182.ひとでなし

 ゲイリーが振り返り自分を刺した人物を確認する。


「――スティーグ……!? 何の真似だ……!? 俺は、教団の、幹部だぞ……!」


 スティーグと呼ばれた男は清々しいほどの笑みを浮かべながら口を開いた。


「正確には貴方に下された命令が完遂できれば幹部に推薦してもらう、ですよね? 今の貴方は幹部ではありません、虚言を吐くのはやめてください」


 スティーグの言葉にゲイリーが反論しようとするが、ゲイリーの口からは血が零れ、上手く言葉が発せられていない。

 そんな彼を見てスティーグは笑みを深めると再び口を開く。


「それにしても助かりました。貴方を処分した後の言い訳を考えるのが面倒くさかったので。貴方の口の軽さだけには感謝しないといけませんね。では、処分する大義名分も得られたことですし、もう死んでください」


 そう告げたスティーグは、ゲイリーを貫いている刃を捻じりながら勢いよく引き抜く。

 支えを失ったゲイリーが胸と背から大量の血を吹き出しながらその場に倒れた。


「……仲間じゃないのか?」


 怒りで声を震わせながらスティーグに問いかける。


「なんですか?」


「彼はお前の仲間じゃないのかって聞いてんだよ!!」


「私がコレと仲間……? 止めてくださいよ。冗談だとしても、こんな愚物が私の仲間と言われるのは屈辱的ですので」


 俺の質問に答えるスティーグは、地面に横たわっているゲイリーの頭を踏みつけながら刀身に付着しているゲイリーの血を布で拭うと、それを自身の収納魔導具に収納した。

 人の命を奪った直後だというのに、そのことに何の感慨も抱いていなさそうなスティーグを見て不快感が増してくる。


「……お前に人の心は無いのか?」


「ははは。面白いことを言いますね。そんなもの・・・・・あるわけないじゃないですか」


「…………そうか、良く分かったよ。やはり教団は最低な人間の集まりだ!」


 即座に【重力操作】を行使してスティーグの立っている場所の重力を増大させる。

 動くことは当然、腕を上げることすら苦労するほどの重力で奴を拘束する。


 直後脳内で構築した術式に魔力を流して魔術を発動する。

 【火槍ファイアジャベリン】がスティーグを四方から挟み込むようにして襲い掛かる。


 その光景に対してスティーグは「ふむ……」と小さく声を漏らす。

 火の槍は急所を避けているとはいえ、身体を貫かれ、高温に晒されればただでは済まない。

 だというのに、奴は表情をつまらなそうなものに変えると、増大させた重力下をものともせずに右手を自身の胸の前まで持ってきた。


 スティーグが手のひらを上に向けるように右手を開くと、突如【火槍ファイアジャベリン】が奴の右手へと軌道を変える。

 それから火の槍はスティーグに近づくにつれてその形を失っていき、遂には奴の手の平で灯っているかのように揺らめく炎へと変化した。


「まさかとは思いますけど、こんな児戯・・で私を無力化できるなんて、本気で考えてはいないですよね?」


 スティーグが右手を握りしめると揺らめいていた炎がキレイさっぱり消え去る。


「…………」


 俺はスティーグの問いには答えずに、奴の一挙手一投足に最大限の注意を向けることしかできなかった。

 下手に動いたら返り討ちに遭うことが直感的にわかり、冷や汗が頬を伝う。


 奴の言う通り、今の攻撃で捕らえられるとは思っていなかった。

 何らかの形で対処されるだろうと。

 だからこそ【火槍ファイアジャベリン】を対処しているうちに接近して拘束する考えだったが、スティーグの先ほどの一連の動作には隙が一切見当たらなかったことに加えて、見たこともない現象に俺は一歩も動けなかった。


 スティーグが何かをして火の槍から単なる炎に変えたことは明らかだ。

 だが、魔導具を使っているような様子も無いし、異能でも無い・・・・・・


 見慣れない現象には大抵異能が絡んでいる。

 だというのに、今の現象は異能によるものではないと直感が言っている。


 魔術を端的に説明すると、魔力が術式という命令を実行している際の現象のことだ。

 今の現象は、まるで魔力に下されている命令を強制的に上書きしているような、魔術とは違う法則・・・・で魔力に干渉しているような、そんな感じだった。


 俺はその法則を知っているような気がする。


 喉まで出掛かっているはずのに、何かに阻まれているような感覚だ。

 それを裏付けるように、これ以上は今の現象について考えるなと言わんばかりに、考えれば考えるほどに頭の中にモヤがかかったように頭痛の主張が激しくなっていく。


 今の俺は【カルミネーション】で身体能力だけでなく五感もかなり鋭くなっている。

 だというのに、スティーグの気配は奴が現れる直前まで感じ取れなかった。

 それどころか今目の前に居てもその気配は希薄だ。

 それに加えて先ほどの魔術を無力化した現象。


 この男の全てが俺の理解の外側に在る。


 教団にはこんな化け物が居るのか……?


