121.氣

「人間を退化させるため?」


「退化は言い過ぎかもしれないけどね」


「それはどういう意味でしょうか? 支援魔術はその人の実力以上の能力を引き出す魔術だと思いますが」


 俺の突飛な発言に対して、ルーナは世間一般で考えられている正論を返してくる。

 当然だ。俺だってつい最近まではそう考えていた。


「そうだね。確かに便利なものだし、繋ぎ・・として利用するのであれば問題ないと思う」


「すみません、私にはオルンさんの言っていることがわかりません……」


「考えてみてほしいんだけど、支援魔術のバフによって身体能力が急激に高まる。だというのに、何故それに一瞬で順応できているんだ・・・・・・・・・?」


 わかりやすく数値で例えてみれば、十の力が支援魔術によって突然二十や三十に膨れ上がることになる。

 そうなると普通は力に振り回されるはずだ。

 だというのに実際にはそんなことなく、例外なく全員がバフを受けてすぐに順応している。

 これは明らかにおかしいことだと思う。


 とすれば、元から人間の許容上限が百であるため、二十の力だろうが三十の力だろうが御しきることができていると考えた方が納得できる。


「……言われてみれば、確かにそうですね。『バフを受ければ身体能力が上がる』ということが当たり前すぎて・・・・・・・そんなこと考えてもいませんでした。……ですが、それがどうして退化に繋がるんですか?」


「俺の仮説はこうだ。――わかりやすく数値を引き合いに出すけど、人間は元々の十の力を百まで引き上げるすべを持っていた。だけどそれが何かのきっかけで失伝して元々の十の力しか発揮することしかできなくなった。それから長い月日が経って、十の力を二十や三十に引き上げられる方法が見つかり、それが浸透していった」


「その引き上げる方法が支援魔術の基本六種だということですか?」


「うん。基本六種は魔術の中では比較的新しい部類だしね。――元から百まで力を引き出せていたのに、今ではそれが二十や三十に引き下がっている。そう考えると人間は退化していると言えなくもない。……ね? 突拍子もない話だろう? 仮説を立てたはいいけど穴も多いことはわかってる。どうして失伝したのか、とかね」


