197.【sideセルマ】貴族の責務

 

  ◇ ◇ ◇

 

(はぁ……。やはり私には、この空気感が肌には合わないな)


 ルシラ殿下ルーシーとともにダルアーネにやってきた私は、今日まで彼女の補佐役として動いていた。

 ルーシーの呼びかけに応えて、ダルアーネに来てくれた他国の使者との交渉も無事に終わり、連合軍が組織できることが先ほど決定したところだ。

 そして今は、懇親も兼ねたパーティーを行っている。


 私は、表面上フワフワしていて、その実ドロドロとしているこの雰囲気が肌に合わず、貴族社会から距離を置くために探索者になった。

 と言っても、探索者になってからも何度かはパーティーに参加している。


 クローデル家の長女として生まれた以上、こういったパーティーに出席するのも仕方ないこととわかっていても、やはり気持ちは落ち込んでしまう。


 今の私の上司にあたるルーシーは、そんな会場の中心でお手本通りの笑みを浮かべながら様々な人との会話に花を咲かせていた。


 私も自分の感情を押し殺して、貴族令嬢としての仮面を被って何とかパーティーを乗り切った。


 


「ふふふっ、やはりパーティー会場でのセルマは新鮮で飽きませんね」


 ルーシーがころころと笑いながら、私をからかってくる。


 パーティーが終わり、クローデル家の屋敷における私の自室で、ルーシーと彼女の護衛役であるローレッタローレと三人で秘密の夜会をしていた。


 私たち三人は貴族院の同級生として、学生時代からよく一緒に行動をしていたため、今でも仲が良い。


「私は探索者だからな。今回はお前の顔を立てるために出席したが、やはり私の肌には合わん」


「嫌なところに付き合わせてごめんなさい。でもセルマが参加してくれたのは大きかったですよ。なんたって、《大陸最高の付与術士》として周辺諸国にも名が知れ渡っている美人探索者ですもの。今回の一件で他国からの求婚もあるかもしれませんね」


「……結婚か。いつかはすることになるんだろうが、今はまだ自由気ままに探索者を続けたいな」


 私たち三人は今年で二十三歳。

 他国の貴族では既に結婚していてもおかしくない年齢だが、この国ではちょうど相手を探し出す年齢だ。

 私はこのまま平民に身を落としても良いと思っているが、流石にそれは父上が了承しないだろう。

 貴族の一員である以上、家のために結婚することは覚悟しているし、相手を選り好みするつもりはないが、話の合う相手が良いとは思っている。


「まぁ、結婚は王族や貴族である私たちとは切っても切れないものですから。私も少し前までは王城内で縁談の話なんかもちらほらありました。帝国とのことがあってそんな話をしている場合ではなくなりましたが」


