221.虚実混在の記憶①
◇ ◇ ◇
ダルアーネを発ってからの道程は順調そのものだ。
今、俺たちはツァハリーブ王国の王都で各々自由行動をしている。
ここ最近は馬車に揺られる毎日であったことから、身体を休めるためだ。
……まぁ実際のところは、フウカがここにあるグラタンが絶品の店に絶対に行きたいと言って譲らなかったことや、ハルトさんもここで済ませておきたい野暮用があるのが理由だったりするが。
俺はというと、暖かな西日の当たるベンチに腰かけながら、先ほど本屋で買った本を読んでいる。
「…………」
とはいえ、本の内容はほとんど頭の中に入ってきていない。
頭を巡っているのは、当然自分の過去について。
俺は、地図にも載っていないような寒村で生まれ育った。
俺が探索者を志したのは、探索者だった祖父が村に現れた魔獣を倒した姿に憧れたためだ。
そんなある日、俺とオリヴァーが不在にしていたタイミングで村が野盗に襲われてしまい、俺たち以外の住民が亡くなってしまった。
殺された村の仲間たちを埋葬しながら俺は誓いを立てた。
『理不尽なことがあろうとも何も失わないように。どんな状況だろうと大切なものを護れるくらいに強くなる』と。
そして、オリヴァーと一緒にツトライルへと向かった。
ツトライルで探索者になった俺たちは、そこでルーナと出会い、三人で探索者パーティを結成した。
それからデリックやアネリを仲間に迎え、南の大迷宮の九十四層に到達し、世間から勇者パーティと呼ばれることになった。
そして、器用貧乏とバカにされながら勇者パーティを追い出され、巡り合わせもあって《夜天の銀兎》に加入することになり、今日に至る。
これが俺の把握している自分の過去の概略だ。
――『自分の
最近は、ゲイリーの最期の言葉が何度も頭を過ぎる。
そのたびに頭痛が激しくなる。
俺の中に答えがない以上、過去について深く考えても仕方がないことは分かっている。
いつもなら、こうなったときフウカやハルトさんと話をすることで無理やり自分の思考を逸らそうとしていた。
だが、生憎とこの場には俺一人しかいない。
ずっと頭の中では様々な考えがぐるぐると回っていて、自分でも自身が徐々に混乱し始めていることがわかる。
出口の見えない迷路に迷いこんだ気分だ。
形容しがたい恐怖が足元から徐々に上ってくる。
振り払おうにも、思考を止めることができない。
頭痛が主張を強める。
心臓が激しく波打つ。
冷たい汗がにじみ出る。
喉が渇く。
俺が過去にフィリー・カーペンターと接触しているのだとするなら、自分の記憶なんて、ほとんど意味を為さない。
彼女は【認識改変】という異能を持っているのだから。
――俺は、何者だ?
俺は、オルン・ドゥーラ。
俺は、《夜天の銀兎》の探索者。
探索者になったのは九歳の頃。
そこからはずっとツトライルで生活していた。
それは、間違い無い、はず。
ツトライルの探索者ギルドにも、それらは記録されている。
当時、拙い報告書を書いたことも、提出後に何度か見返した記憶もある。
【認識改変】を受けていたとしても、文書の内容を改竄することはできないだろうから。
――本当にそうか?
今この場でそれを証明できるものを俺は持っていない。
その記録を見たという記憶すら、改変されたものであるなら?
俺はいつから探索者をやっていたんだ?
そもそも、俺は本当に《夜天の銀兎》の探索者なのか?
