第1場 序曲——邂逅 ④

 ドメーニコ会は、信仰を賛美するあまりに贅沢な生活におぼれた聖職者へ反発を強めていったカタリ派に対して、異端に対抗するには同じほどに福音に従うべきだと托鉢を始め、異端改宗において貢献したが、フランチェスコ会のほうは厳格主義派スピリトゥアーリを主流に清貧理念の実践徹底を唱えて、あまりに厳守を唱えたことから、ときには教皇権力と衝突することもあった。

「それじゃあ、ふたつの修道会は対立していたのか? どちらも托鉢修道会に属していたんだろう」

 得心がいかない、という響きをした鞍木の声に、結架は二、三度、大きく瞬きした。

「たしかに、両者は同じ托鉢修道会でありながら、そもそも結成への流れから、かなり大きな違いを見せているわ。フィレンツェのスペイン人礼拝堂に描かれた壁画にも、その関係を表しているような——寓意的な——ものが窺えるし、聖フランチェスコ会に、異端と接触があったというし……」

 結架の肩の上で、彼女の亜麻色の髪が揺れた。さらさらと音が聴こえてきそうな艶やかさだ。風に舞いあげられ陽光を浴びた髪が、黄金色に反射する。

「でも、私は……対立といっても……完全に敵対していたわけではないと思っているの。

 ドメーニコ会は異端の摘発と修正を目的として設立されたようなものの修道会だけれど、フランチェスコ会はキリストの説く本来の精神で生きようと訴えたのが始まりで、当初から修道会という組織を創ろうとしたわけではないのよ。聖ドメーニコは、聖フランチェスコと違って司祭職にあったことも大きいわ。

 聖フランチェスコは少年時代にサン・ジョルジョ教会でラテン語を修めているけれど、敢えて聖職者が説法する時の言語であるラテン語ではなく、教養など深める余裕などない低い身分の民にも理解できるよう、イタリア語で福音を説いたそうよ。

 貧困や病人を差別してはならない。富に溺れてはならない、と。

 一般の信徒と聖職者とが変わらずに質素倹約と慈善に尽くすように。キリストと同じ生きかたを、それから、殉教をも尊ぶように。人間だけではなく、小鳥や兎、魚、狼にも」

「魚や狼?」

 鞍木が瞠目して聞きかえしたので、結架は言葉を切り、笑みを浮かべた。裕福に育ったフランチェスコが、いかに人々から奇人扱いされたことか、彼は理解し、かつ納得した。けれども結架の笑顔は慎ましくも寛容をあらわしている。彼女には聖フランチェスコの思想が不自然ではないのだろう。

「いきものはすべて神の子であり、兄弟姉妹なのだということね。狼を噛みつかないよう説得し、改心させたこともあるのですって。

 土地や金銭も、家も、革のベルトも、本や知識さえも所有すべきでない。持つべきは、愛と平和のみである。

 清貧であれ。貞潔であれ。

 それは、さらに七世紀前に共住修道生活の——つまり、厳格な規律とその生活の礎ね——それらを定めた、聖ベネデットの修道会と相似する部分を持つそうだから——聖ベネデットは労働を重んじていて托鉢をしないけれど——単に、両者の精神が時間と目的の隔たりを持っていたというだけのことだと思うわ。

 フランチェスコ会は異端宗派の信徒にも、破戒僧にも、その改心には強く干渉しなかったから。聖フランチェスコは、身近な賛同者だけで活動できれば、それで良かったのかもしれないわね。真の教えは、強制せずとも広まる、と」

 聖ベネデットとはヌルシア生まれの聖人で、西方教会において修道制度の創設者であるとされる聖人ベネディクトゥスである。五二九年ごろ、モンテ=カッシーノに修道院を設けた彼の定めた戒律は、その後の修道会には原典といえるようになる。

 聖ベネデットのベネディクト会は、「祈り、かつ働けora et labora」を標語に活動していたので、日に五時間ほどの祈りと七時間ほどの労働に従事して自給自足し、貧しい信者に施すためにも蓄えをしていた。次第にその広大な土地と商売での過大な利益から堕落が目立っていった……。やがてフランチェスコ会とドメーニコ会の拡大によって衰退は決定的となる。

 神聖なカトリック教会が権力や讃美に溺れて、汚職や散財など、神聖さの威を隠さないようになると、反発した信者たちのなかから聖書の実践を拠りどころに民衆運動を進める指導者が現れるものだ。フランチェスコ会だけでなく、異端諸派といえども、はじまりは そうしたものだった。

 世界を悪として繁栄を禁じ、その結果たる肉食をも禁じたカタリ派もそうだ。

 日常的に安易な誓いを立てるのは濫用であり無責任だとし、神と人との仲立ちという聖職者を認めず、この世こそ闇で悪だと説いた。一切の所有を求めるべきでなく、霊体である魂のみが不滅で輝かしく、尊いものであって、肉体は穢れている。だからして、神は肉体を持たない。イエスも清らかな魂で人々を導くのだから、彼の血肉であるというワインもパンも、十字架も、それらを用いる秘蹟も、ただ教会の権威と金庫を潤すだけのものにすぎない。免罪符など買わなくとも、ひとりひとりの魂は神と結びつき、赦しは得られる。

 カタリ派は、ある意味では過激ともいえる極端な思想に染まりすぎて破門されたのだが、一〇二二年に初めて信徒が処刑されてから、教皇庁がフランス国王と一二〇九年に編成したアルビジョア十字軍が多少の成果をあげたものの、一二四四年に最後の砦モンセギュールを陥落させられるまで、脈々と活動していた。その後も衰えは見せつつ消滅はせず、フランス南部とイタリア北部を中心に続いていたが、一三二一年に当時唯一の完徳者として説法していた指導者ギョーム・ベリパストが捕らえられ、一三三〇年を過ぎて、ようやく異端審問所の資料からカタリ派の名が消えていった。信徒たちは指導者を失い、離散したという。

 ドメーニコ会は彼らの改宗を働きかけるためにこそ、修道をもってカタリ派の教義に対抗した。

 フランチェスコ会は彼らに干渉せず、「小さき兄弟会」と名乗って東方への宣教に力を入れた。

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