「確かにかなり飛躍している話だと思います。ですが、オルンさんにはそう考えるだけの根拠があるということですよね?」


「根拠と言うには乏しいけどね」


 この考えに至ったのは『氣』について知ったからだ。


 記憶を失ったフォーガス侯爵と話したあの日、俺はハルトさんに氣についての教えを請うた。

 彼はそれに応じてくれて、ツトライルを発つ日まで時間を見つけては氣について学んだ。


 氣とは、体の中にあるエネルギーのことをいう。

 これを意図的に操り活性化させることで、身体能力を向上させることができる。


 ハルトさんは伏せていたけど、説明を聞いた限りでは身体能力の向上以外にも活用方法があると考えている。

 武術大会でハルトさんが相手の武器を破壊していたあれも、氣の応用によるものだろう。

 氣について知った今では、ハルトさんの武器破壊が相当に練度の高いものかがわかる。

 体外に氣を放出させるなんて、今の俺ではまぐれでもできない。


 そして氣について詳しく知った俺は驚愕した。

 支援魔術の基本六種と氣はどちらも身体能力を向上させるという点で共通している。

 俺は最初この二つは別物だと考えていた。

 だから支援魔術と氣を併用することで、より身体能力を高めることができると思っていた。


 だけど実際は、アプローチが違うだけで本質は同じ・・・・・ものであった。


 支援魔術の基本六種は、外部から術式と魔力でその対象の氣に働きかけ、無理やり氣を活性化させることで身体能力の向上を行っていたのだ。


 魔術によって無理やりに活性化させても人体に悪影響は無いが、当然効率は悪い。

 自分で意図的に氣を活性化させた方がより高い効果が見込める。


 バフの効果が高いセルマさんでも、百の内、五十くらいが精々といったところだろう。 


「その根拠というのは、どういういったものなのですか?」


 ルーナが質問してくる。

 こんな話を聞けば、気になるのは当然だよな。


「ごめん。こんな話をしておきながらで申し訳ないんだけど、それについては話せないんだ」


 ルーナにそう告げながら、俺はハルトさんとのやり取りを思い出していた。


  ◇ ◇ ◇


「オルン、お前の頼みだから氣については教えてやる。だが、一つ俺と約束してくれ。それが守れないというのであれば、教えることはできない」


 ハルトさんが真剣な表情で俺に告げてきた。


「……無理難題でない限りは順守します。それで、その約束の内容というのは?」


 俺がハルトさんに返答するも、ハルトさんはしばらく口を開かず、俺の顔をジッと見据えてくる。

 しばらくすると、ようやく納得したかのように一つ頷いた。


「内容はガキでもできる簡単なことだ。――氣について他言するな。もし他言したことがわかったら、お前だけじゃなく、話を聞いた者も全員殺す」


 ハルトさんが殺気を孕んだ視線を向けてくる。

 これは、間違いなく本気だ。

 俺が約束を反故にしたら、本気でハルトさんは俺を殺そうとするだろう。


「それが条件というのであれば、その条件を飲みます。しかし何故ですか? 氣について俺はまだ詳しく知りませんが、これは有用な内容だと思っています。むしろ積極的に情報開示した方が良いのでは?」


「ことはそんな単純ではない。良いから約束しろ。氣について他言しないと」


「……わかりました。氣について誰にも話さないと約束します」


「良し。――あー、疲れた。やっぱ真面目な雰囲気は息が詰まって嫌になるなぁ。オルンももう楽にしていいぞ」


 ハルトさんが満足気に頷くと、殺気を纏っていた雰囲気はどこへやら、普段のおちゃらけたハルトさんがそこには居た。


「えっと……」


 急なハルトさんの変化に付いていけず、今の俺はポカンとした表情をしているだろう。


「ん? なんでお前、そんな間抜けな顔してんだ?」


「いや、仕方ないでしょう。落差が激しすぎますって!」


「ははは! 懐かしい反応だな! カティやヒューイも出会った頃はそんな感じだったわ! まぁ、慣れろ。俺はこんな感じのテキトー人間だから」


 ハルトさんはケラケラと笑っている。


 まだ何も教わってないのに、ドッと疲れた……。


  ◇


「ぐ、ぅ……」


 ハルトさんから氣を教わって早数日、どうにか氣を活性化させ全身に巡らせることができるようになった。

 といっても、まだ常に氣に意識の大半を向ける必要がある。このまま動き回ることも困難な状態だ。

 この状態で自由に動き回るにはまだまだ鍛錬が必要だな。

 

「おぉ……。数日でここまで。すげぇな」


 俺の状態を見てハルトさんが感心した声を漏らす。


「……いえ、まだまだです。最低でも実戦で使用できるレベルまでは操れるようにならないと」


 ハルトさんの声に反応し返答すると、氣が体内で霧散したような感覚があった。

 少し話しただけで途切れるようでは使い物にならないな。


「いや、充分だろ。本来これの習得には数カ月は掛かるものだからな。流石は異――、……ツトライル最強の探索者だな」


「ツトライル最強って、それ関係あります?」


「いや、知らん」


 相変わらず適当な人だな……。


「……俺は昔からこうなんですよ。コツを掴むのが上手いと言いますか、大抵の技術は必要最低限のレベルであればすぐに習得できるんです。これのせいで、仲間から器用貧乏なんて言われたこともありますけどね」