「なるほど、なるほど。ここまで歪んでいる・・・・・んですか。確かにこれは利用したくなる気持ちもわからなくはないですね」


「……なにを言っているんだ?」


「貴方には関係のない話なので気にしないでください。さて、やることも終わったので、これで帰らせてもらいますね」


「逃がすと思っているのか?」


「やめておくことをお勧めしますよ。今の貴方・・・・では天地がひっくり返っても私を止めることはできませんから。それは貴方自身も、理解ができなくとも直感的にわかっているのではありませんか?」


「……っ……」


「賢明な判断です。あぁ、そうそう。これはお返ししますね」


 スティーグはそう言うと、いつの間にか右手に握っていた小さな赤い魔石のようなものをこちらに放ってくる。

 咄嗟にそれに手を伸ばそうとするが、それを掴むよりも前に全身に悪寒が走った。

 その感覚を信じて目の前に魔力障壁を展開すると、その直後に赤い魔石のようなものが爆ぜた。


 直撃は避けられたが衝撃波と熱波が俺に襲い掛かってくる。


 ここにきて先ほどの赤い魔石のようなものの正体が分かった。

 あれは先ほど俺が発動した【火槍ファイアジャベリン】を圧縮して固めたものだろう。

 今の爆発は天閃のような圧縮したものを一気に拡散させたときのような魔力の動きだったから間違いない。


 爆発によって周囲に発生した煙や土埃を風系統の魔術で吹き飛ばす。


 煙が消えると、そこにはスティーグと一緒にダンジョンコアも無くなっていた。

 周囲を警戒するがスティーグの気配は感じ取れない。

 本当に居なくなったのかはわからないが、奴が俺を殺そうとしていたなら既に俺は殺されているだろう。

 悔しいがそれだけの差が俺と奴の間には存在していることは認めなければならない。


「……くそっ」


 自分の中に渦巻いている負の感情をどうにかやり過ごしてから、この場に唯一残されたゲイリーの亡骸の元へ向かう。


 迷宮内で人が亡くなることは珍しいことではない。


 人死にが出る時はパーティが瓦解していることが多い。

 そのまま残った人間だけでその状況を解決する場合もあるが、大抵は生き残った人間だけで撤退するだろう。

 撤退時に亡骸を持ち帰る余裕は無いためその場に残されることになるが、それらの亡骸は迷宮に飲み込まれるらしい。

 亡骸がその場にずっと晒されるということにならないのは、その人にとっても良いことだと思う。

 まぁ、これは生者の身勝手な解釈なのかもしれないが。


 今俺が居る場所は迷宮ではあるが、既に攻略されているため迷宮としての機能を失っている。

 そのためこの場では亡骸が迷宮に飲み込まれることは無い。


 《シクラメン教団》に与する者は全て俺の敵だ。

 そのためゲイリーも俺にとっては敵であることに変わりない。

 でも、仲間に裏切られた挙句にこの場に放置されるなんて、流石に可哀そうだ。

 できることならきちんと埋葬してやりたい。


 そう考えて亡骸を持って帰るために大きめの布で彼を包もうとしたその時――。


「――っ!?」


 ゲイリーの傍の地面から茶色い先端の尖った何かが飛び出してきた。


 油断していたため完全に回避はできず、左腕を深く抉られる。


 地面を蹴ってゲイリーから距離を取りながら、抉られた左腕を魔術で治癒する。


「木の、枝……?」


 距離を取ってから飛び出してきたものを確認すると、それは細い木の枝のようなものだった。


 その木の枝は徐々に幹のように太くなっていき、やがて二メートルほどの低木へと姿を変える。


 突然木が生えてくる、なんてことは本来あり得ない。

 木を急速に成長させる道具や魔術も存在しない。


 だが、俺には一つだけそれを可能にするものに心当たりがある。


 南の大迷宮九十三層のフロアボスである大蛇の魔法だ。


「こんなことが、あり得るのかよ……」


 あり得ない光景につい声が零れた。


 今日一日で俺の常識ではあり得ないことが頻発している。

 だが、その中でも今回のやつは一番衝撃的なことだったかもしれない。


 俺の視線の先には死んだはずのゲイリーが今にも倒れそうなほど脱力した状態で立っている・・・・・


 しかしその姿は、生きていたころとは大きく変わっていた。

 露出している肌は爬虫類のウロコのようなもので覆われていて、口が頬の辺りまで裂け、瞳孔は蛇のように縦に長いものになっている。


 木がいきなり生えてきた現象、そしてゲイリーの身体に起こった変化は全て大蛇の特徴と一致する。


 まるで魔獣――大蛇の特徴を反映した人間だ。

 そんなありえない存在が、俺の目の前に現れた。


(これは、〝魔人〟とでも呼べばいいのか?)


 何故かわからないが、〝魔人〟という単語は妙にしっくりきた。


 ゲイリーをこんな姿に変えたのは間違いなくスティーグだろう。

 もしかしたらゲイリーを突き刺したあの剣は、人を魔人に変える術式のようなものが刻まれた魔導具なのかもしれない。


「ふざけるなよ、《シクラメン教団》……。殺された上に異形の化け物に変えられる、そんな理不尽なことがまかり通っていいわけないだろうが!」


 目の前で起こった理不尽に怒りの声を上げる。


 俺の声に反応したかのように、大蛇の魔人ゲイリーが今にも倒れそうなほどフラフラな状態からは想像もつかないほどの速さで肉薄してくると、口を大きく開いて襲い掛かってきた。

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