198.【sideセルマ】婚約破棄をするために

 

  ◇

 

「……よく耐えられたな。あの場で二人を殺すんじゃないかとひやひやしたぞ。二人ともお前の殺気には気づいていなかったようだから良かったが」


 伯爵の執務室から離れたマリウスは、誰も居ない小部屋に移動したところで口を開いた。


「今すぐにでも、父上を捻り潰したい気分だ」


 マリウスの声を聞いていたセルマが【潜伏ハイド】を解いて姿を現す。

 その表情には形容しがたいほどの怒りが滲んでいた。


 先ほどの執務室にはマリウス、伯爵、アルドの三人だけでなく、【潜伏ハイド】で姿を隠していたセルマも居た。


 ソフィアを溺愛していることが知られているセルマでは、伯爵たちが何を企んでいるのか聞き出すことができなかったため、伯爵から一定の信頼を得られているマリウスが聞き出す役目を買って出たのだった。


「あの獣を潰すのは俺だ。セルマでもその役目を掻っ攫うことは許さない」


「私はソフィアを助けることができるなら、それで良い。だが、何故ソフィアに無関心である兄上が私に協力してくれるんだ?」


 マリウスが協力してくれたことで、セルマはソフィアがダルアーネに連れてこられた理由を知ることができた。

 しかし、マリウスはこれまでソフィアに無関心を貫いていた。

 そのため、ソフィアのために協力をしてくれた彼の行動は、セルマにとって意外なものだった。


「質問を質問で返すようで悪いが、セルマは何故ソフィアを助けたいと思っているんだ?」


「妹だからだ。私にとってこの世に一人しかいない可愛い妹を助けたいと思うことに、それ以上の理由はいらないだろ?」


 マリウスの問いに、セルマは曇りのない眼差しで即答する。


 その言葉を受けたマリウスは優しげな表情で、「俺たちは似た者同士だな。兄妹なのだから当然か」と呟いた。

 その声音は、表情と同じく優しさに満ちていた。


「……兄上はソフィアを嫌っていたんじゃないのか? 『家の汚点に付き合っている暇は無い』とまで言っていたじゃないか」


「セルマに本気でそう思われていたのであれば、俺の演技はなかなかのものだったというわけか」


「どういう意味だ?」


「使用人が親父の子を身籠ったと聞いたときは、新しい弟か妹が生まれてくるとわかって嬉しかった。だが、それと同時に色に溺れたあの男を心底軽蔑した。自分の欲もコントロールできないような男がこの地を治め、領民を導く立場に居ることが、俺には赦せなかった」


 マリウスが心に溜め込んでいた怒りを吐き出すように、言葉を紡いでいく。


「だから、あの日から俺は、一日でも早くあの男を領主の座から引きずり下ろすことを目的に動いてきた。だが、この国の爵位持ちは絶大な力を持っている。あの時の俺は反発していたら簡単につぶされるほどちっぽけな存在だった」


「だから、父上を非難しなかったと?」


「そうだ。力を蓄え、あの男を潰すために。俺は自分の性格をわかっているつもりだ。もしもソフィアと関われば、お前のときと同様に彼女を可愛がってしまうだろうと。それは、あの男にとっても母さんにとっても面白くないことだ。だから俺は、ソフィアに対して無関心を貫くことにした」


「…………」


 マリウスの話を聞いたセルマは複雑な表情をしていた。

 彼の取った行動の真意を理解しつつも、それがソフィアを傷つける一助にもなっていたためだ。


「だが、それもこれで終わりだ。ようやくあの男を叩き潰すための武器が手に入った。領民を救うためとはいえ、敵国である帝国と秘密裏に取引をしようとしていることは、明確な国への反逆だ。……まぁ、今更ソフィアに兄貴面する資格なんて俺には無いけどな」

 

  ◇ ◇ ◇

 

