第2場 生きる苦悩、生かす渇望(1)
身体の傷が快復していけばいくほど、皮肉にも悪夢を視ることも増えていっていて、
流石に結架の意識が戻ってからは集一が病室に留まることは控えるよう病院側からやんわりと要請されてしまったのだが、その不安定な精神状態を診た精神科医が「もう暫く、特に夜間に独りにしないほうが良いでしょう」と言ってくれたお陰で、まだ常に傍にいられている。
もともと睡眠時間がそう長くはない集一にとっては、夜中、魘される結架の苦しむ声に目を覚まして彼女を安らがせること自体は、
忘れてしまいたいと願うほど酷い状況を繰り返し追体験してしまう。それが、どれほど身心を疲弊させてしまうか。
深い眠りを保つ薬を処方したとしても、それが必ず役立つとは限らないと言われたように。本人の制御が及ばない些細な刺激で思い起こしてしまう忌まわしい記憶が、結架を、そして集一を繰り返し苦しめた。
「ごめんなさい……」
鮮やかな記憶による狂乱から現実に戻ってくると、集一の腕の中で憔悴しつつ何度も謝罪する結架が。目を離したら、また自らを消し去ろうとしてしまいそうで。それが恐ろしくて、たまらない。
結架が目覚めてからのほうが、集一の食欲が落ちている。
それを察して、日中は弦子が長く留まっていた。
鞍木が退院後に結架を住まわせる場所を探し、候補となる物件の資料を持って病院に来ると、集一は病室から出る。そのときだけ、母に結架を任せて。
しかし、結局、鞍木はまだ結架と対面していない。
結架の意識が戻った日は彼女が眠っていたときに訪れた彼は、そのまま寝顔だけを見て、起こさずに帰っていった。その後、眠りから覚めた結架に集一が鞍木のことを話すと。彼女は、会いたいとも会いたくないとも口にしなかった。ただ、鞍木が訪れるときには、集一に傍に居てほしいとだけ述べた。
自分を穢らわしいと思ってしまうのに、変わらず愛していると存在を望まれることは、本来なら喜ばしいことなのだろう。
それでも、だからこそ、結架は苦しかった。
自分に非があるわけではないと理性は告げる。けれど、心は そのように明瞭になれない。どうしようもなく申し訳ない思いと消えてしまいたい気持ちが渦を巻いて、終わりのない苦衷から出られなくなりそうになる。
何より、そのときのことを憶えていないということが、恐怖をも掻き立てた。
──練習も本番も、千秋楽も。
集一とだけ、分かち合うつもりでいたのに。
覚えていない。
けれど変わってしまった。
集一を心から深く愛することは決して揺るぎないのに、だからこそ、今の自分の存在そのものが汚辱に染まり、穢らわしく悍ましい。実兄と関係した女。自衛に失敗して貞潔を守れなかった、集一には不適格な人間。
その考えが消えない。
──純潔を奪われた
裏切ろうとしたわけではないとしても。
望んで明け渡してなどいなくとも。
──もう隣に立つべきではないのに。
それでも集一は結架を手離そうとしない。
隣に立つのが辛く感じてしまうことも惨めで。
苦しい思考に苛まれ、自分自身を受け容れられない。
優しく話しかけてくれる弦子の気遣いさえ、受けるのが心苦しい。
だから両目を閉じて眠ろうとする。
そうすれば、彼女は微笑んで、安眠を守ろうとまでしてくれるのだ。
独りになることも、誰かが傍にいてくれるのも、どちらも、同じほどに辛い。
呼吸を控えなくては嗚咽を堪えられなくなりそうで、必死に息を抑えていると。
ふわり。と、
思わず瞼を開いた。
「ごめんなさいね、結架さん。起こしてしまったわね」
何も考えずに縋って泣きたくなるほどに柔らかな声。
「いいえ……」
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