250.探索者ギルドの本懐
◇
「こんにちは、エレオノーラさん」
後日、探索者ギルドに着いたところで、俺が探索者になったころから良くしてくれていたギルド職員のエレオノーラさんに声を掛ける。
「あら、オルン君、こんにちは。久しぶりね。確か国内の迷宮をいくつか攻略しに行っているって聞いてたけど、帰ってきたってことは無事に終わらせたのかしら?」
俺に気付いたエレオノーラさんが嬉しそうに微笑みながら挨拶を返してくれた。
「えぇ、問題なく終わらせることができました」
「流石ね。お疲れ様。とすると、ここに来たのはギルド長への報告かしら? ギルド長は今日一日ここに居る予定だったはずだけど、確認してくるわね。ちょっと待ってて」
俺が用件を言う前に察してくれたエレオノーラさんは、そう言うと建物の奥へと姿を消した。
彼女が戻ってくるまで手持無沙汰になった俺は、ギルド内にある資料室へと足を運んだ。
ここは探索者たちが提出した報告書が大量に保管されている場所だ。探索者であれば自由に閲覧することができる。
記憶を頼りに散策していると、目的の報告書を見つけた。
それを手に取って中身を確認する。
「ははは……。改めて見ると、稚拙な報告書だな」
俺が見ているのは、俺たちが探索者になって初めて作成した報告書だ。
エレオノーラさんにレクチャーしてもらいながら、俺とオリヴァーとルーナの三人で苦労しながら作成した報告書。
今読み返すと酷い出来だけど、その文字からは活き活きと探索者をしていることが伝わってきた。
教団の襲撃を受けて里を壊され、仲間を奪われ、記憶を改竄された末に辿り着いたのがツトライルとなる。
南の大迷宮の攻略という夢も、フィリーによって意図的に芽生えさせられたものだ。
記憶を取り戻した今、そのことに思うことが無いと言えば嘘になる。
でも、その頃の俺も、間違いなく今の俺を構築している一部であるし、否定するべきじゃない。
ここに来たからこそ得られたものも数多くある。
大切な物もたくさんできた。
やっぱりここは喪いたくない。
例えもう帰ってこられないとしても、みんなが自分らしく振舞えるのであれば、それだけで俺には充分だ。
「あ、オルン君、ここに居たのね。ギルド長が執務室で待ってるわ。向かってもらえるかしら?」
報告書を眺めながら物思いに更けていると、俺を探しに来たエレオノーラさんに声を掛けられる。
「わかりました。わざわざありがとうございます」
彼女に感謝の言葉を伝えてから、俺はギルド長室へと向かった。
「失礼します」
「よく来たね、オルン君。エレオノーラ君から簡単に話は聞いているよ。無事に各地の迷宮攻略を終わらせたようだね。お疲れ様」
ギルド長の執務室へとやってくると、ギルド長がいつも通りの笑みを浮かべながら労いの言葉を掛けてくれた。
「……ありがとうございます」
「それにしても、エレオノーラ君に報告してくれればそれで良かったのに。わざわざ私のところまで報告に来るなんて律儀だね、君は」
「実は、便宜上報告ということにさせてもらいましたが、実際のところはギルド長と別の件について話がしたくてここに来ました」
「ふむ。私と話が? それは一体どういった内容かな?」
「その前に一つ質問させてください。ギルド長は
俺の問いを受けて、ギルド長は表情こそ変えなかったものの、その目は笑っていなかった。
「ギルドの本懐? それって『迷宮を管理して不備なく各地に魔石を供給する』というギルドの理念のことかな? それなら大切なことだと思っているよ。今の世の中、魔導具は生活に欠かせないものだからね。その動力源となる魔石を過不足なく供給すること、それが探索者ギルドが全うすべき使命だと考えている」
ギルド長の言ったことは間違いではない。
世界全域に影響力を伸ばしながらどの国家にも属していない探索者ギルドは、中立な組織として世界のバランサーの役割を担っていると言っても過言ではないのだから。
だけど俺が聞きたいのはそんな表向きな体裁についてではない。
「俺が聞きたいのは、そんな教本通りの建前ではありません。ギルド長なら知っているはずです。探索者ギルドが存在する理由について」
