第5場 若い正義は虎の尾を踏む(2)
「なっ──んてことを! 邪推です!」
「夕食は僕の部屋で一緒に摂りましたが、それから少し会話しているうちに結架が眩暈を訴えて、失神するかのように急に眠ってしまったんです。すぐに鞍木さんに来てもらって、相談しました。でも、結局、目を覚まさないので、泊めることになったんです。断じて皆さんが想像なさっているようなことはありませんでした」
腹立たしさを打ち消しきれず、冷淡な口調で告げる。先ほど上げた声ほど大きくはなく、勢いも意図的に削いでいたが、聞いていた彼らを鎮まらせるだけの響きはあった。
「そうだったの。ごめんなさい、シューイチ。わたし、失礼なことを言ったわね。あなたが
マルガリータの謝罪は、集一には素直で真摯に聞こえた。それでいて、何故、無遠慮な発言をしたのかについて、彼女ならそうだろうと思ってしまうようなあからさまな正直さしかない。結架とは種類の異なる無防備。集一は吐息を放つ。
マルガリータがカルミレッリを顧みて、
「ほら、カルミレッリ」
柔らかな語調で促した。
「うん……つい頭に血が上って……酷いこと言って、ごめん、シューイチ。ぼくが悪かったよ」
顔色が悪い。興奮が鎮まって、彼は
「わたしも、笑ったりして、ごめんなさいね。でも、あなたを笑ったんじゃないのよ。状況が愉快に思えただけ」
「おれもだ」
「私も」
「そうだね、私もだ」
集一は意識して表情を緩めた。
「ええ、わかりました。そもそも皆さんに悪意や侮辱する意図がないことは理解しています。それと、たしかに紛らわしい状況でしたでしょうから、誤解が解けたのであれば、もう気にしません」
全員が安堵の息を
「但し」
集一の眼光に尋常でない威圧が満ちた。いつもと同じ優麗な美貌には微笑が作られているのに、凄絶な迫力を感じさせる。空気が凍りついた。
「覚えておいていただきましょう。僕については兎も角、結架の名誉を保持することに関して譲歩するつもりは僕にはありません」
断固とした口調は静かだったが、そのぶん、剣呑に聴こえた。仮に誰かが彼女の名誉を傷つけるようなことがあれば、彼は容赦なく剛毅果断に報復しかねない。平素は穏健で、育ちの良さを感じさせる言行をしているのに、このときの集一の両眼には、酷薄ささえ感じさせる氷が張っていた。
──女神の前で
どうやら逆鱗に触れたことを、その場に居た者は完全に理解した。
集一の前で結架の尊厳を損ねてはならない、決して。
「そ、そうだな。いや、それよりも、私の説明の仕方が誤解を招いたのだと思う。すまない、シューイチ。他意は無かったんだ」
ミレイチェは強ばった顔をして硬直した声を発する。無理もなかろうと一同は思った。今の集一を脅威に思うのは自然なことだ。常日頃の振舞いからは考えも及ばないほどに攻撃的な鋭い目つきと雰囲気。まるで別人だ。
ふと、そこで集一の全身から威圧の気配が消えた。
「……ええ、貴方は事実をそのまま仰っただけですから。責めるつもりはありませんよ」
柔らかな微笑みは、もう、普段通りだ。だが、誰も油断しない。基本的姿勢が穏やかなだけに、激怒させてしまったときに鬼が出るか蛇が出るか、全く予見できないのだ。一度、その片鱗を見てしまっただけで、想像するのも恐ろしい。それほどの迫力があった。
マルガリータがそっとフェゼリーゴを見やると、彼は微かに頷くような動作をした。
「とりあえず、
「分かりました。では、これで失礼します」
「じゃあ、ユイカにお大事にって伝えて頂戴ね」
「ええ」
ミレイチェが仕切ると、集一はにこやかな表情を保ったまま、辞去していった。彼の姿が扉の向こうに消えると、カルミレッリがソファに身を投げるようにして座りこむ。
「はぁあ……」
レーシェンが心配そうに、その顔を覗きこんだ。
「もう、無茶して。貴方も不調なのに。大丈夫?」
少年は瞼を半分ほどしか開けられないようで、
「ぼくは眠気が強いのと、身体が怠いだけだから。でも、正直、
呟くように返事をして、目を閉じた。
全員が溜め息を
「君も体調が良くないのか」
ミレイチェが懸念たっぷりの表情と声で尋ねると、カルミレッリは軽く笑った。
「平気。きっと精神的疲労ってやつじゃない? あー、もう、本当に見込み無いんだなぁ~って実感が深まってきてるんだ」
アンソニーの手が伸びて、カルミレッリの肩を優しく叩く。
「君は魅力的だよ。落ち込むことは無い」
マルガリータも続く。
「そうよ。あなたは素敵な男の子よ」
「ふたりとも、ありがと」
弱々しく応えるカルミレッリが、ふと、嬉しげに微笑んだ。
「それにしても怖かったねぇ、シューイチってば。ユイカの名誉を守るのが彼の最優先事項なんだね。すっごく強そうで、勝てる気がしないよ」
「わたしも認識を改めたわ。これからは自重します」
マルガリータが殊勝な態度と声色で宣言した。
これまでに散々彼女が集一と結架を
カルミレッリに嫉妬心がないわけでは決してない。しかし、彼は、その悪を自覚した上で制御しようと努力していた。愛する者が幸福を感じることを、
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