240.幽世⑤ 約束

 

  ◇

 

 それから俺たち三人は、長い時間を幽世で過ごした。

 それがどのくらいの時間なのかはわからない。


 あっという間だった気もするし、とても長い時間だった気もする。


 そんな時間の感覚が無い幽世で、これまた数えるのも億劫になるほどアウグストさんにボコボコにされた。


 それ以外にも、彼にとって未来になる事柄について話して、シオンと一緒に魔法について学んで、おとぎ話の時代のことを聞いて、本当に有意義な時間だった。


 アウグストさんから数えきれないほどたくさんのことを学び、俺はそれを血肉にしてきた。


 ……結局、記憶の方は戻らなかったし、アウグストさんにも勝てて無いが、この一戦・・・・が最後になると感覚的に理解していた。


 これまで通り、アウグストさんと十メートルほど距離を開けて相対する。


「アウグストさん、これまでありがとうございました。貴方には感謝してもしきれません」


 俺が感謝の言葉を口にすると、アウグストさんが一瞬呆けた顔をするも、すぐに晴れやかな笑みを浮かべる。


「あぁ、俺も楽しかった。全てを失って、全てを諦めていたが、俺の足跡に意味があったとオルンが教えてくれた。だから、最後くらい俺を超えて見せろ!」


「えぇ、そのつもりです。貴方から学んだ全てを以て、貴方を超えます! ――【魔剣合一オルトレーション】【終之型モント・エンデ】」


 周囲の魔力を収束させてから、身体の中に取り込む。


 続いて、体内に巡る氣を限界まで活性化させた。


 身体の中で本来混ざり合わない・・・・・・・魔力と氣を掛け合わせる。


 肉体に収まりきらなかった〝力〟が身体から漏れ出る。


 身に纏っているコートがソレに触れると、魔衣とも言うべきか、黒い炎のように揺らめき始めた。


 魔衣にも収まらなかった力が俺の周囲の空気に触れると、蒼黒いあおぐろい電光を発生させる。


 そのまま魔剣を手にして、構える。


(今の俺だと、この状態を維持できるのは数秒だけか)


 初めてこれだけ膨大な力を体内に留めるなんて荒業を試してみたが、想像以上に集中力を使うことになったため長い間維持できないことを察した。


「……ははは! やはり、到達する場所は同じか・・・!」


 俺の状態を見たアウグストさんが声を上げて笑う。


 それからアウグストさんも俺と同様に、身に纏っている衣服を魔衣に変質させると、紅黒いあかぐろい電光を帯びた。


 そのまま腰を落として拳を構える。


 あらゆる武術を修めているアウグストさんが最も得意としているのは、ハルトさんと同じ徒手空拳だ。


 アウグストさんが正真正銘の本気で来てくれることに感謝しつつも、高揚感を覚える。


 シオンが見届ける中、俺とアウグストさんの距離が一瞬で詰まる。


 接触は一瞬。


 すれ違いざまに俺は剣を、アウグストさんは拳を振るう。


 常人では知覚すらできない一瞬の攻防。


 それを制したのは――。


「はは、は……。マジ、かよ……」


 アウグストさんが膝から崩れ落ち、地面に伏した。


「はぁ……はぁ……はぁ……。勝った……!」


 対して俺は、ダメージを受けながらも倒れることは無かった。


 魔力と氣を掛け合わせるなんて相当な無理をしたためか、幽世に来てから無縁だった頭痛に苛まれながらも、地面に横になっているアウグストさんを見て勝利の余韻に浸っていた。


「……っ、ぐっ……!」


 しかし、頭痛は収まることなく次第に強まっていき、遂には立っているのも困難なほどの痛みになってきて、その場で蹲る。


「オルンっ!? どうしたの!?」


 そんな俺を心配してシオンが駆け寄ってくる。


 なんとか彼女に大丈夫だと伝えたかったが、頭痛とともに色々な情報が頭の中に流れてくる感覚を前に言葉を発することもできなかった。


(これは……、俺の、記憶……?)


