第6場 陵辱されし者は雨粒に いだかれ眠りを願う
降り続ける雨に打たれて凍えることなんて、決してないと信じきっていた。
両親が居なくなっても、兄がいた。叔母夫妻のもとにいても、土曜日の夜には必ず兄が訪れた。辛いことはないか、悲しいことはないか。いつも、そう尋ねてきた。ふたりに愛されて暮らしていて迚も幸せだと伝えると、そうかと答えて顔を背けた。
いま思えば。
兄の訪問は、叔母夫妻の目を盗むような状況だった。玄関からではなく、庭木を登って窓から来ていた。
「知ってらしたの……? おばさま」
兄のなかで、あのころから、自分は、ただの妹では なかったのかもしれない。
だから、ふたりとも引き取るのではなく、結架だけを手元に置き、堅人は学生寮に入れたのか。
留学前の機に〝親愛〟と〝性愛〟の違いを教え込んでくれたのも。ただ、外国に行くからというだけではなかったのか。
「知ってらしたの?」
雨粒が目に入るのも構わず、空を見上げる。
答えは聞こえてこない。
亡くならなければ、今でも兄妹としての自分たちを守ってくれただろうか。
きっとそうだろう。
生きていてくれてさえいたら。
実の両親のように、集一とも会ってくれた筈だ。
「私のせいなのに、そんなふうに思って、ごめんなさい」
雨に涙が混じる。
宅地造成が始まっている地区を、重い足取りで進む。
家からは、大分、離れてきた。
もう一度たりとも兄の姿は見たくない。声も聞きたくない。存在を感知するのさえ耐えられない。
だから、手近な服を着て、壊された装置と、小振りだけれど鋭利なペティナイフだけを携えて外に出た。
自分が選ぶ道が、もう、この他に
緑が濃くなってくる。
このあたりは、まだ、造成前なのだろう。
森か林か。見分けがつかないけれど。
静かで、穏やかな雰囲気だった。
誘われるように木々のもとに進む。
雨に濡れた葉や幹、土の匂いが濃くなる。
そして、木々が開けた。
広場のような場所。
繁った横枝が雨を遮り、地面は湿った程度にしか濡れていない。
あの、懐かしい、秘密基地を思い出した。
兄が、優しい兄だった場所。
あのままでいてくれたなら。
ふたりとも、幸せに、なれた筈なのに。
「勘違いだわ、お兄さま……」
鞍木と自分にしか心を開こうとしなかった。狭い空間に閉じ籠って、多くの人との出会いを拒んだ。そこには、きっと、唯一無二の存在がいたであろうに。
「私の集一のように」
ポケットの中にある、ひび割れた装置に触れる。あんなふうに襲われたのでなければ、使うことが出来たのだろうか。役割を果たせずに壊されたのは無念だろう。でも、それでも、この身から離しはしない。
空間の中心に立って、ペティナイフを見つめる。
手首を切りつけても痛むだけだろう。かといって、頸動脈を狙っても見えないのが恐ろしい。位置を外せば、酷い苦しみが待ち構えているだろう。
結架は深く息を吸い、それからナイフを構え、躊躇うことなく切っ先を腹部に押し込んだ。
燃えるような痛みに喜びを感じる。
膝から力が抜けて倒れたが、柔らかな草と積もった落ち葉に受け止められ、苦痛は軽い。ポケットから、砕かれた花の
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