222.虚実混在の記憶②

 

  ◇

 

 テルシェさんに連れられて建物の奥まで進んでいく。

 そのまま床に魔法陣が描かれている部屋へとやってきた。


「これが、転移の魔法陣ですか?」


 俺は魔術の開発もしているため、いくつもの魔法陣を見てきた。

 それでも、目の前に映る魔法陣はあまりにも複雑で、少し見ただけでは全く理解できないものだった。

 まるで、じいちゃんが作る・・・・・・・・魔導具に刻まれている・・・・・・・・・・術式のように・・・・・・


「左様でございます。それでは転移魔術を起動しますので、皆さま魔法陣の上に立ってくださいませ」


 俺たちが魔法陣の書かれている場所まで移動すると、魔法陣が光始める。

 直後、視界が一瞬歪んだ。


「到着いたしました」


「え、もう……?」


 視界が歪んだだけで部屋の形も変わっていないため、テルシェさんにそう言われてもいまいちピンとこない。

 そんな俺の反応を見て、テルシェさんが苦笑いをする。


「少々呆気ないですよね。ですが、正真正銘ここはヒティア公国の首都セレストにあるダウニング商会本店でございます。それでは、商会長の元へ案内いたしますので、もう少々ご足労願います」


 


 転移の魔法陣が描かれた部屋を出ると、確かにそこは先ほど通ったところとは違っていた。


 再びテルシェさんの後ろを付いて歩いていると、その道中で、フウカが珍しく口を開いた。


「クリスとの話の場には、テルシェも同席するの?」


「はい。彼の地・・・へ向かう際には私も同行させていただきたいので、是非ともご同席させていただければと考えております」


「オルン、いいよね?」


 テルシェさんの返答を聞いたフウカが一つ頷くと、俺に同席の許可を求めてきた。

 俺の許可なんて必要ないと思うが……。


「あぁ。フウカとハルトさんが問題視していないなら俺も大丈夫だ」


「ありがとう存じます、オルン様」


「いえ……。それよりもテルシェさん、俺にはもっと砕けた態度で良いですよ? 年上の方にここまで畏まった態度を取られるのは少々むず痒いですし……」


 テルシェさんがハルトさんにあそこまで辛辣な態度を取れるということは、俺やフウカに対する態度はよりも、ハルトさんに対するものの方が素に近いんだろう。


 しかし、テルシェさんは俺の申し出に対して首を横に振った。


「オルン様のご要望には可能な限り応じる所存ですが、申し訳ありません、そのご要望にだけは応じるわけには参りません」


「そう、ですか」


 テルシェさんの声音には並々ならぬ意思のようなものを感じ、食い下がることは憚れた。

 俺が少々居心地の悪さを感じるだけで、特段問題があるわけでもないし、彼女の好きにさせよう。


 それにしても、彼女の声を何度も聞いていると、どこか懐かしい・・・・気持ちが湧き上がってくる。

 もしかして、俺は過去にテルシェさんと面識があるのか……?


 再び答えの出ない思考のドツボに嵌りそうになったところで、 前を歩くテルシェさんが扉の前で立ち止まると、俺たちの方へと振り返る。


「こちらの部屋で商会長がお待ちです」


「テルシェ、案内ありがとう」


  フウカはテルシェさんに礼を言うと、扉に手を掛けて躊躇いなく開く。

 そのまま部屋の中に入っていくフウカを見ていると、背後から「ほら、俺らも入るぞ」とハルトさんに声を掛けられ、部屋の中に足を踏み入れた。

 

  ◇

 

