第5場 別れを訃げる日に立てる誓い

 堅人の葬儀は、ひっそりとしめやかに、最低限の規模で執り行われた。

 事件性がないか警察の捜査がされていたが、鞍木の提出した堅人の遺書と、玲子と真谷の証言も揃っていたことから、堅人の焼身自殺による火事と結論づけられ、遺骨が戻されたのだ。

 結架も警察官に事情を聴取される筈だったが、誠一が手を回したらしく、帝苑ホテルの一般客室で「何か不審な点や気になることはありますか」としか質問されず、「ありません」と答えただけで終わった。集一に至っては、質問さえされていない。父がどのような伝手を使い どのように話をつけたのか知りたいとは思わないが、助かったことは事実なので、集一は一先ず電話で謝意を伝えておいた。

 相変わらず尊大な態度で「結架さんの心労を軽く出来たならそれでいい」と言い放った父に、以前なら強い不快と怒りを覚えただろう。しかし、これまで見えていなかったものが、見ないようにしていたせいで気づかなかっただけかもしれないと思うようになった集一には、それだけで、その反応が可愛らしくさえ感じられる。「ええ、お父さん。あなたのおかげで結架を守れました。僕も彼女も、直接あなたに会って感謝を伝えたいと思っていますよ」受話器の向こうで息をのむのが伝わってきた。その驚きぶりを思い出すと、顔が緩んでしまいそうだ。集一は傍らの結架に注意を向けて気を引き締めた。

 喪主を故人の妹である結架としたものの、鞍木や玲子が積極的に動いており、葬儀社の人間が手順通りに進めていったため、結局のところ、彼女はただ、その場に居るだけで良かった。

 だが、しかし。

「負担を無くしてもらっているのに贅沢ね」

 呟く表情には生気がない。

 手持ち無沙汰でいることで、忘れていたい記憶が鮮明に浮かんでしまうのだろう。

 無理矢理に微笑む結架の苦痛を思い、集一は彼女の手を握った。冷たいのに、少し汗ばんだ手のひら。

 現場で見つかった遺体は、既に骨壷に納めてしまえるほどに焼けてしまっている。この葬儀も、殆ど形だけのものだ。心から死者の冥福を祈る者さえ全員とは言えない。結架と集一も、自らの気持ちに区切りをつけるために、この場に居る。

「……本当は、すぐにでも入籍してしまいたいんだけど。喪中では止めておけと煩瑣い人間がいて」

 結架の微笑に柔らかさが混じる。

 語られた内容は嬉しいものではないだろうに、彼女は喜びを感じているようだった。ゆっくりと瞬いて、

「至極尤もなことだわ」

流れ出た声は穏やかだった。

 集一は、聞き咎められない程度に大きく吐息する。

「特別に信心深いわけでもないだろうに。まあ、財界には、そういうことに細かい人間が多いらしくて。要らぬ反感を買う必要もないだろうと」

「あなたが無用な攻撃に晒されることのないよう願っていらっしゃるのだわ。そう気づいているから、強行しないでいるのでしょう。それに、全面的とはいかなくても、あなたも同意しているのではないかしら?」

 みどりをおびた明るい茶色の瞳に優しい光が宿るのを、たまらなく嬉しい気持ちで見つめる。

「さあ、どうかな。それより、準備期間を長くとられるのなら、最上最高を吟味できると考えるようにするよ」

 敵対していた怒りと警戒は薄らいだ。けれど、完全に心を許せる相手ではない。少なくとも、今は。

「──ああ、いたいた。そろそろ始まるが、大丈夫か?」

 辛いと感じるなら集一くんと辞してもいいぞと言いたげな鞍木の様子に、二人の気持ちが解れていく。

「ありがとう。大丈夫よ」

 しかし、鞍木は鵜呑みにしない。無言で集一に目で問いかける。結架の状態に関して集一の判断を信頼しているという証に見えて、喜びとともに切なさが湧き上がった。堅人と鞍木を分けたものは何だったのだろう。同じく結架の傍で、彼女を守る兄として生きてきて。片方は愛欲に溺れ、もう片方は限りなく慈愛を与える。

「必要と判断したら途中であっても外に連れ出します」

「集一……」

 結架が狼狽えたが、鞍木は満足げな笑顔となった。

「それがいい。そうしてくれ。頼んだぞ」

「興兄さま」

 咎められても彼は動じない。

「君は自分の限界を見誤るのが得意だろう。いいから集一くんと おれに任せるんだ。そのほうが、おれも安心だからね」

 困ったように、しかし嬉しげに結架は はにかむ。

「わかったわ。そうします」

 震えそうなほど優しい温もりが広がって、漸く結架の胸に死者を悼む気持ちが芽生えた。

 ──どうか安らかに眠って。

 あなたの望んだ幸せは この世にはなかったけれど。

 いつか、きっと。

 異なるけれど匹敵する。

 そんな幸せを見出せる。

 そうして、その至福に見合うだけの存在となって。

 結架は自分自身に誓う。

 ──私は集一の存在にむくいる人間になる努力を続けるわ。この命が続くかぎり。

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