209.過程と結果
◇ ◇ ◇
ソフィーから迷宮の攻略を始めるという念話を貰ってから、結構な時間が経った。
弟子たちはこの一年でかなり成長しているうえにルーナまで付いているから、迷宮を攻略できないということは無いはずだ。
しかし、迷宮攻略には相応の時間を有する。
時間が掛かっても良いから全員無事に帰ってきて欲しい。
そんなことを頭の片隅で考えながら、俺は地上に出てくる魔獣の数を減らしていく。
『オルン、こっちの魔獣は居なくなったから、これから合流する』
魔獣の討伐を続けていると、別行動をしていたフウカから念話が入った。
『わかった。――ハルトさん、全体の状況は?』
『魔獣の数はだいぶ減ってる。第三波も収束しつつあるな。ダルアーネ付近の連中もきちんと街を護り切れているし、今んとこ順調だな。後はいつ迷宮が攻略されるかだが――っと、言った傍から《黄昏の月虹》の奴らが迷宮から出てきたぞ。随分早いな』
戦況を確認していたハルトさんより、弟子たちが地上に戻ってきたことを知らされる。
もっと時間が掛かると思っていたが、何かトラブルがあって引き返してきたのか?
『っ! 俺はすぐに迷宮の入り口に向かう! フウカ、迷宮の入り口で合流するぞ』
『わかった』
俺の周囲に居る魔獣を必要最低限討伐しながら、最短距離で迷宮の入口へと向かうと、弟子たちとルーナの姿が見えた。
全員が無事であることに安堵したのも束の間、全員の表情が暗いものになっていることに気付いた。
「お前たち、大丈夫か? 何があった?」
「あ、ししょー……」
いち早くキャロルが俺の存在に気付き、全員が俺を見て安心したような表情を浮かべるが、未だに彼らに漂う空気は暗いものだった。
そこには戸惑いの色も強いように感じる。
そんな中で、一番冷静でいたルーナが口を開く。
「オルンさん、この迷宮の機能は失われました。ですが、不味い状況でもあります。まずはここを離れて――」
ルーナの話を聞いていると、突如轟音とともに地面が揺れる。
続いて迷宮がある地面が陥没し始め、そこから黒い巨躯が上空へと飛びだす。
上空から俺たちを見下ろしている魔獣は、この一年で何度も目にしている大迷宮九十二層のフロアボスである黒竜だった。
「もう出てきたのっ!?」
黒竜の姿を見たソフィーから悲鳴にも近い驚きの声が上がる。
ソフィーの反応から、《黄昏の月虹》が出くわしたトラブルは黒竜の存在だと判断した俺は、即座に黒竜を叩き潰すべく、地面を蹴ろうとしたところで、
「待ってください、オルンさん!」
ルーナから制止するよう声を掛けられる。
「……《黄昏の月虹》で黒竜を討伐したいのか?」
黒竜は、弟子たちにとってわかりやすい〝乗り越えるべき壁〟だ。
何かあった時に俺やフウカからのフォローを受けられる地上で、黒竜と戦うつもりなのかと考えて問いかけるも、ルーナは首を横に振る。
「――ほぉ、オルン・ドゥーラもここに居たのか」
ルーナの真意を測り損ねていると、上空から男の声が三つほど重なっているような鳴音が聞こえてきた。
上空へと視線を戻すと、そこには黒竜の他に、化け物が上空に佇んでいた。
シルエットだけを見れば人間と見えなくも無いが、その姿は人間と呼ぶにはあまりにも人間かからかけ離れていた。
「……言葉を話す魔獣か?」
「おいおい、俺の声を忘れているのか? 半年前に会ってるじゃないか、この国のレグリフ領で」
レグリフ領と言えば、半年前にエディントン伯爵の依頼で訪れ、のちに帝国の第一次侵攻があったタイミングだ。
そこときに出会った人物とするなら……。
「……まさか、オズウェル・マクラウドか?」
「正解だ! やっぱり良い記憶力しているなぁ」
化け物――いや、オズウェルが俺の問いに満足気に応答する。
「そうか。教団の人間が、また俺の弟子に手を出そうとしたのか」
迷宮から出てきた弟子たちが戸惑っている理由をようやく知った俺は、血が沸騰しそうな怒りを何とか抑えながら声を出す。
「ま、そうなるね。それにしても《黄昏の月虹》の連中は弱すぎて、何の参考にもならなかったんだ。さて、お前なら今の俺と対等に戦えるかな、オルン・ドゥーラ!」
高揚感に満ちた声を発するオズウェル。
