183.懺悔

 距離を詰めてくるゲイリーへと左腕を軽く伸ばして距離感を掴む。

 左手の指先がゲイリーに触れる瞬間に突進の勢いを利用し、往なすようにして彼の背後に回り込んだ。

 そのまま地面に組み伏せようとしたところで、再び地面から先端の尖った木の枝のようなものが複数本飛び出してきたため、それらを躱しながら背後へと飛ぶ。


 ちょうど俺たちの場所が入れ替わったかたちとなる。


 それはつまり、先ほど生えた低木が俺の傍に在るということ。


 低木から蔓が伸びると、それらがムチのように俺に襲い掛かってくる。


「……チッ」


 蔓による攻撃に注意を割いたタイミングでゲイリーが再び肉薄してくる。

 万全の状態で迎撃しようにも、蔓による妨害に遭い反撃にまでは至れなかった。


 至近距離まで詰めてきたゲイリーが俺に蹴りを叩きこんでくる。

 それを左前腕で受けるが、耐えきれずに後方へと蹴り飛ばされる。


 受け身を取ってから再び左腕に回復魔術を掛けていると、周囲に紅葉のようなものが舞っていた。


 季節外れの紅葉に一瞬目を奪われるが、それらが突如爆発する。

 幸いにして、威力は低かったため大したダメージにはなっていない。


 視界を確保するために周囲の煙を吹き飛ばすと、目の前に現れたゲイリーが木でできた巨大な槌を振るおうとしているところだった。


「――っ!?」


 即座に【反射障壁リフレクティブ・ウォール】を発動して、振るわれた槌を跳ね返す。


 槌の軌道が突然逆方向になったことでゲイリーは大きく体勢を崩していた。


 右手に握る魔剣シュヴァルツハーゼで槌を持っているゲイリーの両腕を斬り飛ばす。

 その勢いのまま回し蹴りをゲイリーの腹部に叩きこんで、強制的に距離を空ける。


(……何を躊躇しているんだよ。今のゲイリーは尊敬していた探索者ではない。教団に所属している俺の敵だ)


 自分に言い聞かせるように心の中で呟く。


 深層のフロアボスの特徴を反映しているといっても所詮はまがい物だ。

 オリジナルには程遠い。

 仮にゲイリーの意識が残っていたとしたら、人間の知性と魔獣の能力の両方を兼ね備えた面倒な敵になっていただろうが、今のゲイリーからは生者の気配が感じ取れない。


 これまでの攻防でゲイリーを仕留める機会はいくらでもあった。

 だというのに、ゲイリーを仕留めることに対して躊躇っている自分がいる。


『――もう、殺してくれ……』


 無駄な思考を削ぎ落すために深呼吸をしようとしたところで、まるでセルマさんの異能である【精神感応】のように、頭の中にゲイリーの声が響いたような気がした。


『俺が、ウォーレンを……? なんで、あんなことを……』


 再び頭の中にゲイリーの声が響く。

 気のせいかとも思ったが、どうやら違うようだ。


 その声音は己の行動を悔いるような、後悔の念の強いものだった。


「ゲイリー……?」


 彼に声を掛けるも俺の声に対する反応は無く、腕の傷口から新たな腕が生えていた。

 腕を取り戻した彼は再び俺に突っ込んでくる。


 襲い掛かってくる拳や蹴りを往なし、その隙を埋めるように発動される魔法を躱しながら、ゲイリーの心の声を聞き続ける。


 ――仲間たちが派手に活躍していて肩身の狭い思いをしていたが、仲間たちは自分が必要だと言ってくれていたこと。


 ――《アムンツァース》に仲間を殺され、自分の実力不足を呪ったこと。


 ――《金色の残響勇者パーティ》を立て直すのに実力不足の自分が居ては邪魔になると考え、自らウォーレンやアルバートと距離を取ったこと。


 ――これからどうするか考えていたところに、自分たちを助けてくれた隻眼の剣士の部下を名乗る人物が現れ教団に勧誘されたこと。


 ――教団に厄介になっているときに、同時期に・・・・加入したフィリー・カーペンターが話し相手になってくれたこと。


 ――次第に仲間たちへの劣等感を膨らませ、自分の実力や価値を証明するために教団の利になることを積極的に行ったこと。


 ――そして遂には、ノヒタント王国の国王やウォーレンを殺害し、王国と帝国の戦争を決定的なものにしたこと。


 俺を殺そうと攻撃を繰り返すゲイリーの身体とは反対に、彼の心は自分の死を望んでいて延々と自身の後悔を綴っている。


 ゲイリーのやってきたことは、決して赦されるものではない。

 だが、多少は同情の余地もあるのではないかとも思う。

 彼の心の声が真実であるなら、彼は短くない時間をフィリー・カーペンターと過ごしていたことになる。

 それはツトライルの領主であるフォーガス侯爵と同じと言える。


 だとすると、彼が劣等感を膨らませた最大の要因はフィリー・カーペンターの【認識改変】ではないか?