 その部屋は執務室となっていて、そこには片眼鏡モノクルを掛けた二十代後半の優しげな雰囲気の男性が腰かけていた。

 そのモノクルのレンズもハルトさんやテルシェさんが掛けている眼鏡と同じように多くの魔力を内包したものとなっていた。


 男性は俺たちの姿を見ると顔を綻ばせる。


「久しぶりだね、フウカ、ハルト、そして・・・オルン」


 彼の挨拶にフウカとハルトさんがそれぞれ応じていた。

 俺はというと、この人の発言を咀嚼していたため、二人よりもワンテンポ遅れて声を発した。


「…………その言い方、やはり・・・俺は過去に貴方と会ったことがあるんですね、クリストファー・ダウニング商会長」


 モノクルの男性――クリストファーさんは俺の発言を聞いて軽く目を見開く。

 しかし、すぐさま表情を柔らかいものに戻した。


「さすが、というべきかな。フウカやハルトが前もって言っていたわけではないのだろう? 」


 クリストファーさんが感心したように呟くと、視線をハルトさんへ移した。


「あぁ、具体的なことは何も言ってねぇよ。だけど、もしかしたら、俺たちが考えている以上にオルンは情報を持っているんじゃないか、と俺は思っている」


 クリストファーさんは「なるほど」と相槌を打ってから、少し考えるようなそぶりをしている。


 ようやく、俺は自分の本当の記憶と向き合うことになる。


 ヒティア公国へ行くという名目を作り、それを王女の密命として隠した。


 そのうえで、長距離転移というとんでもない方法を使った。


 これはあくまで俺の推測だが、長距離転移を行ったのは、単にその方が早いからということよりも、俺がヒティア公国へやってきたところを誰にも見られない・・・・・・・・ようにするため・・・・・・・なのではないだろうか?


 フウカが以前言っていた通り、この邂逅は俺が思っている以上に大きなものなのだろう。


 本当の過去を知った後も、俺は俺のままで居られるのだろうか?

 これから自分の根底自体が覆される予感がしていて怖いが、ひとつひとつ記憶の齟齬を正していかなくてはならない。


 これは、俺の望んだことなんだ。


 怖くても逃げるわけにはいかない。


 


 意を決して、俺は口を開く。


 


「念のための確認だが、フウカとハルトさんが俺に会わせたかった 、俺の過去を知る人物はクリストファーさんということで良いんだよな?」


 俺の問いにフウカが首を縦に振る。


「……そう。オルンをクリスと会わせること、それが私たちの目的」


「そうか。――では、クリストファーさん。教えてください。俺の過去を」


「勿論だ。だが、その前に自己紹介をさせて欲しい」


「自己紹介、ですか? 貴方がこの商会の長であることは知っていますが」


「あぁ。それも俺の肩書であることは間違いない。だが、君にとってはぽっと出の存在 に過ぎないであろう、どこぞの商会長が、君の過去を語るには少々役不足だと思わないか? それを語るにはふさわしい人物でないといけない」


「まぁ、言わんとすることはわかりますが……」


 俺にとっては、彼と初対面のようなものだ。

 素直に彼の言葉を信じられるのかと言われると、自信を持って頷くのは確かに難しいのも事実だ。


「だからこその自己紹介だ。まぁ、引っ張るようなものではないから、早々に俺の立ち位置を明かそう。――俺は魔導具師だった君の父親――レンス・エヴァンスの一番弟子だ。だから君が小さい頃にも何度か会ったことがあるんだよ」


「…………エヴァンス?」


 頭の中に疑問符がいくつも浮かぶ。


 確かに俺の認識している父さんの名前は『レンス』だ。


 だが、俺の姓は『ドゥーラ』。


 それに、エヴァンスと言ったら……。


「『ドゥーラ』は君の母方の姓だ。師匠せんせい――レンスさんは婿入りだったんだよ。そして、レンスさんは、伝説の魔導具師と評されているカヴァデール・エヴァンスの息子。つまり、君はカヴァデール・エヴァンスの孫ということになる」


「――――」


 思考が一瞬止まる。


(じいちゃんが、俺の祖父……?)