「クローデル伯爵が帝国と取引をしていた、ですか」


 私は兄上と一緒に父上――クローデル伯爵を追い落とすことを決めた。

 父上が失脚すれば、必然的に当主の座は兄上に移ることになる。


 兄上が当主となれば、ソフィアの縁談を当主の権限で取消すことができる。

 本来なら縁談が纏まった時点で、無かったことにするのは難しいが、相手は帝国の貴族だ。

 敵国であれば、強引にこの話を無かったことにすることも出来る。


 そして私たちの行動を正当化させるために、父上が帝国と取引をしていた事実をルーシーに伝えることにした。


 兄上の話を聞いたルーシーは、目を閉じて思案をしている。


「今すぐにルシラ殿下に父を糾弾していただきたいわけではありません。しばらくの間、私たちの行動に目を瞑って頂きたいのです」


 続けて兄上がルーシーにこの話をした理由を伝える。

 父上は曲りなりにもクローデル伯爵家の当主だ。

 こちらに正義があったとしても、私たちのやろうとしていることは当主へ牙を向くことに他ならない。


「……確かに、伯爵が帝国と通じていたという事実は、見過ごすことはできませんね」


「では――」

「――ですが、今ならまだ手を打てます。例えば貴方たちの妹君にスパイをしてもらう、とかですね。恐らくクローデル伯爵も同じようなことを考えているはずです。それであれば、我が国にも利があるため、伯爵の行為には目を瞑ることになるでしょう」


 ルーシーの最初の言葉を聞いて私たちの側に付いてもらえると思ったが、次の瞬間には彼女は王女殿下の表情に変わり、父上の行いを支持するようなことを言う。


「ごめんなさい、セルマ。貴女の友人としては、貴女が溺愛する妹さんにそんな役目を負わせたくはありません。ですが王女としては、この状況を利用するべきと判断せざるを得ません。相手がエメルト子爵であるなら、なおさらです」


 エメルト子爵は、ソフィアが嫁入りする予定である帝国の貴族だ。

 かの家が帝国の軍部に明るいことは周知の事実であるから、この婚約はその家にソフィアを潜り込ませられる大義名分を得たと考えることもできる。


「周辺諸国の協力は取り付けられましたが、それでも我が国が劣勢であることに変わりはありません。取れる手段は取っておきたいのです。それに、今ここでダルアーネの迷宮を氾濫させるわけには参りません。氾濫によって他国の方が傷つくようなことになってしまえば、連合軍の方にも影響が出てしまう恐れがありますので」


「…………」


 ルーシーの言っていることも理解できる。


 だが、納得はできない。


 ソフィアの犠牲を強いらなければ勝てない戦争なら、そんなもの、負けてしまえばいい。


「ルシラ殿下の意見はわかりました。では、私はこれから《夜天の銀兎》の探索者として・・・・・・動きます」


 私がそう口を開くと、ルーシーの表情が僅かに緩む。

 彼女に誘導させられているような気がしてならないが、今の私にはこの選択肢しかない。


「迷宮が氾濫する可能性がある・・・・・・というのなら、探索者として見過ごせません。ダルアーネ近郊にある迷宮を攻略してきます」


「ギルドの許可なく迷宮を攻略したとなれば、貴女の探索者資格が剝奪されてしまう可能性もありますよ?」


 ルーシーの言う通り、迷宮は探索者ギルドが管理している。

 各地の魔石の供給量などを鑑みて迷宮の攻略を探索者に依頼することもあるが、基本的には迷宮を攻略することは無い。


 今、オルンたちが国内の迷宮をいくつも攻略しているのは、異例中の異例だ。


「その心配には及びません。予定ではオルンが近々ダルアーネここにやってきます。現在の彼は、対象の迷宮を攻略する権限の他に、対象外の迷宮でも彼の一存で攻略できる権限も持っています。ですので、彼に私の行動を追認してもらうつもりです」