――いや、この右手の感覚は本物だ。
自分が羽織っているコートの左胸部分に刺繍されている《夜天の銀兎》の紋章をぎゅっと握って、俺は《夜天の銀兎》の探索者であると、自分に言い聞かせる。
考えれば考えるほどドツボに嵌っていく。
それでも、これまでの俺の生き方が、思考を止めることを許さない。
ほぼ無意識に思考し続ける。
もう、何が本物で、何が偽物なのか、わからない――。
「……ぃ……。……ぉぃ、……。……おい! オルン!」
「――っ!?」
肩を叩かれた感覚で我に返る。
「ハルト、さん……?」
顔を上げると、そこには心配そうな顔をしているハルトさんが居た。
「大丈夫か――って、そんなわけないよな。……一人にして悪かった」
「……いや、用事があったんだろ? 俺なら大丈夫だから。……でも、用が済んだなら早くヒティア公国へ行こう」
ハルトさんには強がったが、酷い頭痛に加えて、信用できない自分の記憶に晒され続けるこの状況は俺の精神を擦り減らすには充分すぎる。
今すぐにでも、俺は自分の本当の過去を知ってこの状況から抜け出したい。
「あぁ。わかってる。ダルアーネを発つ時に俺が言ったこと、覚えているか?」
「『特殊なルートを使う』ってやつか?」
ハルトさんの問いに答えると、彼は満足気に頷いた。
「それだ。俺の野暮用ってのは、その特殊なルートを使うための準備のことだ。オルンが今すぐここを発ちたいと思っていることは充分に理解している。だが、今日はここで一泊して、明日発つことにしてくれねぇか? 今日ここを出発するよりも確実に早くヒティア公国に到着すると約束するからよ」
そう言うハルトさんの表情は真剣そのものだった。
普通に考えれば、物理的距離が変わらない以上、早く出発した方が早く到着することが自明の理だ。
だが、彼にはそう言い切るだけの根拠を持っているのだろう。
フウカとハルトさんは俺に隠し事をしていたことは分かっている。
だけど、俺は二人を
「……わかった。ハルトさんのその言葉、信じるよ」
「ありがとう」
◇
ツァハリーブ王国の王都で一泊した翌日。
集合場所である宿の食堂へと向かうと、既にフウカとハルトさんが待っていた。
「おはよう、二人とも。ごめん、待たせたか?」
「おはよう、オルン」
「おはようさん。俺たちもさっき来たところだから気にすんな。そんじゃ、行くか」
そう言ってハルトさんは歩き出した。
宿を出て彼が向かう先は街の外ではなく、街の中心だった。
そのことに疑問を思いながらも、フウカも気にした様子もなく歩き始めたため、二人に付いて行く。
「……なぁオルン、一つ質問してもいいか?」
街中を歩いていると、ハルトさんが真剣なトーンで質問をしてくる。
彼は普段は飄々としているから、こうして真面目な雰囲気になられると、こちらも必要以上に身構えてしまう。
「あぁ、構わないよ」
「変に思わないで欲しいんだが、お前にとって、勇者パーティを追い出されてから今日まで歩んできた道は
相変わらず真剣な雰囲気で問いかけてきた。
俺の隣を歩くフウカも、普段は我関せずという態度だが、この時ばかりは俺の方を注目しているように感じる。
何故ハルトさんが、しかもこのタイミングで、こんな質問をしてきたのかはわからない。
だけど、冗談や単純な興味からくる質問ではなさそうだ。
だったらここは俺も真剣に答えるべきだろう。
「――後悔は無いよ。少なくとも、今は」
「それは、後悔していた時期があるってことか?」
「いや、後悔するのは未来で、かな。多分だけど」
「…………」
「一年前、《夜天の銀兎》からの勧誘を受けて迷っていた時に、尊敬する人から言われたんだ。『迷ってから決断したことは、必ず後悔する』って。クランへの加入はかなり迷ったからな。いつかは後悔する出来事に遭遇するんだと思う」
これはパーティを追い出されて人との付き合いに臆病になっていた時に、じいちゃんに言われた言葉だ。
あの時の言われたことは、今でもすごく印象に残っている。
俺にとっては自分の価値観にも影響を及ぼしてくれた内容だった。
「――だけど、その時が訪れても、俺はこの選択を納得できると思っている。それだけ今日までの日々は充実したものだったから」
「……そうか」
俺の回答を聞いたハルトさんが、安心したような、それでいて後ろめたそうな、そんな複雑な表情をしながら一言だけ呟く。
フウカについては相変わらずの無表情で、その表情からは何を考えているのか読み取れなかった。
ハルトさんが軽く目を閉じてから息を吐きだす。
再び目を開けた彼はいつも通りの表情に戻っていた。
「変な質問して悪かったな」
「いや、それは全然構わないけど、俺の回答は満足できるものだった?」
「ん? 満足も不満もねぇよ。それはオルンの感じていることで、それが全てだからな。――お、ちょうど着いたな」
ハルトさんが建物の前で足を止める。
彼が止まった先にあったのは、ダウニング商会の支店だった。
二人は俺と会わせようとしている人物のことを答えてくれなかったが、俺の予想では ダウニング商会の商会長であるクリストファー・ダウニングだと思っていた。
だから本店のあるヒティア公国に向かっていると勝手に考えていたが、まさか支店であるこの店に彼が居るのか?
