第9場 心の扉(2)
どうだろう、と、集一は思った。
たしかに好意を無防備に見せてくるようにはなった。しかし、それも二人きりのときだけである。
彼女の不安、憂慮、苦悩を、集一は、まだ知らない。
「……完全に、ではないと思いますが」
すると、マルガリータは、今度は声を上げて笑った。
「それは、そうよ。完全に心を開くなんて、まず、あり得ないわ。わたしだって、そうだもの。ところで、また堅苦しい話しぶりね。わたしに対して儀礼を重んじる必要はないわ。すくなくとも、内輪の場においての貴方はね」
集一の表情に、困ったような笑みが広がる。
「昨日、ユイカが言っていたわ。昔、ピアノから逃げだして、二度と弾かないと決めていたけれど、貴方の力になれると思ったら嬉しくて、どうしても弾きたくなってしまった、って。同じことが今夜また起きても、きっとピアノを弾くだろう。誰よりも大切な人を、なんとしても
皆の前で、そう言ったの。
貴方も、ユイカだから、頼んでしまいたい気持ちを抑えられなかったんじゃないの?」
「……お見通しだね」
「そうよ。それに、貴方は逃げなかったわ。ユイカを護ることから逃げださなかった。それで、あれほどまでに動揺した理由を、彼女は貴方には話したの?」
集一の顔面が強張った。
幼いころから感情を表面に出さない訓練を受けてきて、近年では滅多にそれを乱さなかったが、このときは、抑制できなかった。
──結架の動揺。
騒ぎを起こしてしまったからというだけでは説明しきれないほどの怯え。
「いや、なにを恐れているのかについては、なにも」
結架は鞍木とは話したのだろうか。
マルガリータが落胆を全身で表した。
「そう……」
暫くのあいだ、彼女は何かを思案するようにテーブルに両肘をつき、重ねた手の甲に顎を乗せて、視線をカップに落としていた。迷いや躊躇いといったものは見えない。じっと黙って冷めていくエスプレッソの水面に向けている視線は、しかし、それを見ているわけではないのだろう。集一は沈思黙考を邪魔しないよう、静かに待った。やがて彼女は深い息を吸うと、
「シューイチ」
「ええ」
じっと彼を見つめ、重々しく言った。
「貴方に話しておきたいことがあるの。これはユイカには、まだ訊いちゃだめよ。いつか彼女が自分で話すまで、胸におさめておいて」
驚きつつも、集一は頷く。
一呼吸おいて、マルガリータは話しだした。
「わたしの母には妹が二人いて、それぞれヴァイオリンとピアノの奏者なの。ピアニストの叔母が師事した教師は一六年前からパリの
相槌さえ忘れた集一の反応を無視して、マルガリータは語った。自分が知っていることを。
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