その姿は全能感に酔っているようにしか見えなかった。
今の《黄昏の月虹》は決して弱くない。
身内贔屓無しで、探索者全体を見渡しても上位には確実に位置している。
そんな《黄昏の月虹》と戦って、彼らを弱いと吐き捨てるということは、今のオズウェルはかなりの強さを有していると考えるべきだが、あの油断は付け入れることができるな。
「と言っても、俺の相手をする前に、黒竜の相手をしてもらうことになるがな! 半年前から更にブラッシュアップさせた自信作だ。これは大迷宮に居る本物とも差支えな――」
なおもオズウェルが高揚したような声を上げていたが、その言葉が最後まで紡がれるよりも先に黒竜の背中の辺りから、硬いもの同士が勢いよくぶつかり合ったときのような音が鳴り響いた。
直後、黒竜は悲鳴のような声を上げ、体を後ろに反らしながら地面へと墜ちていく。
地面に激突するかと思ったが、寸でのところで態勢を整え、激突はしなかった。
そして、黒竜が居た場所には、空中であるはずなのに、まるで地面に立っているかのようにフウカが佇んでいた。
彼女が空中に立てている仕掛けは氣の応用だ。
氣を固めることで疑似的な足場を作り出している。
魔力と氣の違いはあるが、俺が魔力で足場を作っているのと、やっていることは同じだ。
「《剣姫》――!?」
オズウェルが突然現れたフウカに驚いているが、対してフウカは相変わらず何を考えているかわからない無表情のまま、氣で作り出した足場を蹴ってオズウェルへと接近する。
オズウェルは、咄嗟に両の肩部から現れている魔力の竜を伸ばして、その顎でフウカを喰らおうと攻撃を仕掛ける。
しかし、そんな攻撃がフウカに通じるわけもなく、立体的な動きで竜たちを翻弄する。
「チッ。ちょこまかと鬱陶しい奴だな」
フウカを捉えきれないことに、オズウェルが憤る。
奴の怒りによって生まれた一瞬の隙を見逃がさずに、縮地でオズウェルへと肉薄したフウカがオズウェルの首を刎ねる。
あっけない決着だと思っていると、フウカがオズウェルから離れていく。
その数舜後、オズウェルの居る場所で大きな爆発が起こった。
フウカは危なげなく爆発をやり過ごして、俺たちの近くに着地するとすぐに口を開いた。
「オルン、まだ終わってない」
「……あぁ。わかってる。――【
俺がシュヴァルツハーゼを魔剣に変えたのとほぼ同時に、地上の近くを飛んでいる黒竜が炎弾を放ってくる。
魔剣を振るって飛ばした漆黒の斬撃が、炎弾を切り裂く。
「ははははは! いいねぇ。《竜殺し》に《剣姫》、お前らは合格だ! 今の俺の力を試すには申し分ない相手だと認めてやろう!」
黒竜の攻撃を防ぐと、上空からオズウェルの興奮した声が聞こえてきた。
フウカに刎ねられたはずの首は、何事も無いかのように元通りになっている。
化け物になっても【自己治癒】は健在というわけか。
厄介な相手だな。
しかし、オズウェルが
「《黄昏の月虹》は退いて、地上の魔獣掃討に当たってくれ。オズウェルと黒竜は、俺とフウカでやる」
「……わかり、ました。すいません、僕たちの不始末を師匠に押し付けるかたちになってしまって」
自分たちも戦うと食い下がられると思っていたため、素直に俺の指示に従ってくれたことに驚きを覚える。
……それだけ、無力感に打ちのめされてしまったのかもしれない。
せっかく培ってきた自信を、こんなトラブルで無くしてほしくはないな。
「お前が謝る必要なんて無いだろ。お前たちは、俺の依頼をきちんとやり遂げたのだから」
「……え?」
「オズウェルの存在が衝撃的過ぎたのかもしれないが、《黄昏の月虹》が迷宮に潜った理由は何だ? 迷宮を攻略すること、延いてはこれ以上地上に魔獣を出さないことだ。それは達成しているんだろ?」
ルーナは先ほど『迷宮を攻略した』とは言わずに『迷宮の機能は失われた』と言った。
オズウェルという存在が、状況をややこしくしていることは想像に難くない。
状況から察すると、オズウェルの変化に迷宮核が使われて、結果として迷宮の機能が失われたのかもしれない。
迷宮核は膨大な魔力を内包している魔石だからな。
であれば、弟子たちに自分たちが攻略したという実感は無いだろう。