だけどハルトさんは昨日、特殊なルートを使うことで早くヒティア公国に着くと言っていたはずだ。
この国のダウニング商会にやってきたことに疑問を覚えていると、二人が店内へと入っていったため、慌てて二人に付いて行く。
俺たちの入店に気が付いた店員らしき人物が近づいてくる。
「《赤銅の晩霞》のフウカ。例の場所に案内して」
珍しくフウカが前に出ると、何かのカードを取り出してから用件を店員に伝えた。
「お待ちしておりました。支店長より話は伺っております。直ちに準備いたしますので、こちらの部屋で少々お待ちください」
丁重な物腰の店員に応接室へ通された俺たちは、 そこで椅子に腰かける。
店員が部屋から出ていき俺たちだけになったところで、ハルトさんがいきなり収納魔導具から眼鏡を取り出すと、それを掛け始めた。
眼鏡のレンズを見る限り、度は入っていないため伊達メガネのようだ。
だが、ただの伊達メガネとは思えないほどに、レンズには
しかし、魔石が見当たらないから魔導具でもなさそうだ。
あのレンズはなんだ?
「どうだ? 似合ってるか?」
眼鏡を見ていると、俺の視線に気づいたハルトさんが質問してきた。
「似合ってる似合ってない以前に、そろそろ教えてくれ。俺たちはヒティア公国に向かっているんだよな? こんなところで油を売っている場合ではないと思うんだが」
俺が問いかけると、ハルトさんが少し目を瞑った。
彼は余裕があるときに異能を行使する際、いつもこのようにしている。
十中八九異能で周囲を確認したのだろう。
「そうだな。……ここなら誰も居ないから大丈夫だろ」
目を開けたハルトさんがそう呟くと、俺の方へと視線を向けてくる。
「オルンの言う通り、俺たちはヒティア公国へ向かっている。だが、昨日も言ったはずだ。特殊なルートを使うってな」
「その言い方だと、その特殊なルートについて教えてくれるということか?」
「あぁ。ここまで来て勿体ぶるモノでもないから言っちゃうが、要するに転移だ」
「……は? 転移?」
「そ。これから俺たちは、ここからヒティア公国にあるダウニング商会の本店へ一瞬で移動するってわけだ」
「…………」
久しぶりに呆気に取られた。
確かに魔術には【
しかし、その魔術による転移可能な距離はせいぜいが百メートル程度。
ここからヒティア公国まで、どれだけ距離があると思っているんだ。
俺は【
そもそもとして、支援魔術については魔導具による再現ができないと言われている。
【
そんな長距離の転移が可能になったら、冗談抜きでそんなものは革命だ。
社会の在り方そのものが変わると言っても過言ではない。
そんなことを知ってか知らずか、ハルトさんはあっけらかんと転移すると言っている。
これまでと違う意味で頭がくらくらしそうだ……。
「念のために聞くけど、冗談で言ってるわけじゃないんだよな?」
「あぁ、大真面目だ。とはいえ、転移には相当な魔力が必要で、おいそれと使えるものではないらしいぞ。俺は魔術に精通しているわけじゃないから詳しいことは知らないが」
「ダウニング商会が魔導具の開発や販売を生業としている世界有数の商会であるとは知っていたが、長距離転移まで可能にしているとはな……。一つの商会が持つには絶大すぎるだろ……」
