229.遅すぎた帰還
◇ ◇ ◇
―ツトライル某所:地下室―
クリストファーより転移陣の起動キーを受け取ったオルンたちは、早速ダウニング商会本店にある転移陣を利用してツトライルへと移動した。
彼らの視界に映る景色が変化すると、そこは窓一つ無い広めの部屋だった。
「ここって、じいちゃんの雑貨屋の地下室……? 何でここに……。――いや、そんなことを考えるのは後回しだ。ハルトさん! 地上の状況は!?」
「……かなり悪いな。街の面影を残している部分の方が少ないほどに滅茶苦茶になっている。教団の人間が街中で暴れ、第二迷宮と第四迷宮から大量の魔獣が湧いてる状況だ。探索者の大半は魔獣の侵攻を防ぐために街の外で戦っていて、街中は軍人が奔走しているが、どちらも劣勢だな」
【鳥瞰視覚】を駆使して周囲を確認したハルトの報告を聞いたオルンが、歯を食いしばるようにして感情を必死に抑えていた。
「非戦闘員である住民はシェルターに避難しているんだよな?」
オルンが努めて抑制していることがわかるほど、抑揚のない声で再度ハルトに確認をする。
「……あぁ。地上に残っているのはほとんど死体だな。だが、《夜天の銀兎》の敷地の辺りを何か赤い膜のようなものが覆っているように見える。俺の異能でもその中までは確認できねぇな。なんだ、これ?」
「っ! だったら俺はすぐに《夜天の銀兎》の敷地に向かう! 他の場所は任せた!」
ハルトから《夜天の銀兎》に異常があることを聞かされたオルンは、三人にそう告げると、外へと繋がっている階段を駆け上がり、三人の視界から見えなくなった。
「少々露骨すぎないかしら? 普段のオルン様なら何かしら勘付かれるレベルで酷かったわよ」
オルンが居なくなったところで、眼鏡を外したテルシェが責めるような視線をハルトに向ける。
「うるせぇな。そんな余裕が無いことを見越したうえでの発言なんだから大目に見てくれよ。こういうのは苦手なんだから」
同じく眼鏡を外したハルトが少々不貞腐れたように吐き捨てる。
彼らが眼鏡を掛けていた理由は、妖精であるティターニアを知覚するためだ。
つまり、彼らはこうなることを
「ハルト。そんなことより、敵は?」
フウカがそんな二人のやり取りをスルーして、ハルトに必要なことを話すよう促す。
「敵には予想通り《戦鬼》が出しゃばってきてる。場所は探索者ギルドの建物があった付近だ。…………フウカ、任せていいか?」
フウカの 言葉を受けて、ハルトが《戦鬼》の存在と居場所について触れる。
それから彼は葛藤に顔を顰めながらも、フウカに《戦鬼》の相手を任せた。
フウカはコクリと首を縦に振る。
「わかった。じゃあ、行ってくる」
「……フウカ、わかっていると思うが、既に状況は終局に近づいている。ティターニアと爺さんの
「わかってる。私はこれから十中八九
顔を顰めて苦しそうにしているハルトとは対称的に、フウカは普段と変わらない表情で淡々とそう言うと、階段を上って行った。
「……ハルト、あまり時間を無駄にはできないわ。私たちも行くわよ」
ハルトの背中を押すようにテルシェが話しかける。
「あぁ、わかってる。俺たちは街の外の魔獣の相手をしている探索者の助太刀だ。カティとヒューイが心配だから俺は第四迷宮に向かって、テルシェには第二迷宮を任せたい。それでいいか?」
「問題ないわ。参考までに、第二迷宮の魔獣を対処している探索者たちの戦力は?」
「有力な探索者は第二迷宮の方が若干少ない印象だな。その代わりにツトライルでトップクラスの戦力であるセルマとレインが居るからトータルの戦力はどちらも変わらないと考えて良い。所感では、どちらも《アムンツァース》の主力と比べればかなり見劣りするだろうな」
「了解したわ。