「器用貧乏、ねえ……。つーか、それ自慢じゃねぇか!」


「あ、バレました?」


 なんだろう、ハルトさんとの会話は今まで接してきたどんな人とも違う。

 それでいて話しやすい。

 多分それは、彼の人間性というか、適当に見えて人との距離の取り方が上手いというか、俺の踏み込んでほしくない部分には絶対に踏み込んでこないからだろう。

 気疲れなく話せる相手だから、俺もつい軽口を叩いてしまう。


「かぁぁ! 俺もそんな自慢してみてぇ!」


「そういえば、ずっと気になっていることがあるんですが」


「ん? なんだ?」


「ハルトさんはこれを周知させることに消極的なんですよね? だというのに、何で俺に教える気になったのかな、と思いまして。いや、俺としてはありがたいんですけど」


「…………気分だな」


 俺の問いかけに対して少し間があってからハルトさんらしい返答が返ってくる。

 この反応からして、理由はあるがそれは話せないということか。

 予想通りハルトさんの中で氣について教えても良い人間とダメな人間がいるようだ。

 その基準はわからないけど、運良く俺が前者だったからこうして教えてもらうことができたんだろう。


「ハルトさんって意外と秘密主義なところがありますよね」


「ふっ、知ってるか、オルン。男は少しミステリアスな方がモテるんだぜ?」


「それは人によるかと思いますが」


「細かいことはいいんだよ」


 そんなこんなで軽口を叩き合いながら、ツトライルを発つまでの数日間、俺はハルトさんから氣について学んでいた。


  ◇ ◇ ◇


 なんか、余計なことまで思い出してしまった気が……。


 ひとまず、俺は少し前に氣について詳しく知った。

 それからずっと鍛錬を続けている。


 ここ最近も馬車の中では氣を活性化させながら、会話をしたり読書をしたりしていたおかげか、別のことをしながらも活性化状態を維持できるようになってきている。


「本当にごめん。変な話を聞かせてしまって。これは単なる俺の妄想だから忘れてくれ」


 俺の突飛な考えを聞かせてしまったルーナに謝る。

 氣については話せないわけだし、やっぱり話さない方が良かったかもしれないな。


「オルンさんは、昔と今で、世界が嫌いになるほど大きく変わったと言われたら信じますか?」


「……え?」


 ルーナの予想外の返しについ間抜けな声が出てしまった。


 嫌いになるかどうかはともかく、少なくとも今と昔では大きく変わっているはずだ。

 それは、魔導具を始めとした様々な技術の進歩であったり、それらを活用した生活の在り様であったり、それ以外にも色々とある。

 だけど、ルーナが言いたいことはそういったことではないだろう。


「あ、すいません、変なことを言ってしまって。オルンさんがすごいことを考えていると思っていたら、つい口から出てしまいました。なに感化されているのでしょうね、私は。恥ずかしいです……。今の発言に深い意味はありませんので忘れてください」


 ルーナが焦りながらまくし立てるように忘れてくれと言ってくる。

 暗がりでよく見えないけど、多分ルーナは顔が赤くなっているのでないだろうか。


 それにしてもルーナはなんで突然あんなことを言ったんだ?

 何もなくあのような発言はしないだろう。

 その理由を知りたいけど、無理に聞き出すのは難しい。

 俺もつい先ほど氣について含みのある言い方をしてしまった。

 こっちが話せないのに、向こうだけ話してもらうのはフェアじゃない。


「あはは! 感化されたって、俺のあんな妄想に?」


 俺は言外に気にしてないと、茶化すように返答する。


「む、妄想だったとしても衝撃的だったんですよ!」


 俺の意図が伝わったようで、ルーナも俺の茶化しに乗ってきてくれた。

 それから二言三言会話を続けたことで、先ほどまであった変な雰囲気はすっかり霧散した。


「――それじゃ、明日も早いことだし、もう寝ようか」


「そうですね」


 会話が丁度良い区切りを迎えたところで、会話を切り上げて座っていた岩から降りる。

 それからルーナと一緒にテントに戻り、俺たちは眠りに就いた。


 予定ではあと一週間くらいで目的地に着く。

 到着してからすぐに動き出せるように、その前までにソフィー達に迷宮調査についての詳しい説明をしないとな。



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