 流れ込んでくる情報には、感情が含まれていた。


 シオンや両親と過ごした幼少期の出来事。

 教団の襲撃を受けて目の前で死んでいく両親や仲間たちのこと。

 それはシオンから聞かされていたもので、到底許せる現実ではなかった。


 


 ――『俺たちが片づけるべき問題をオルンに押し付けてしまって、申し訳ない』

 ――『ごめんね、オルン。こんなに早く貴方の傍を離れることになっちゃって』


 


 空耳だろうが、両親の声が聞こえた気がする。


 


 ――『大丈夫だよ、父さん、母さん。俺はちゃんと前を向いて生きていくから』


 


 そう言うと、二人が微笑んでくれたように感じる。


 両親や里の仲間の死は、怒りや悲しみなんていう単純な言葉では表現できない。

 だけど、これで本当の意味で、みんなの死を受け入れられた気がする。


 正しく自分の中に彼らを刻み込むことができた。


 ――俺の進む道がようやっと定まった。


 にしても、どうしてこれまで一切取り戻せなかった記憶がここに来て戻ったんだ?


 魔力と氣を掛け合わせたあの力は氣と同じように体内を巡らせていた。


 その過程で脳に到達していた力もあったのだろう。


 それが、【認識改変】を無力化したとか?


 まぁ、戻ったに越したことは無いし、今はそこまで深く考えなくていいか。


「……シオン、俺、思い出したよ。子どもの頃のこと。教団に蹂躙されたあの日のこと。ぜんぶ……」


 突然苦しみだした俺を見てあたふたとしていたシオンを、しっかりと見据えて声を掛ける。


 俺の言葉を聞いたシオンがポカンとした表情をしていたが、次第に目を潤ませていた。


「…………ほんと、に……?」


「あぁ。今なら、あの日・・・シオンと一緒に見た銀世界で交わした約束も、ちゃんと思い出せる」


 未だに信じられないと言わんばかりのシオンに、記憶を取り戻したことを証明するべく、【認識改変】を受ける前の俺とシオンしか知らない〝約束〟について触れる。


 それを聞いたシオンが、遂に大粒の涙をこぼす。


「オルン……! オルン!!」


 シオンが俺の名前を呼びながら、我慢できないと言わんばかりに俺の胸の中に飛び込んでくる。


 それをしっかりと抱きとめる。


「良かった、良かったよぉ……!」


 子どものようにシオンが泣きじゃくっていた。

 そんなシオンを見て、俺は胸が締め付けられる気分だった。


「本当に、ごめん。ごめんな、シオン」


 シオンが泣き止むまで、俺は腕を緩めることは無かった。

 

  ◇

 

「あのー……、良い雰囲気のところホント申し訳ないんだけどさ、タイムリミットが迫ってきてるっぽいから、そろそろいいか……?」


 いつの間にか復活していたアウグストさんが、気まずそうに俺たちに声を掛けてきた。


 アウグストさんの言う通り、あと少しで世界の遡行が終わることを察した俺たちは離れてからアウグストさんと向き合う。


 先ほどアウグストさんを思いっきりぶった斬ったわけだが、彼の身体にはその痕跡は一切なかった。


「……アウグストさん、本当にありがとうございました。貴方のお陰で、俺は俺の目標に近づけました」


 俺が改めてアウグストさんに感謝の言葉を述べると、彼は優しい笑みを浮かべた。


「それなら良かった。俺も未来の出来事をたくさん聞けて満足だ」


「アウグストさんは、これからどうするの?」


「どうもしないさ。ここだと俺はこんな成りだが、既に八十歳を過ぎた老いぼれだからな。ま、全部を失ったわけだが、最期にお前たちに会えたから、多少は良い気分であの世にいけるだろうさ」


 そういうアウグストさんは、満足気な表情をしていた。


「んじゃ、老いぼれは消えるとしますかね。頑張れよ、若人たち」


 最後だというのに、アウグストさんは呆気無くそう言うと、俺たちに背を向けながら手を振って歩き始めた。


「……はい、さようなら、アウグストさん」


「お世話になりました」


 そんな彼の背中に俺とシオンがそれぞれ声を掛けると、彼の身体が陽炎のようにぼやけ始め、幽世から姿を消した。

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