第3場 妖精の女王マブが欲しがるものは(4)
愛らしい口もとに微笑を浮かべて、ぐっすりと眠っている結架の姿を見た鞍木は絶句したようだった。
「……
「ええ、まあ。熱はなく、呼吸も脈拍も安定していて、ただ、深く眠っているようにしか見えませんが……」
鞍木は脱力し、先ほど集一が座っていた椅子に身を沈めた。
「おれにも、気持ちよさそうに眠っているようにしか見えない」
「そうですね。声をかけても目を覚まさなくて」
すると、鞍木は集一を凝視した。
数秒間、黙って見つめてくる視線は何かを探りつつ思案しているようで、集一は彼が言葉を発するのを待った。
やがて、
「……君、今晩くらい、禁欲できるだろう?」
「は……っ!?」
一瞬、何を言われたのか、理解できなかった。
鞍木は大真面目で訊いてくる。
「出来ないのか?」
「出来ますよ」
つい、即答してしまった。
鞍木が満足げに頷く。
「うん。じゃあ、結架くんのことは任せるんで、宜しく頼む。もう遅いから、眠っている結架くんを外に連れ出すわけにはいかないからね。ああ、そういえば、ベッドはこれひとつか?」
「……ええ」
困惑を隠せずに、しかし正直に答える。
「ふうん。まあ、仕方ないな。クイーンサイズくらいはありそうだから、一緒に眠っても問題ないだろう」
「いや、問題あるでしょう」
「だって禁欲できるんだろう?」
珍しく集一は苛立ちを見せた。額に手を当てて、
「そういう問題じゃなく、結架が驚くでしょう。第一、同意も得ずに女性と
強く反論したものの。
「君たちは職業演奏家で、明日は
却下されてしまった。
そもそも、この部屋にソファはないのだが。
「床で結構です」
「
鞍木は厳しい視線を向けてきた。
「そんなことしてみろ。結架くんが、少なくとも数日間は酷く落ちこむぞ。彼女は君と同じベッドで寝たからといって気分を害すことは絶対に無い。それに、万が一、夜中に急変して具合が悪くなったら、すぐに気づけるだろう。危機管理だと思いたまえ」
そこまで言われると、もう、どうにも抵抗しきれない。
「……わかりました……」
「よし。じゃあ、おれは帰るから」
「はい!?」
あまりの発言に、流石の集一も目を剥く。
いくらなんでも、それはない。
徹夜してでも集一が結架に害をなさないか見張るくらいの気構えを見せて然るべきだ。
しかし、鞍木は悠然としている。
「君たちと三人で川の字で寝るなんて、御免こうむるよ。それに、おれは君を信用しているから」
「あまり嬉しくありませんね」
集一の苦りきった渋い表情に、鞍木は飄々と応える。
「何事も経験だ。野暮なことは訊かないから。とりあえず、堂々として、体調を心配する態度でいれば、結架くんは深く考えないだろう。だから、明日の朝のことを心配するのは止めて、君も休むんだな」
諦めに到達し、大きく深い溜め息を放って、集一は肩を落とした。
「その予想が外れてしまったら、証言して擁護してくださいね。結架に厭われるのは真っ平ごめんです」
鞍木が噴き出した。
「まあ絶対にないだろうけど、君の不安も尤もだな。請け合うよ」
それから鞍木は、さらさらとメモに何かを書きつけて、結架が目を覚ましたらそれを渡すようにということと、何か異常が起きたら夜中でも携帯電話に連絡してくれて構わないということを告げてから、何故か軽快な足取りで明るく去って行った。
どっと疲れた集一は、もう眠ってしまいたいとも思ったが、心を落ちつかせるために、バスタブに湯を張って少しでも身体を労わることにした。湯が溜まるのを待つ間に、食器や調理器具を洗う。そのあと結架が眠りつづけているのを確認し、浴室に籠った。
ベッドでは、相変わらず健やかな寝息を立てて、天使が眠っている。柔らかいサマーニットのワンピースを着ているので、寝苦しさはないだろう。ただ、同じ生地で出来た腰のベルトだけ解いて外した。それでも起きない。
「……ああ、参ったな」
少し空間をあけて、隣に身を横たえる。すぐ横にいるのは天使だ。そう念じながら、布団を被った。だいぶ慣れてきたベッドが知らない寝床に思えて安らげない。おまけに、寝返りをうつだけで至近距離から馥郁とした甘い香りが漂ってきて、集一の理性を試す。
危うく声を上げそうになったが、なんとか
漸く眠れたのは、数時間が経ってから。
気疲れが限界に達した頃だった。
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