探索者ギルドのグランドマスターであるベリアは、おとぎ話の時代から生き続けている人物だ。
当時の彼はアウグストさんと共に邪神と戦い、邪神封印後は術理の世界の創造にも力を貸していた。
術理の世界やってきた後も、ヒティア王国の国王となったアウグストさんの側近として彼を支えていた。
それなのに、――彼は突如として裏切りに走った。
その直後、当時の【認識改変】の異能者が自身の命と引き換えに、術理を介して世界の人々の認識を書き換えた。
その内容は、人々が外の世界について忘れること、聖域の存在意義を忘れること、邪神は既に打ち倒されていること。
この三つだけでも面倒なことであったが、その極めつけが、人々がアウグストさんの存在を
その影響で、人々は自身の目の前にアウグストさんが居たとしても、彼を視界に捉えることも、彼の声を聞くことも、彼が書いた字を読むことも、彼が何かを動かしたり壊したりしても、その一切を認識することができなくなった。
アウグストさんを裏切ったベリアの目的は邪神を復活させることとなり、聖域――今は大迷宮と呼ばれている邪神の封印装置――を攻略すべく行動を開始した。
誰にも認識されず、居ない者となったアウグストさんは挫けながらも、聖域に金輪際ベリアの入場を拒む機構を付け加えた。
ベリアによる自力の攻略は望めず、ベリアの仲間たちでは聖域の最後の番人には
この世界に生きる人を使って大迷宮を攻略するために。
世間では、探索者ギルドと《シクラメン教団》は別の組織として認知されているが、それは違う。
どちらもベリアが運営している、邪神を復活させるための組織だ。
「……オルン君、探索者ギルドの理念は先ほど話した通りだよ。『迷宮を管理して不備なく各地に魔石を供給する』こと。それ以上でも以下でもない」
あくまでもギルド長は建前を貫く気でいるようだ。
このままでは平行線だな。
彼のスタンスを聞いてから話をしたかったが仕方ない。
「そうですか。それではギルド長は共感しているということですね。ギルドの本懐である
これまでほとんど表情を崩さなかったギルド長が顔を顰めた。
「…………まさか、オルン君が本当にギルドの本懐を知っていたとは」
ギルド長は俺が鎌を掛けていると思っていたようだ。
だが、俺が明確な答えを口にしたことで、彼もこれ以上知らないふりをするつもりは無いようだ。
これは賭けだ。
彼がギルドの本懐を肯定する人物だとすると、俺が先手を打つ前にギルド長経由でベリアに俺が記憶を取り戻していることが知られる。
その場合はやりたくないが、【認識改変】を使うことも視野に入れないといけない。
ギルド長の性分的に、彼はギルドの本懐には否定的な人物だと思っているから、分の悪い賭けでは無いと思うが、彼はどっちだ。
ギルドの本懐に肯定的なのか、それとも否定的なのか。
「…………私は、――ギルドの本懐を嫌悪している」
ギルド長が身体を震わせながら、振り絞るように呟く。
「そうですか。それが聞けて安心しました。でしたら、俺に協力してください。このままだと、近い将来ツトライルは教団に蹂躙されます」
目を見開いたギルド長が、驚きのあまり俺に詰め寄ってくる。
「ツトライルが!? 何故だ!?」
「俺を排除するために、でしょうね」
「確かに教団の幹部は人でなしの集まりだ。連中に道徳なんてものは無い。人一人を抹殺するためなら躊躇なく街一つを壊滅させるだろう。しかし、そもそもどうしてオルン君がターゲットになっているんだ?」
「それは、俺が《異能者の王》の先祖返りだからです」
「――っ!?」
「邪神を葬ることができる可能性を持つ人間、それが俺です」
実際にはオリヴァーもその可能性を秘めているため俺が唯一というわけでは無いが、話がややこしくなるからここでは伏せておく。
「《異能者の王》……。君が《おとぎ話の勇者》アウグスト・サンスの生まれ変わりということか?」
「いえ、俺とアウグストさんの、俗に言う〝魂〟は別物です。あくまで俺は遺伝的に彼の能力的な部分の影響を大きく受けているだけなので」
「そうか。なんとなくわかったよ。だからグランドマスターはオルン君に注目していたのだな」
「昨年、西の大迷宮が攻略され、連中が俺を排除するために本格的に動き始めたということは、猶予はそこまで残っていません」