しかし、過程はともかく結果として、迷宮からこれ以上魔獣が出てくることが無くなったのは事実だ。
「迷宮の機能を停止させて、全員が無事に帰ってきてくれた。それだけで、俺としては充分だ。それでもお前たちがこの結果に納得していないのであれば、〝次〟は満足の得られる結果が出せるように努力を続けるしかない」
三人がそれぞれ考えるような表情をしている。
全員、ままならない気持ちだろう。
その気持ちは痛いほどよくわかる。
俺も何度も経験したし、現在進行形でその感情は俺の中で燻っているのだから。
だからこそ、その感情に蓋をして、弟子たちに何事も無いかのように笑いかける。
俺はこいつらの〝師匠〟だから。
「納得のいかないこと、自分を無力だと感じることは、これからも何度だってある。でも、そこで腐るな。そう感じるのは、前に進んでいる証拠だ。困難な状況を前に諦めていない証拠だ。だからそんな時こそ、胸を張れ。前を向け。お前らは俺の自慢の弟子だ」
俺の言葉が届いたのか、三人の目に光が灯った。
綺麗事を言っている自覚はあるが、時には綺麗事や理想論も悪くは無いだろう。
「……ありがとうございます。師匠のお陰でこの結果の捉え方が少し変わった気がします」
「これからもオルンさんに『自慢の弟子』と言ってもらえるよう、前を向きます! もっと強くなります!」
「ししょーはいつも欲しい言葉をくれる。ありがとー、ししょー。あたしもまだまだ前に進むよ!」
「それは良かった。それじゃあ改めて、地上の魔獣の討伐を任せていいか?」
「わかりました!」「任せてください!」「魔獣狩りだー!」
俺が改めて弟子たちに魔獣討伐を依頼すると、弟子たちはそれぞれ言葉を残して、この場を去っていく。
「ルーナ、引き続き弟子たちのフォローを頼む」
「……はい。お任せください。オルンさん、彼は――」
「――わかっている。半年前に出会ったときからアイツへの対応は決めている。慈悲を与えるつもりは毛頭無い」
「それを聞けて安心しました。私では彼に届きませんでした。私の怒りも乗せてオズウェル・マクラウドを叩き潰ししてください」
「あぁ。任せろ」
俺の返答にルーナが満足げに頷くと、彼女は弟子たちを追いかけていった。
「いやぁ、カッコいいじゃないか、《竜殺し》。心底下らない師弟愛をこれでもかと見せつけてくれちゃって、欠伸のし過ぎで号泣するところだったぞ」
俺たちの話が終わるまで黙っていたオズウェルが拍手をしながら、こちらの神経を逆なでするようなことを言ってくる。
俺と弟子たちのやり取りに、横槍を入れてくるかとも考えて身構えていたが、そんなこともなかった。
以前からコイツの考えていることは、俺には理解できない。
「……フウカ、黒竜の相手をしてくれるか? オズウェルは俺一人でやる」
オズウェルの言葉には反応を示さず、隣に居るフウカへと声を掛ける。
過去にキャロルを傷つけ続け、今回も弟子たちに害を為したオズウェルを赦すことはしないのは当然、俺の手で幕引きをしたかった。
この判断に理屈なんてものは無い。
フウカと連携して戦うのが正しいことは理解している。
それでも、今回は感情に従い、オズウェル・マクラウドは俺が一人で叩き潰す!
「わかった。あの黒い竜は私が倒しておく」
フウカは俺の提案に異を唱えず、黒竜の方へと向き直す。
「あはははは! いいねぇ、オルン・ドゥーラ! その傲慢さ、俺は嫌いじゃないよ」
俺が一人で戦うと知って笑いだすオズウェル。
――俺の大切なものを傷つけようとした、お前が死ぬ理由はそれだけあればいい。
先ほどから構築していた術式に魔力を流して、オズウェルの背後へと転移する。
「くはは! 【
俺が転移した直後にはオズウェルは振り返っていた。
オズウェルの背後に転移した直後に、縮地には程遠い高速移動で奴の正面に回る。
オズウェルが振り返ってくれたことで、俺の目の前に奴の無防備な背が晒されている。
「よそ見をしているその余裕が、いつまで持つか見ものだな」
俺は口を開きながら大剣を形作っている魔剣を振り下ろし、オズウェルを地面へと叩き落とす。
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