「セルマ、知ってる? ルーシーは帝国との一件が無ければ、オルンを結婚相手として考えていたんだよ?」


「……は? オルンって《夜天の銀兎ウチ》の探索者のか?」


 ローレがいきなりとんでもないことを口にした。

 寝耳に水過ぎて、一瞬思考が止まる。


「ローレ!? いきなり何を言っているのですか!?」


「何って、ルーシーが言っていたことじゃないか。『〝王国の英雄〟であり、帝国の第一次侵攻を防いだの真の立役者である彼なら、騎士爵位を賜るには充分な功績だ』と」


 ノヒタント王国における貴族の爵位は、公侯伯子男の五つの階級に分かれている。

 しかし、国が無視できないほどの功績を上げた平民であれば、一代限りの爵位として騎士爵を賜ることができる。

 そんな人物は王国の長い歴史の中でも片手で数える程度だが、確かに国としてもオルンは確保しておきたい人材だろう。

 探索者である以上、オルンがずっとツトライルやこの国で一生暮らすなんて保証なんて無いわけだしな。

 《夜天の銀兎》の探索者である以上、一時的に他国に行くことはあっても、他国に永住する可能性も低いが。


 だがまぁ、オルンが爵位を欲しがるとも思わない。

 無理やり取り込もうとしても良い方向には転ばないだろうことは、この一年間オルンと接した私なら容易に想像ができる。


「確かに言いましたよ!? でも、あれは冗談じゃないですか!」


 ローレの発言に、私以上にルーシーが慌てふためいている。

 相変わらず、人を手のひらの上で転がして楽しむようなやつなのに、こういうのには弱いんだな。


「そうだったのかい? そう言ってた時のルーシーの表情は、本気そのものに見えたんだけどなー」


「そうやっていつも主である私をからかって! そういうローレはどうなんですか? 結婚しないのですか?」


「私は婚約者がいるけど?」


「「え!?」」


 てっきりローレも結婚とは無縁の人間だと思っていたから、ローレの『婚約者がいる』発言には、ルーシーとともに驚きの声を上げてしまった。


「き、聞いてませんよ!? いつ!? いつ、婚約したのですか!?」


「決まったのは昨年の秋ごろで、国も慌ただしい状況だったし、まだ両家しか知らないことだからね。あ、いや、王太子殿下は知っているか」


「何故、お兄様には話していて、主である私には話してくれなかったのですか!? おかしいです! そんなの認めません! 今すぐ話してください!」


 それからも三人で、まるで学生時代に戻った時のようなひと時を過ごした。


 近日中には王国と帝国の戦端が開かれるとも言われている。

 いや、まだその情報がダルアーネまで届いていないだけで、既に開戦している可能性もある。


 曲がりなりにも私たちは王侯貴族の一員だ。

 明日もまた王国のために働かないとな。


 私が探索者に戻れるのはもう少し先になりそうだ。

 

  ◇

 

 翌朝、目を覚ました私は、ルーシーの元へ向かうために屋敷内を歩いていた。


(……ん?)


 その移動中、なんとも言えない違和感が私を襲った。

 そして、すぐにその正体がわかった。


 それは、ここに居るはずのない人間の存在を、私の異能が捉えたからだ。


『……ソフィア?』


『え? お姉、ちゃん?』


 頭の中にソフィアの声が響いた。


 私の異能は【精神感応】。

 私を中心に半径数キロ内に居る人間と、言葉を交わさずに話ができるというものだ。

 そして、その異能の拡大解釈で、異能の範囲内に居る人間を捉えることができる。

 と言っても、その人物が誰かまで判断が付くのは、よく念話で話をしている人物のみとなる。

 例えば、第一部隊のメンバーやエステラ、総長など。


 しかし残念なことに、異能でその人物たちを捉えることができても、相手の居場所がわかるわけではない。

 なんとも活用しにくい効果だ。


 当然、相手がわかる人物の中には、一番念話をしているソフィアも含まれる。


 『あり得ない』、それが、今私の頭の中に浮かんだ感想だった。

 東の国境付近であるダルアーネから王国の中央部に位置するツトライルまで、念話を飛ばすことは不可能だ。


 なのに、【精神感応】でソフィアと念話ができるということは、ソフィアが私の異能の範囲内に居ることに他ならないということになる。


『ソフィア、今どこに居るんだ……?』


『…………ご、ごめんね、お姉ちゃん。私のことは、もう……、忘れて……!』


『な、何を、言っている……? おい、ソフィア! どういうことだ!?』


 ソフィアはその言葉を最後に、私の念話に応じることは無かった。


 今も【精神感応】はソフィアの存在を捉えている。

 それなのに返事が無いということは、彼女が自主的に念話を拒んでいることになる。


 ソフィアの最後の声は、今にも泣きそうなほどか細いものだった。

 私がツトライルを離れていた間に、ソフィアに何があったんだ……?