ベリアが《シクラメン教団》と探索者ギルドを組織してから、既に六百年近くが経過している。
彼に【永劫不変】という異能があって、事実上寿命が無いといっても時間を掛け過ぎだ。
そのせいで教団にとって面倒以外の何者でもない、俺のような存在の出現も許しているわけだしな。
それでも時間を掛けていたのは、万全を期すために、この世界の魔力濃度が濃くなるまで待っていたためだろう。
連中の目的はあくまで邪神の復活。
だが、邪神は魔力濃度の薄い術理の世界では能力が大幅に制限されてしまう。
分かりやすい例えで言うなら、海水魚にとって淡水が適切な環境ではないようなものだ。
教団は数百年もの間、各地で魔力濃度を上げるための実験をしたり事件を起こしたりしながら、その時を待っていた。
そんな連中が、《英雄》を使った大迷宮攻略の予行演習を行い、前回の時間軸では、邪神にとって最大の障害として立ちふさがるであろう俺とティターニアの排除を画策した。
この世界の魔力濃度が規定値に達していることは、ほぼ間違いないだろう。
「俺はツトライルを、俺の大切なものを護りたい。そのために力を貸してください! お願いします!」
ギルド長は目を閉じると、ゆっくりと天井仰ぎながら感慨に更けているようだった。
「……私はギルドの本懐を嫌悪している。しかし、それでも探索者ギルドが今の社会に必要不可欠な存在であることは誰にも否定できない。だから私はここで働いている。ただ純粋に、いつもと変わらない明日が訪れると信じて暮らしている無垢な人たちのために」
ギルド長は上に向けていた顔を俺の方へと戻すと、鋭い眼差しで俺を貫く。
「君は何のために戦う?」
「俺が笑って過ごせる未来を掴み取るために」
ギルド長の問いに、俺は迷うことなく答える。
「そのためには、俺の大切な人たちにも笑って、自分らしく生きてもらわないといけない。そして、その大切な人たちにも、また別の大切な人たちがいる」
俺の大切な人たちには、俺が知らない誰かが居ないと自分らしく生きられないかもしれない。
俺の大切な人の大切な人は、俺にとって赤の他人かも知れない。
だったら、その赤の他人も俺にとっては護りたい対象だ。
「……人は、他の人との間に絆を育むことで、初めて〝人間〟になれるんだと思います。俺が笑って過ごす未来は、その世界に生きる人全員が人間として暮らせる社会が良いです。だから俺は――全員が人間として笑って過ごせる世界を掴むために戦います」
こんなことは不可能だと、一蹴されるかもしれない。
だけど、笑われようが、不可能だと言われようが、俺は言い続ける。
『俺は笑って過ごせる未来を勝ち取る。そのために邪神を倒して全員が笑える世界にしてやる』と。
キョクトウの古い文化には〝言霊〟という概念がある。
言い続けることで現実になるなら、言葉にしない理由は無い。
俺の回答を聞いたギルド長が優しく微笑んだ。
「まるで子どもの戯言だね。だけど……。うん。すごく良いと思うよ。私もそんな未来が訪れて欲しいと思うから。――わかった。私はオルン君に協力するよ。一緒に目指そう、誰もが人間として笑って過ごせる未来を掴むために」
「ありがとうございます。心強いです」
「それで、私は何をすれば良いのかな?」
「まずは、ギルド長のみに入室が許可されている転移部屋に俺を入れて下さい」
「それは構わないが、どうして転移部屋に?」
「教団がツトライル襲撃する際にその転移陣を使用するからです。なので、事前に転移陣の術式を改竄して、連中が転移してこないようにしておきます」
「そんなことが……、いや《おとぎ話の勇者》と同じ能力を持っているならできてもおかしくないのか。わかった。案内しよう」
それから俺はギルド長に連れられて転移陣が刻まれている部屋へとやってきた。
前回、じいちゃんが行ったように、そこに刻まれている転移陣を改竄する。
連中がここからやって来ないように。
これでツトライルが戦場になることも、連中に蹂躙されることも無いだろう。
よし、次だ。
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