 彼はその負の感情を利用されただけに過ぎない。


 巨悪はフィリー・カーペンター――延いては《シクラメン教団》だ。


 俺の誓いは『理不尽なことがあろうと何も失わないように、どんな状況にあろうと大切なものを護れるくらい強くなる』ことだ。

 しかし、俺は神ではない。

 全てを失い、この誓いを立ててから十年以上が経っている。

 これまでに数えきれないほどの出来事があって、次第に〝大切なもの〟が増えていった。

 その全てを護ることはできないとわかっている。

 だからこそ〝選択〟をしないといけない。


 ゲイリー・オライルという探索者の足跡は、オルン・ドゥーラという探索者に一番影響を与えたものだ。

 だから彼の足跡も俺にとって〝大切なもの〟と言える。

 しかし、今のゲイリーが自分の意に反して暴れている以上、他の大切なものに危害を加える可能性が極めて高い。


 この選択は間違えているのかもしれない。

 それでも俺はこの選択を取る。

 他の大切なものを護るために。

 何よりも、尊敬する探索者・・・・・・・がこれ以上苦しまなくて済むように。


「はっ、完全に身勝手な行動だ。本当に俺は弱いな……」


 自嘲するような声を漏らしながら、未だに連撃を繰り出しているゲイリーの攻撃を掻い潜り、その胸にシュヴァルツハーゼを突き刺す。




 シュヴァルツハーゼから手を離すと、ゲイリーが力無く仰向けに倒れた。


 異形の姿に変えられたゲイリーの瞳が初めて動き、その視線が俺に向けられていることがわかる。


 彼は俺を視界に捉えると顔を綻ばせながら、


『あぁ、そうか、お前がそうだったのか・・・・・・・……。ありがとう』


 頭の中にゲイリーの穏やかな声が響いた。


「感謝されるようなことはしていません。俺はただ単に自分の都合を押し付けただけですから」


 今回は俺の声が届いたのか、俺の返答にゲイリーが驚いたような表情をする。


『そうか、《夜天の銀兎》にはセルマが居たな・・・・・・・。ははは……、これはお前らの誤算だろ、スティーグ、そしてフィリー』


 何が可笑しいのかわからないが、ゲイリーは今の状況に笑っている。

 その笑いが収まると、彼は真剣な表情で再び俺に声を掛けてくる。


『今も俺の声が聞こえているか?』


 ゲイリーの問いに俺は頷く。

 おそらく俺に遺言を残そうとしているのだろう。

 だったら俺はそれを聞き届ける義務がある。


『もう時間が無いだろうから端的に話す――』


 そう話し始めたゲイリーは、魔獣が死んだときと同様に足元から次第に黒い霧に変わり始めていた。


『ダウニング商会の商会長、クリストファー・ダウニングと接触しろ。だが、このことが教団に知られれば全てが終わる。だからできるだけ人は介するな。このことは誰にも話すな』


 ダウニング商会といえば、大陸全土に支店を持つ大陸有数の商会だ。

 そこの商会長と接触することにどんな意味が……?

 ゲイリーの意図がいまいちわからない。


 しかし、彼は教団の幹部まであと一歩というところまで上り詰めた人物だ。

 何やらこの世界には秘密があって、その秘密を知っている彼がそう言うってことは何かしら意味のあることなのだと思う。


『それともう一つ、お前は約十年前にフィリーと接触している』


「…………え?」


 思いがけないゲイリーの言葉に間抜けな声が漏れる。


(俺がフィリーと十年前に接触している……? 俺が彼女を見たのは昨年の教導探索の翌日、探索者ギルドで黒竜について報告したあの場だけのはずだ。それ以前に彼女と会った記憶を俺は持っていない。これが事実だとするなら、それはつまり――)

 

『俺の言っている意味がわかるな? 自分の当たり前を疑え・・・・・・・。それは歪められた真実である可能性が高い』


「……ぐっ……ぁ……」


 ゲイリーの言葉を聞いた俺は、今までで一番大きな頭痛に苛まれた。

 頭が割れるように痛い。

 これではまるで、これ以上考えることを頭が否定しているようじゃないか。


『今は深く考えなくていい。だが、頭の片隅には置いておくことをお勧めする』


「どうして貴方は、こんなことを、俺に……? 先ほどの言葉からして、今の内容は教団にとって、マイナスなんじゃないですか?」


『……さて、どうしてだろうな。自分でもよくわからない。だけど、こんな俺・・・・でも真っ直ぐ視てくれるお前に応えたかったのかも知れない』


 ゲイリーの体の大半が黒い霧に変わり、あとは顔だけが残っている状態だった。

 そんな彼は穏やかな笑みを浮かべると、最期の言葉を紡いだ。


『どうか決して折れないでくれ。地獄からお前を応援している。頑張れ、後輩』


 そう告げてきたゲイリーは黒い霧となって消え去った。

 しかし、彼の足跡、そして彼の最後の言葉は俺の中に在り続けた。


 未だ激しい頭痛が続いている。

 言葉を発することも億劫だが、それでも今は言葉を紡がないといけないと自分に言い聞かせ、頭の痛みを無視して口を開く。


「確かに貴方の言葉を受け取りました。これからも前に進み続けます。この先に何があろうとも。だから見守っていてください、先輩」




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