「レインについては俺もある程度聞いている。お前がアイツのことを嫌っていることも理解しているつもりだ。だけど、彼女がツトライルで頑張っていた姿を俺は見ている。その点は認めてやってもいいんじゃないか?」
ハルトがやれやれ、というふうに力なく笑いながら考えを口にする。
「無理ね。今回の事態、その原因を辿っていけば、あの愚妹がやらかしたことに繋がるわ。それにアレはシオン様を泣かせた。私がアレを赦すことはあり得ないわ」
「だが、ハグウェル家の粛清を買ってまで、レインを《アムンツァース》の過激派から守るために国外に逃がしたんだろ?」
「それはシオン様がそう望まれたからよ。ご自身も傷ついていたにもかかわらず、『何も知らずに片棒を担がされただけだから』と」
「へぇ、あのお嬢様が」
「それに、アレに駒としての価値があるのは事実だから。実際、
「この先、か……。ま、ここで考えても仕方ねぇな。――んじゃ、行きますか。全てを背負わせることになるアイツに少しでも報いるために」
テルシェの言葉を受けたハルトが、息を一つ吐いてから思考を切り替えた。
そして外へ向かって 歩き始める。
テルシェが「えぇ、そうね」と相槌を打つと、その後ろを付いて行く。
◇ ◇ ◇
オルンが行く手を阻む瓦礫を魔術で吹き飛ばしながら階段を最後まで駆け上る。
本来であれば、そこは彼が『じいちゃん』と呼ぶカヴァデール・エヴァンスの雑貨屋の店内となっているはずだった。
しかし、既に建物は倒壊していて、雑貨屋は僅かな面影を残すだけとなっていた。
血や人が焼かれたとき特有の臭いが、外へと出たオルンの鼻を刺す。
不快であると同時に、改変される前の記憶に
「あれが、ハルトさんの言っていた赤い膜か……。何なんだよ、あれは……!」
オルンは爆発しそうなほどの怒りや 悲しみといった負の感情を必死に抑えながら、頭痛を無視して《夜天の銀兎》の敷地の方角へと駆ける。
足を止めることなく《夜天の銀兎》の敷地へと近づいたところで、 オルンの目の前を人影が横切ると、激しく壁に激突した。
「――っ!? キャロル!?」
「……ぅ……ぐ……。……ぁ、し、ししょー…………!」
オルンに抱き上げられたキャロラインが弱々しく目を開くと、 大粒の涙を流し始める。
キャロラインの状態は傷こそ無いものの、全身が土埃で汚れていて、身に着けている団服もボロボロだった。
「ししょー……、ごめん、なさい……。あたしが……、あたしが護らなきゃ、いけなかったのに……、二人を、護れなかった……!」
キャロラインが 涙を流しながら懺悔をするように声を漏らす。
そして体力の限界を迎えたのか、キャロラインは意識を手放してしまった。
そんなキャロラインの状態と言葉を聞いて、状況を
目の前が真っ暗になるような感覚とともに、呼吸が浅くなる。
「――ようやくのご登場ですか。待ちくたびれましたよ」
そんなオルンの背後から、場違いなほど明るい声音で声を掛けられる。
オルンはキャロラインを地面に横たわらせてから、ゆっくりと振り返りながら立ち上がる。
そんな彼の視界に映ったのは、邪気の一切無さそうないつもの笑みを浮かべているスティーグと、血だまりの上で
「…………」
その光景を見たオルンが顔を伏せる。
誰からもオルンがどんな表情をしているのかが見えない。
「ん? どうしたんですか? あぁ、貴方の大切な弟子の二人は、見ての通り――」
そんなオルンに対して、 挑発するようにスティーグが言葉を投げていると、それが最後まで紡がれる前にスティーグに影が落ちる。
一瞬でスティーグとの距離を詰めたオルンが、目から涙をこぼしながら、空間が歪むほどに収束された漆黒の魔力を纏わせたシュヴァルツハーゼを全力で振り下ろす。
直後、オルンの前方一帯を漆黒が飲み込んだ。
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