第二章
38.新環境
家の扉が開き、外から五歳前後の黒髪の少年――オルンが家の中へと入ってきた。
「おかえり。――ん? どうしたの?」
オルンの母親であるニコラが、笑顔で出迎える。
しかし、オルンの瞳には涙が溜まっていて、それを見たニコラが心配げな声音で問いかける。
「……おかーさん、ぼく、ふつうじゃないの?」
オルンはニコラの問いかけに対して、涙を流すことを必死に堪えながら、疑問を投げかける。
「いきなりどうしたの? そんなことないわよ」
ニコラは突然の質問に内心戸惑いながらも努めて笑顔を作り、オルンの言葉を否定する。
「だって、みんな、ぼくと、あそんでくれないんだもん。ぼくは、ふつうじゃないから、あそんじゃだめって、みんな、おやに、いわれてるって……。う、うぅぅ……」
オルンはついに堪えきれなくなり、涙を流しながら泣き始める。
「そっかぁ……、よしよし。みんなと遊びたいんだよね。――――ねぇ、あなた。やっぱり
泣き続けるオルンの頭を撫でてあやしながら、ニコラは泣き声を聞いてやってきたオルンの父親であるレンスに懇願する。
「……しかし――」
「無茶を言っていることは承知しているわ。でも、来るかもわからない未来よりも、今苦しんでるこの子を助けてあげたい。その方法があるのだから」
「………………」
レンスはニコラの言葉に心が揺れているようだが、決断しかねている。
「私はもう、愛する我が子が傷ついて泣いている姿なんて見たくないの。あなたはそうじゃないの?」
「俺だって同じ気持ちだ! 今だって胸が張り裂けそうなくらい辛い!」
「……けんか、してるの? けんかは、だめだよ」
レンスが大声を上げたため二人が喧嘩を始めたと思ったオルンは、喧嘩を止めるべく泣くのをやめて喧嘩はダメだと主張する。
「喧嘩なんかしていないわよ。ね、あなた?」
ニコラはオルンを安心させるために優しい声音で否定した後、レンスに同意を求める。
「あ、あぁ! 父さんと母さんはとっても仲良しだからな!」
ニコラがレンスに向ける表情は笑顔であったものの、有無を言わさない圧があり、レンスは冷や汗をかきながらニコラに同意する。
「いいなー、ぼくも、おとーさんと、おかーさんみたいに、なかのいいひと、できるかな?」
『仲良し』という言葉に反応して、オルンが質問する。
その質問は今のレンスの心を抉るには十分すぎるものだった。
「……っ! 当たり前だろ! お前は優しい子だ。きっと大きくなったら、たくさんの友達に囲まれているはずだ!」
「たくさんの、おともだち……! いっぱい、いっぱい、おともだちができると、いい、な」
そう言いながら、目を閉じてこくりこくりとするオルン。
「……寝ちゃったわね」
外で子どもたちから心無い言葉を投げられ、大人たちから畏怖の視線に晒されていたオルンは精神的にかなりのダメージを負っていて、泣いたことによる肉体的疲労も相まって意識を手放していた。
「くそっ……! なんで〝今〟で、なんで〝この子〟なんだよ。俺が死後、地獄に堕ちることはわかっている。それはもう受け入れているんだ。
「……私も同じ気持ちよ。でも、それは許されない。オルンには
「……そうだな。今だけでもオルンが安らかな生活を送れるなら」
こうしてオルンは、身体能力に制限が掛かり、上級以上の術式を構築できなくなった。
そしてこの日を境に、オルンは『神童』から『凡人』になった。
◇ ◇ ◇
目を覚ますと見慣れない天井が視界に映る。
(……あぁ、そうだった。クランから部屋を貸し与えられたんだった)
起き上がってから部屋を見渡す。
部屋は二人で暮らしても余裕があるくらい広い部屋となっている。
そして、生活に必要なものは既に大抵揃っている。
昨日、俺は《夜天の銀兎》に加入した。
団員はクラン本部の敷地内に建てられている寮の一室を借りることができる。
当然強制ではないから、別のところで部屋を借りたり家族で暮らしていたりする人もいる。
とはいえ、ここ最近の俺は宿暮らしだったし、この話は渡りに船だったため即決で部屋を借りることにした。
毎月の給料から
部屋に併設されているシャワールームで汗を流す。
それから着替えが終わったタイミングで、ちょうどドアをノックする音が聞こえる。
ドアを開けるとセルマさんとソフィアが居た。
「おはようございます、セルマさん。ソフィアもおはよう」
「あぁ、おはよう。朝から押し掛けてしまってすまないな。ソフィアがどうしてもオルンに会いたいというものだから」
「そんなこと言ってないよ⁉ お姉ちゃんがオルンさんのところに行こうって言ったんじゃん! ――あ、オルンさん、おはようございます」
朝から仲睦まじいところを見せてくれる。
「何か急用ですか? 会議まではもう少し時間があるはずですが」