 確かにじいちゃんは俺のことを『孫』だと何度か言っていた。

 だけど、それは比喩のようなものだと思っていた。


 だってそうだろ。

 もう肉親は一人もいないと思っていたんだ。


 なのに、本当はずっと傍で見守ってくれていたなんて……。


「どうだろうか。少しは君の過去を語るに足る人物になったか?」


 クリストファーさんが真っ直ぐに俺を見据えてくる。


「……元々、そんな資格のようなものは必要ありませんでしたよ。ですが、改めてお願いしようと思います。――俺の過去を教えてください」


「ありがとう」


「早速ですが、俺はフィリー・カーペンターから【認識改変】を受けて記憶が改竄されている、これは間違いありませんか?」


 俺の質問にクリストファーさんは首を縦に振った。


「あぁ、間違いない。フィリー・カーペンターと接触したとされる〝あの日〟を境に、君の言動は大きく変化したからな」


「それは、いつなんでしょうか?」


 フィリーとの接触時期について問いかけると、クリストファーさんの顔に影が差す。

 その表情は辛い記憶をのぞき込んでいるような、そんなものに見えた。


「忘れもしない、四聖暦六一九年十月二十日だ」


 重たい雰囲気を漂わせるクリストファーさんが口にした時期と、俺の記憶を照らし合わせる。


 その照合はすぐにできた。


 なぜなら、この時期は俺の人生における大きなターニングポイントの一つなのだから。


「…………俺が、探索者になった・・・・・・・時期ということですか?」


「そうだ。あの時は我々の情報網がツトライルにまで伸びていなかったため、オルンがツトライルで探索者になっていることを俺が知ったのは随分と先になるがな」


「そんな……」


 クリストファーさんの言葉を聞いて、俺は自分の足場が音を立てて崩れていくような感覚に陥る。


 俺は、『理不尽なことが起こっても大切な物を護れるように』と誓い、自分の意思で探索者になったはずだ。


 この誓いすら、フィリー・カーペンターに捏造されたものだとでもいうのか……?


「オルンは探索者になる前のことを、どう記憶しているんだ?」


 俺の様子を見て、クリストファーさんは心配げな目を向けながらも質問をしてくる。


「俺は、地図にも載っていないような寒村で生まれ育ったと記憶しています。その村が野盗に襲われ、身寄りが無くなった俺とオリヴァーはツトライルで探索者になりました」


「『地図にも載っていない寒村』か。それは、具体的にどこだ? 君は記憶力に優れているはずだ。一度見聞きしたことはほぼ記憶できているはず。それなら出身の村の具体的な位置についても答えられるだろ?」


「それ、は……」


 記憶を必死に漁るが、村の位置も村の名前も何も思い出せない。

 それどころか、村の外観も、その村の仲間の顔もぼんやりとしたもので、くっきりと思い出すことはできない。


 探索者になってからであれば、行ったことのある場所や出会った人のことをはっきりと思い出せるのに。


 そのことを俺は、今まで一切気に留めていなかった・・・・・・・・・・・・


 息が苦しくなるほどの動悸に襲われる。


 手足が震え、呼吸が浅くなる。


 頭から鈍く重い痛みが伝わってくる。


「〝あの日〟のことについては、我々も伝え聞いただけだが、オルン、君はその日のことについて、虚構と事実を混濁して記憶している 」


「どういう、意味、ですか?」


「君が生まれ育った場所、我々はそこを〝黎明の里〟と呼んでいたが、そこが敵に襲われたことは事実だ。そして、オルンの両親を含めた里の人間が、君とオリヴァーを除いて全滅したこともな」


「……う、ぐっ……!」


 話を聞いているうちに頭痛は激しさを増していく。

 これまでは、こうなったらそれ以上深く考えることを止めていた。


 しかし、今は思考を止めない。


 今は目を逸らすときではないから。


 苦しくとも自分の過去と向き合うと決めているから。


 


 ――『こんな理不尽、俺は絶対に認めない! 覚えておけ! 俺はいつか必ず、お前らを叩き潰す! 必ずだ!!』


 


 激しい頭痛に襲われながらも、激情とともに誰か・・にそう声を上げたことを思い出した。


 この感情、俺の誓いは偽物ではない。

 これらは本物だと、直感的に理解した。


 クリストファーさんが言った『俺が虚構と事実を混ぜこぜにして記憶している』というのは間違いないのだろう。


 しかし、俺にとってより強い感情が籠っている記憶は、フィリーにも改変することはできなかったと考えるべきか。


 


『――話をしているところ失礼するよ』


 


 頭痛と戦いながら自分の記憶と向き合っていると、頭の中に聞き覚えのある声が響いた。


 加えて、声の主の姿かたちは見えないものの、圧倒的な存在感とともに異質な魔力を感じ取った。


「この声、ティターニアか……?」


『正解。先日ぶりだね、オルン・ドゥーラ』


 俺がティターニアと話をしたのは昨年の七月ごろだ。

 既に一年近くが経過しているが、時間の感覚の違うティターニアにとっては先日の出来事なんだな。


 そんなことを頭の片隅で考えながらも、この場に現れたことに対する疑問が一番大きい。


「……なんで、お前がこんなところに現れるんだ?」


『ダウニング商会とちょっとした取引をしていてね。――と、無駄話をしている場合ではないか。全員・・、ウチの声は聞こえているな?』


 ティターニアの問いに、俺を除くフウカ、ハルトさん、クリストファーさん、テルシェさんの全員が頷く。


 人間は通常、魔力を知覚できない。

 そのため意思を持った魔力のような存在である妖精も、当然ながら知覚することができない。

 妖精を知覚するためには、【精霊支配】という異能か、精霊の瞳が必要だ。


 それなのにこの場の全員がティターニアを知覚している。


(そうか、それで眼鏡か)


