第10場 愛される音楽(3)

 ロレンツォの提案は、結果的に演奏会を大成功に導いたと言えるだろう。

 権利者となった者は、提示された曲目リストの中から次に聴きたいと望む曲を選べる。そう聞くと、驚きと興奮が室内に熱気を生んだ。

 リクエストする権利を得られたのは、五人。結架と集一が準備をしている間に誰となるかが決められており、その様子に、この邸の者たちは客人を退屈させずつ彼らに不満も抱かせない手腕に長けているのだということが証明されていた。

 権利内容を聞かぬままに決められたのだというその方法とは、なんと『阿弥陀あみだくじ』で、後にそれを聞いた結架は驚いた。日本で室町時代頃に原型が出来たらしい、この選出法は、もとは蜘蛛の巣のように中心から放射状に基本線を引いていた。それが阿弥陀如来の後光と似ているとのことで、名を『阿弥陀くじ』としたという説がある。それをカヴァルリ家の誰が知っていたものか。仏像や仏画も美術品と捉えることが出来ることを思えば、ヴィットーリアかもしれない。

 五人のリクエストは、その者の推す作曲家の作品であったり、単純に好きな曲であったり、結架と集一の演奏で聴いてみたいという興味であったりした。

 バッハ。

 ヴィヴァルディ。

 そして、バッハの次男であるカール・フィリップ・エマヌエル。バロックから古典派の時代へと繋ぐ、架け橋のような存在。ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンと進んだ流れの中でも大きな存在である彼らにとっても、確実に重要な規範ともいうべき偉大な音楽家。時代を先取りするリズムと意図的に編まれた不協和音程の危うげな確かさ。美しき不穏。ト短調のソナタの最終楽章に漂う繊細な憂鬱が力強さをも響かせていて、心を奮い立たせる。

 聴衆との距離が近い演奏会の楽しさは、結架の記憶の扉を掻いた。何かを思い出しそうで、けれどぼんやりと霞んで、雲の向こうの星を探すようだった。

 ──優れた音楽は、畢竟、聴く者の魂に訴えかけるのだ。

 そう言ったのは、誰だった?

 ──喜びを、悲しみを、苦しみを、楽しみを。そして、絶望をも希望に見誤らせる。罪深いほどに俺を救済しようとする音楽を響かせるのなら、結架。おまえは……。

 閉じられた扉の向こうから微かに届く、くぐもった記憶の声に、一瞬、気を取られそうになる。思わず強い力を指先にこめてしまった。だが、幸いにも曲の盛り上がる部分だったため、致命的な不自然さは避けられた。落ちつくようにと念じながら演奏にだけ集中力を使う。暗譜するほど曲を頭と身体に染みこませた甲斐があった。静かに曲が閉じる。

 客たちは、殆どの者が何も気づかなかっただろう。だが、結架のそうした動揺を感じ取ったらしい集一が、短くも愉快な話術を駆使して周囲の人々を惹きつけつつ彼女の様子を探った結果、すぐに次の曲の演奏に入る決断をした。

 整然とした父バッハの曲に戻り、その理性に心も平らかにぐ。

 あるべき音があるべき場所に据えられた、隅々すみずみまでくまなく計算され尽くされた音楽。その安定に没頭する。

 そして、カルダーラ、ヘンデル、ローザの歌曲の安らかな慈愛に満ちた響きへと移るごとに。また純粋な愉楽が、静かで優しい湖畔の波のように寄せてくる。深い敬慕。熱い愛慕。揺るぎない思慕。そういった、あたたかで尊い感情が齎す多幸感。

 この場の誰もが、各々の幸福を思い出し、その安らぎに浸りきった。

 アマーリアが口中で詩を呟く。結架と集一の歌う音の妨げにならぬように、注意深く。


 我が心の魂 魂の真髄たる人よ

 いつまでも変わらず 君を愛するだろう

 私が苦しみの中にあったとしても 満足しよう

 君のその美しい唇に 口づけができるのであれば



 憧憬する瞳よ

 愛の矢よ

 火花が散って

 この胸に嬉しく迎えられる

 どうか情け深くあれ

 私のこの寂しい心は

 いつであれ あなたを呼んでいるのだから

 愛する私の宝よ、と



 愛する美しい偶像のそばにいること

 それは 一番すばらしい愛の歓び

 恋い焦がれる女から遠く離れていること

 それは 最もつらい愛の苦しみ



 イタリア古典歌曲の甘さ、切なさ、愁いの濃密さは、あまりにも自由だ。

 男性去勢歌手カストラートが女性を演じるオペラにも見える常識が、性差に関係なく心のままに感情を表現することを当然としていて、ただ人間であることを、人を愛する人生の豊かさを賛美する。ドラマティックに。皇帝も将軍も、農民も奴隷も、王女も、娼婦も、狩人も、職無しも、乙女も、小姓も、道化師も。それが物語を展開する上で不可欠であると云っても、数百年間に忘れ去られず歌い継がれてきたのは、その音楽とともに歌詞にも多くの共感が得られたからであるだろう。

 最後にロレンツォへと所望する曲をたずねると。彼は曲目リストを眺めて数秒後、モンテヴェルディの歌劇『ポッペアの戴冠』から、紆余曲折と修羅場を重ねて結ばれることとなった男女の二重唱を選んだ。

 それは、誰を死なせても、陥れても、どうしても手離せなかった、当事者ならば〝愛〟と呼んだ執着。



 ただ あなたを見つめ

 なおも あなたという楽しみを享受し

 ただ あなたを抱きしめ

 なおも あなたと結ばれて

 もう苦しむことなく、死ぬこともない

 私の命! 私の宝!

 私は あなたのもので

 あなたは私のもの

 私の希望、そう言って欲しい

 あなたは真なる私の偶像、

 そう 私の心! 私の愛しい人にして私の命!



 優れた音楽は、最後には、聴く者の魂の奥まで訴えかける力を持つ。

 その感動が身体に響きわたり、心を震わせ、魂に刻まれる。

 そうして数百年、千年と生きていく。

 うずもれても、掘り出されて。

 大勢に愛されるからこそ、演奏する者が途絶えないのだ。

 そして、この夜、奏でられた音楽は、幾人かの心に生涯消えない灯火を燃やし続けた。

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