 あくまで帝国との縁談に応じる理由は、迷宮の氾濫から領民を守るためだ。

 その迷宮が無くなれば氾濫が起こることもないので、ソフィアを帝国に渡す必要は無い。


 そもそもこちらが帝国の要望に応じてソフィアと帝国貴族の婚姻が成立したとしても、帝国が氾濫を引き起こさないという保証は無い。

 いや、帝国と王国の関係を考えれば、氾濫を起こさない可能性の方が低いまである。


 私の考えを聞いたルーシーは、正解と言わんばかりの満面の笑みで頷いた。


 ルーシーは私たちから話を聞いた時点で、前述の可能性も含めて、あらゆる可能性に思い至っているはずだ。

 彼女の異常なまでの思考能力は、学生時代に幾度となく見てきた。


 彼女は〝ルシラ殿下〟の立場的に、迷宮を攻略して縁談を有耶無耶にする手段を取るのが難しかった。

 だから、私が自ら迷宮攻略に乗り出すように、会話の中で私を誘導していたのだろう。


 全く、貴族も王族も本当に面倒くさいな。


 とはいえ、私が迷宮の攻略に乗り出した際のメリットが存在しなければ、ルーシーも王女の立場を前面に出して攻略を許さなかったはずだ。

 彼女の見出したメリットが何かまではわからないが、彼女は何手も先を見据えて行動している人間だ。

 相応のメリットがあるのだろう。


 そして、ルーシーが締めくくるように口を開いた。


「なるほど。探索者であるセルマがそう決めたのであれば、私に貴女を止める術はありませんね。そして、迷宮が無くなり、クローデル伯爵が帝国と取引をしていた事実のみが残るのであれば、私も彼を糾弾しないといけませんね」


 なんとも白々しいものであったが、これで方針は決まった。

 それぞれの思惑が絡まっているが、要するに、ダルアーネの迷宮を攻略することで、物事は私の都合の良い方向へと転がってくれるということだ。

 

  ◇

 

『ソフィア、もう少しだけ待っていてくれ。必ず私が助けるからな!』


 ダルアーネ近郊にある迷宮の入り口までやって来たところで、ダルアーネのどこかに居るソフィアへと再度念話を飛ばす。

 しかし、相変わらずソフィアからの返事は無い。


 私が迷宮攻略をしている間に、兄上が父上からソフィアの居場所を聞き出す手筈になっている。

 私の異能がもっと詳細に相手の位置のわかるものであれば良かったのだが。


 いや、今は嘆いている時間は無い。


 具体的な日数まではわからないが、ソフィアを帝国に引き渡すまで、日数はあまり残っていないだろう。

 父上がソフィアを何日も面倒見るとも思えないからな。


 早々に迷宮を攻略して、父上を当主の座から引きずり降ろさなければならないため、あまり時間に余裕はない。


「……よし、行くぞ!」


 気合を入れ直した私は、一人で・・・迷宮へと足を踏み入れた。


 連合軍の組織が決定したとしても、未だにルーシーは外交をいくつも抱えている。

 加えてこの状況で、大々的に動くことができない。


 そこで、今回の攻略は私一人で行うことになった。


 私もSランク探索者の一人だ。

 普通の迷宮であれば、単騎でも難なく攻略することができると断言できる。


 だが、今私が潜っている迷宮は、どうやら大迷宮の下層に生息する魔獣にも匹敵する魔獣も居ると聞いている。


 それらが相手となると、戦闘能力がSランク探索者の中で下位に位置する私では、相当苦戦することになるだろうな。

 それでも、これ以上ソフィアを苦しませないためにも、私がこの迷宮を攻略するしかないんだ!


 


 魔獣を魔術で仕留めながら、荒野のような迷宮の階層を進めていくと、私の腰程度の高さの蜘蛛の魔獣が数体現れた。


「……事前情報に無い魔獣だな」


 この迷宮に潜る前に、この迷宮の情報は粗方確認したが、こんな蜘蛛の魔獣が現れるなんて情報は無かった。

 十中八九この魔獣が新種の一体だろう。


 そんなことを考えながら術式構築をしていると、蜘蛛たちが私を拘束するべく、糸を吐き出してくる。


 それらの糸が私の身体をすり抜ける・・・・・


 私はこの迷宮に入ってから、常時オリジナル魔術である【幻影ファントム】を発動している。

 この蜘蛛たちが攻撃したのは、私の幻影だ。


「【火槍ファイアジャベリン】!」


 幻影の陰から、それぞれの蜘蛛に対して火の槍を撃ち出す。


「……大迷宮下層相当の魔獣というのは、嘘じゃないようだな」


 下層の魔獣は特級魔術でも一撃で倒すのは困難な相手だ。


 火の槍は蜘蛛にダメージを与えることができているが、討伐には程遠い。


 【幻影ファントム】を駆使して、蜘蛛の目をくらませながら立ち回る。


「これは、余力を残すなんて悠長なことはしていられないな! ――【超爆発エクスプロード】!」


 自身に各種バフを掛けながら、特級魔術や上級魔術を容赦なく叩きこんでいく。


 今回は耐えられなかったようで、蜘蛛たちは黒い霧へと変化し、その場には魔石のみが残る。


 蜘蛛の魔獣を討伐してからも、私は迷宮の最深部を目指して進み続けた。

 

  ◇

 