ダウニング商会の技術力に戦慄していると、まるでタイミングを見計らったかのように扉をノックする音が聞こえてくる。
それからゆっくりと扉が開かれると、眼鏡を掛け、黒い長い髪を両の肩口で結んでいる侍女服の女性が部屋の中に入ってきた。
「テルシェ、久しぶり」
部屋に入ってきた女性と知り合いだったらしく、フウカが挨拶をすると、テルシェと呼ばれた女性がフウカにお辞儀をしてから返事をする。
「お久しぶりでございます、フウカ様。――ハルトは眼鏡が似合わないわね」
フウカに対しては丁寧な挨拶だったが、ハルトさんに対しては辛辣な言葉を向けていた。
そんな言葉を受けたハルトさんは苦笑いをしている。
「相変わらず俺には容赦ねぇな、テルシェ……。ま、いいや。お前がここに居るってことは、結局お嬢様は目を覚まさなかったのか?」
この女性のハルトさんへの態度はいつものことなのか、ハルトさんは特段気にした様子もなく、彼女に質問を投げる。
「その質問に答えるのは後よ」
しかし、女性はハルトさんの質問に答えることは無く、優雅な足取りで俺の元へとやってきた。
すると、先ほどのフウカへのお辞儀よりもさらに丁寧に感じる所作で一礼をしてくる。
「えっと……」
俺が彼女のそんな態度に戸惑っていると、彼女が口を開く。
「お初にお目にかかります、
「はい。初めまして、テルシェ、さん。こちらこそ、よろしくお願いします。……ん? ハグウェル?」
テルシェさんの仰々しい態度にかなり驚いているが、動揺を隠して挨拶を返す。
直後、彼女の姓に引っかかりを覚えた。
「はい。《夜天の銀兎》に所属しているレイン・ハグウェルは、私の愚妹です」
まさかのレインさんのお姉さんだった。
レインさんはかなり小柄な人だ。
それに対してテルシェさんは長身でスラッとしているため、パッと見では二人が紐づきにくい。
だけど、言われてみれば確かに眼鏡のレンズの奥にある空色の瞳や髪色、顔立ちは、レインさんと似ている気がする。
「そうだったんですね。レインさんにはいつも助けられています」
「愚妹がオルン様のお役に立てていると聞けて安心いたしました。アレは利用価値が無くなったら捨ててしまって構いませんので。――では、参りましょうか」
テルシェさんの言い方に少し引っかかりを覚えたが、この場で触れることでもないと考えて、歩き始めたテルシェさんの背中を追いかけようとしたところで、
「ちょいちょい! 俺の質問は結局無視かよ。
焦ったよう様子のハルトさんがテルシェさんに声を掛ける。
「あぁ。そうだったわね。シ――こほん。お嬢様は今も眠ったままよ。貴方にとっては朗報かしら?」
俺との挨拶のために後回しにしていた質問を思い出したテルシェさんが答える。
質問内容もその回答も俺にはよくわからないものだった。
「別に朗報ってわけじゃねぇよ。でもそうか、もう数カ月経つんだろ。少し心配だな」
「……えぇ、そうね」
返答を聞いたハルトさんが、そのお嬢様という人物を心配するようなことを口にすると、テルシェさんは悲しそうな表情で呟いた。
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