にしたカルミレッリが満面の笑顔で近づいてきて、銘銘めいめいにそれを手にするよう、促す。

「さあさあ! お祝いも重なって、まっこと、目出度めでたいね! まだ日が高いけど、皆でもう一度、乾杯して、めぇいっぱい飲もうよ! はい、マルガリータとフェゼリーゴ、きみたちの門出を祝うんだから、まん中に立って!」

 赤らんだ頬を見て、レーシェンが眉をしかめた。

「ちょっと、カルミレッリ。あなた、酔ってない?」

「えー、ぼく、ちゃんとリモナータかミント水しか飲まないようにしてたもん! 酔ってるわけないよ! 嬉しくて、興奮してるだけだよぉおーだっ」

 それにしては陽気さが度を越しているようにも見えたが、確かに彼が酒類を口にしている現場を押さえた者はいない。信じきれない様子でいながらも、レーシェンは引きさがった。

「ねぇえーっ、誰か、カメラ持ってなぁいぃ? 写真、撮ろーよぉ、しゃしんーっ!」

「本当に、なんだか酔ってるようだな」

「幸せに酔う二人に当てられたのかね」

「そりゃ、そうかもしれんな」

 ヴィオラ三人衆の会話が耳に入ってきた集一と結架は、思わず小さな笑いをもらした。同時に聞こえた忍び笑いの声に顔を見合わせる。そして、二人は微笑みを交わしながら、互いの指を優しく絡めた。

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