「セルマ? そんなところで突っ立って、何をしているんだ? 通行の邪魔だぞ」


 想定外の出来事に足を止めていた私の背後から男の声が聞こえる。


 振り返ると、そこには私やソフィアと同じ緋色の髪をした二十代後半の男が、訝しげにこちらに視線を向けてきていた。


「……兄上」


 彼の名前はマリウス・クローデル。

 私の兄であり、クローデル伯爵家の次期当主だ。


「顔色が悪いな。昨日ルシラ殿下を自室に招いていたようだが、寝不足になるまで話し込んでいたのか? ほどほどにしておけよ」


 ぶっきらぼうな口調でありながら、その中には私を心配する気持ちが見え隠れしている。


 彼は幼少の頃に一番尊敬していた人物であった。

 優秀で、優しくて、領民からも慕われる文句のつけようのない男だ。

 妹である私にも色々なことを教えてくれて、私が失敗しても庇ってくれるような〝理想的な兄〟であった。

 ――私にとっては。


 今でも兄上のことは尊敬している。


 だが、彼は同じ妹であるソフィアには徹底的に無関心を貫いている。

 そんな兄を責めたこともあるが、その時に『家の汚点に付き合っている暇は無い』と一蹴され、それから少しずつ私と兄の心の距離が離れていくことになった。


「……ソフィアはどこだ?」


 自分でも驚くほど低い声で兄上に問いかける。


「…………。何故今ここでそんな名前が出てくる?」


 一瞬だけ眉を顰めた兄上が、無表情に変えてから質問を返してきた。


「……あくまで惚けるということか」


「ふむ…………」


 私がなおも兄上を睨んでいると、兄上は顎に手をやり思案を始めた。

 それから私の目を真っ直ぐに・・・・・見据えると、口を開いた。


「やはり記憶に無いな。俺はこれから親父と話をしないといけないことがあるから、これで失礼する。……セルマ、お前は疲れているんだろう? さっきも言ったが、ひどい顔をしているぞ。そんなお前を見れば、みんな心配することになる。今は誰にも姿を見せずに・・・・・・休んでいた方が良いだろう」


 私の問いに対して記憶に無いと言った兄上は、その後、助言を残してから私の脇を通り過ぎていく。

 

  ◇ ◇ ◇

 

 セルマからソフィアの名前を聞いた彼女の兄――マリウスは、彼の父であるクローデル伯爵の執務室を訪れていた。


 その脇には、クローデル伯爵の右腕であるアルドが控えている。


「親父、聞きたいことがあるんだが、少しいいか?」


「坊ちゃん、今は他国の使節団が訪れていて、一つでも多く他国との取引を増やすために動くという方針だろ? こんなところで油を売っていていいのか?」


 マリウスが伯爵に質問をしたいと声を掛けたが、それに答えたのはアルドだった。


しくじった・・・・・お前に言われたくないね」


 そんなアルドをマリウスが一蹴する。


「……この俺が、何をしくじっただと?」


 マリウスの言葉を聞いて、一気に不機嫌になったアルドが発した声は怒りで震えていた。


街から・・・、緋色の髪を二つ結びにした少女の目撃情報がいくつも上がっているぞ?」


「「っ!?」」


 マリウスが言外にソフィアの姿を領民に見られていたことを二人に告げると、それを聞いた二人の目が見開かれる。


俺の妹・・・を使って何かしようと企んでいるんだろうが、杜撰が過ぎる。アルドが言った通り、今ダルアーネには周辺諸国の要人が大勢来ているんだぞ? 何を企んでいるのか、とっとと吐け。必要に応じて俺がその計画を修正してやる・・・・・・。領民への説明をするにも、この中で一番慕われている俺が適任だろ?」


「…………」


 伯爵が忌々し気にマリウスを睨みつけるが、しばらくしてから息を吐いて「わかった」と言ってから、


「今年の初め、国王陛下の訃報が届いてから少し経ったころだ。この領にとある帝国貴族が秘密裏に訪れてきた――」


 ぽつりぽつりと話し始めた。


 ダルアーネにやってきた帝国貴族から、迷宮の氾濫を人為的に起こす術を身に付けていることを知らされたこと。


 現在、ダルアーネ近郊にある迷宮には、大迷宮の下層に生息していてもおかしくないほど強力な魔獣が、大量に存在していること。


 帝国貴族が、ソフィアを差し出すなら氾濫は起こさないことを約束すると言ってきたこと。


 名目上は結婚という形で、ソフィアを帝国に引き渡すことに合意したこと。


「これは領民を救うためだ。あの娘一人で領民を救えるなら安いモノだろ?」


「……事情は把握した。やはり、領民の命が懸かっているほど重要な案件を、アンタらには任せていられない。ここからは俺がその件を主導する。ソフィアの姿を見られるなんて失敗をしているんだ。文句は無いよな?」


「あぁ、わかった。マリウス、これ以上の失敗は許さないぞ」


 伯爵の承諾を得たところで、マリウスはその部屋から出ていく。


「色に溺れた獣に言われたくねぇよ」


 その際吐き捨てたマリウスの軽蔑の乗った言葉は、二人の耳には届かなかった。


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