「はぁ……はぁ……はぁ……。くそっ、まだ二十層の半ばだというのに……」


 魔術の使い過ぎで、頭痛を通り越して鼻血まで流れてきている状況に、愚痴を零す。


 迷宮に潜り始めてから既に二日以上が経過していた。


 この迷宮は二十七層で構成されている。

 各階層の広さもかなりのもので、迷宮の中では最大級の規模だ。


 階層を更新するたびに地上に戻って休息を入れているため、ペースは遅いが確実に階層を進められている。


 階層を進める度に魔獣の数が増えているものの、何とか次の階層である二十一層まで到達できる見込みだった。


 しかし、中程まで進んだところで、十体を超える数の赤黒い毛並みをしたオオカミの群れに遭遇した。

 こいつらも事前情報には無い新種の魔獣だ。


 オオカミは一体一体が大迷宮下層相当であり、そいつらが連携して私を喰らおうとしてくる。

 それでも【幻影ファントム】や支援魔術を駆使して、守り重視の戦いでどうにか倒せる見通しだった。

 ――しかし、オオカミたちを討伐する前に、私の脳が悲鳴を上げてしまった。


「ここ、までなのか……?」


 視界も思考も霞みはじめた絶望的な状況に、つい弱音が漏れる。


 私が今居る場所は二十層の真ん中辺り。

 つまり、進むにしても戻るにしても、かなりの距離があるということだ。

 このオオカミたちも絶望的だが、万が一勝てたとしても、各階層の入り口にある水晶にたどり着く前に他の魔獣にやられるだろう。


 私の攻撃手段は魔術だ。

 接近戦についても必要最低限はできるが、視界も思考も霞んでいるこの状況でオオカミに通じるほどの攻撃を繰り出すことは難しい。


 オオカミたちはガルルと唸りながら、私の逃げ場を塞ぐように囲っていた。


 包囲網が完成すると、私の背後に居たオオカミの一体が私に突っ込んでくる。


「っ! 【岩棘ロックニードル】!」


 頭痛を無視して術式構築をするのは、中級の攻撃魔術が限界だった。


 それでも何とか完成させた術式に魔力を流して、オオカミが通りかかる地面を棘のように隆起させる。


 しかし、オオカミは隆起した棘の先端よりも更に上まで跳躍して私の攻撃を躱すと、そのまま空中で口を大きく開き、私の首元を噛み千切ろうとすごい速さで接近してくる。


(これは、躱せない……! すまない、ソフィア。お前を助けることも出来ず、先に死んでしまうことになって――)


 探索者をやっている以上、魔獣に殺される覚悟はしていた。

 当然やるせない気持ちは残っているが、今の私にこの状況を覆すだけの力は残っていない。


 まともに体を動かすことも出来ず、思考すらままならない私に迫ってくる〝死〟に対して、私は抗うことなく受け入れるように目を閉じた。


 数舜後には激痛と共に私の意識は無くなるんだと――そう思っていた。


 


 私の横を何か通り過ぎたかのように、一陣の風が吹く。


 


 いくら待っても死が訪れなかったため、恐る恐る目を開ける。


 私の視界に移ったのは、黒と青を基調としたコートを身に纏った青年だった。

 そして、彼の握る漆黒の魔力で作られた剣によって、私に迫ってきていたオオカミは両断されていた。


「良かった! 間に合った! セルマさん、生きてる?」


「…………オルン?」


 私の目の前に、この場に居るはずのない私の頼れる仲間であるオルンが、心配そうな表情でこちらを見てくる。


「一人で大変だったよな。でも、もう大丈夫だ。後は俺に任せてくれ」


 そう言いながら笑いかけてくるオルンの表情を見た私は、安心したためか、気が付くと涙が頬を伝っていた。


「――さて、と。犬ども、よくも俺の大切な仲間を傷つけてくれたな。覚悟はできているんだろうな?」


 オオカミたちに向き直ったオルンが、怒りの孕んだ声を発する。

 そして、オルンの怒りが伝播しているかのように、周囲の空気が振動しているように感じる。


「【弐ノ型モント・ツヴァイ】」


 オルンの魔剣が二振りの短剣に変化すると、目の前に居るオルンの姿がブレた。


 魔術の使い過ぎによるものかとも思ったが、その直後、一瞬のうちに私の周囲に漆黒の軌跡が描かれ、その軌跡が残っていたオオカミたちを黒い霧に変えた。


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