 あのレンズに魔力が籠っているように感じたのは当然と言えば当然だった。

 精霊の瞳を加工したレンズだったということだろう。


 だが、俺とフウカは眼鏡をしていない。

 それなのに、何故妖精を知覚できているんだ……?


 そのことに疑問を持つが、そんなものはティターニアの次の発言で吹き飛んだ。


『ツトライルが《シクラメン教団》の襲撃を受けている・・・・・・・・。既に街は壊滅状態だ。現在進行形で死傷者も増え続けている』


 ティターニアの発言に、部屋の中の雰囲気が一気に重たくなる。


 俺自身、自分の耳を疑った。


 頭が真っ白になる。


 ツトライルは俺の居場所だ。


 例え記憶を書き換えられた末にたどり着いた場所だとしても、人生の半分を過ごした場所であることには変わりないし、大切な仲間や友人、知り合いが多く暮らしている。


 そんな場所が《シクラメン教団》の襲撃を受けている……?


(早くツトライルに戻らないと! でも、どうやって……? ここはヒティア公国だ。物理的に距離が離れすぎて――いや、方法はある!)


 最速でツトライルに帰る方法を思いついたところで、フウカが一歩前に出た。


「クリス、すぐにツトライルに戻る。転移魔術の起動キーをちょうだい」


「わかった」


 フウカの言葉に、クリストファーさんが一も二もなく応じると、フウカがダウニング商会に入店した際に店員に見せたのと同じカードのようなものを取り出す。


 そのカードにフウカが自身のカードを触れ合わせた。


「ツトライルに転移できるのか?」


 俺の問いかけにフウカはコクリと頷いた。


 ツァハリーブ王国からここまで一瞬で移動したように、再び転移でツトライルに近づくことを考えていたが、ここから直接ツトライルに転移できるとは思っていなかった。


 もしかして、去年取り潰しになったフロックハート商会をダウニング商会が吸収した理由って……。


「だったら、今すぐにツトライルに戻ろう! クリストファーさん、この話の続きはまたの機会とさせてください」


「勿論だ。早くツトライルに帰った方が良い」


 クリストファーさんとの会話を中断して部屋を出ようとしたところで、テルシェさんが口を開く。


「オルン様、私も同行させてくださいませ」


「テルシェの実力は俺が保証する。テルシェの実力は俺と同等かそれ以上と考えてくれていい」


 彼女の申し出をハルトさんが後押しする。

 今は時間が無いし、戦力は多いに越したことはない。


「わかりました。テルシェさん、力を貸してください!」


「ありがとう存じます」


 ツトライルに向かうメンバーが決まったところで、クリストファーさんと簡単に挨拶を終わらせ、転移魔術の魔法陣がある部屋へと急いだ。

 

  ◇ ◇ ◇

 

 オルンたちが部屋から出ていき静かになった部屋で、クリストファーは顔の前で手を組みながら沈痛な面持ちとなっていた。


「…………状況は、どうなんだ?」


 クリストファーが表情と同じく、暗く沈んだ声を漏らす。


『良くも悪くも、順調・・だね』


「………………そうか。ははは……、今も昔も俺たちは変わらないな……。まさしく世間の評価通り犯罪組織だ。ここまでの人死にを勘定に入れているのだから」


『別にお前たちが殺しているわけではない。殺しているのは教団のクズどもじゃないか』


「だとしても、我々はこれを許容したんだ。亡くなった人、これから亡くなる者にとって、それは度し難いことだろう。その人たちは我々が殺したも同然のことなんだよ」


『…………』


「でも俺は、この敗北・・が意味のあるものだと信じている。結果的にオルンの怒りを買おうとも、それは甘んじて受け入れるさ」


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