二人がここに来た理由について問いかける。
ちなみに会議とは、《夜天の銀兎》の幹部が定期的に集まる会議がちょうど今日あるようで、それに俺も出席するよう総長から言われている。
「いや、特に用事があったわけではないんだが、これから一緒に朝食でもどうかと思ってな。オルンもここのことはまだよくわからないだろう。寮には食堂も併設されていて、私たちは基本的に毎日そこで朝食を摂っているんだ。どうだ、一緒に食べないか?」
「……さすが国内最大のクランですね。団員の住む場所だけでなく、食べる場所も用意してくれているとは。勿論ご一緒させてもらいます」
◇
セルマさんとソフィアに案内されて食堂に到着した。
食堂はかなり広く二階や三階もあるようだ。
吹き抜けになっているから下からでも確認できた。
これだけあれば、席が足りなくなるということも無さそうだ。
食事のメニューは日替わり制になっているようで、全員が同じものを食べることになり、量だけは大中小から選べるようだ。
カウンターで料理を受け取ると、空いた席に座って食事を始める。
メニューは栄養バランスが考えられているのが良くわかる。
それにとても美味しい。
セルマさんとソフィアを交えて雑談をしながら食事に舌鼓を打つ。
しばらく食事を続けていると、一人の若い男が近づいてきた。
「よぉ、お前が《竜殺し》か?」
食堂に入った時から、周りから視線を集めていることはわかっていた。
この男が話しかけてきたことによって、更に注目が俺に集まった気がする。
この人の名前は確か、ウィルクス・セヴァリー。
先月の共同討伐の際に、《夜天の銀兎》の探索者として参加していた人だ。
当時の自己紹介ではディフェンダーと言っていた。
だけど、実際の立ち回りが前衛アタッカーに近いものだったので、印象に残っている。
「《竜殺し》は貴方もでしょう? 先月ドラゴンを討伐したじゃないですか」
俺がそう返すと、ウィルクスさんが軽く目を見開く。
「ははっ、オレのことを覚えてくれているなんて光栄だ。お前のことは共同討伐の後にセルマの
「そうだったんですね。というか、セルマさんってここでは姉御って呼ばれているんですね……」
「そう呼んでいるのは、コイツだけだ」
セルマさんが諦めたような口調で、ため息交じりに説明してくれた。
なるほど。
この人は自由な人って感じがするし、あり得そうだと思ってしまった。
「姉御は姉御って感じだからな。って、そんなことじゃなくて、付与術士であるはずのお前が、どうやって黒竜を一人で倒したのか、それが聞きたかったんだ」
「すみません、それには答えられません。ここは人が多いので……」
「あー……、それもそうだな。変なこと聞いて悪かったな」
人の多いところでは話せないというと、納得して引き下がってくれた。
「いえ、気になるのは当然だと思いますし、気にしてませんよ」
この人とはこれからパーティを組むんだ。
これから仲間になる人の実力や戦い方は知っておきたいよな。
「あ、そうだ。セルマの姉御」
「……なんだ?」
「今日は第一部隊としての予定はあるのか?」
「いや、今日は定例会議があるから、予定通りフリーだ」
「うーん、姉御がそう決めたんならいいけどさ。定例会議が終わってからでも集まった方が良くないか? オレはここで顔合わせできたけどさ、他の二人も顔を合わせるなら早いに越したことないと思うんだよ。特にルクレは今日会わせなければ、駄々こねる可能性あるぞ?」
「ぅ……、それは、確かに。あいつに騒がれるのも面倒だな。わかった。会議が終わったら声を掛ける。その時に予定が空いている人間だけでも顔合わせをしよう。その時ルクレが来れなくても、それはあいつが悪い。オルンもそれでいいだろうか?」
「えぇ。大丈夫ですよ」
ルクレというのは、回復術士のルクレーシャ・オーティスのことだろう。
彼女も共同討伐の際に《夜天の銀兎》の探索者として参加していた。
活発な子って印象があるし、駄々をこねている姿が容易に想像できちゃうな……。
話したいことが終わったのか、ウィルクスさんはさっさと何処かへ行ってしまった。
ちなみにソフィアは、クラン最強パーティのメンバーがいきなり現れたことで終始おろおろしていた。
その姿を見て、内心和んでいたのは秘密だ。
「さて、変な乱入者が現れたが、そろそろ定例会議の時間だ。オルン、会議室に行くぞ」
「わかりました」
「ソフィアは先日の教導探索の感想会だったな。しっかりやるんだぞ?」
「わかってるよ。お姉ちゃんも会議がんばってね! その、オルンさんも、頑張ってください……!」
「うん、ありがと」
食べ終わった食器を片付けた後、セルマさんと一緒に定例会議のある会場へと向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます