223.ツトライル事変① 波乱の始まり

 

  ◇ ◇ ◇

 

「ソフィー、おっはよ~!」


 《黄昏の月虹》やセルマがツトライルへと帰ってきてから数日が経過したある日、キャロラインが寮のエントランスで読書をしていたソフィアへと声を掛ける。


「おはよう、キャロル。って、もうお昼みたいなものだけどね」


 ソフィアはキャロラインに挨拶をしながら苦笑していた。

 既に時刻はそろそろ十一時を回ろうとしているところだった。


「あははっ、確かに。んー、でも今日初めて会ったわけだし、あたし的にはやっぱ『おはよう』がしっくりくるね!」


「それもそうかも」


「あ、じゃあさ、ルゥ姉が『おはよう』と『こんにちは』のどっちを言うか予想してみない?」


 連日大迷宮の攻略に勤しんでいる《黄昏の月虹》は、本日を休息日としていて、ソフィアたちは三人で街に繰り出す約束をしていた。


「え。まぁ、いいけど。私はやっぱり『こんにちは』かな」


「あたしは『おはよう』って言うと思う!」


 それからもソフィアとキャロラインが二言三言、気軽な話をしていると、ルーナがやってきた。


「おはようございます、二人とも。遅くなってしまってごめんなさい」


「おはよ~、ルゥ姉! やっぱ『おはよう』だよね~!」


「おはよう、ルゥ姉。……この時間でも『おはよう』が主流なんだ」


「……?」


 挨拶を交わした後の二人の発言にルーナが首をかしげる。


「あたしたち、ルゥ姉が『おはよう』と『こんにちは』どっちを言うのか予想してたんだ。それで、あたしが『おはよう』でソフィーが『こんにちは』だったんだよ」


「なるほど、そういうことですか。確かにこの時間はどちらもあり得ますものね」


「うんうん! それじゃ、全員揃ったし、外に行こ! 今日は食べ歩くぞ~!」


「あ、その、お待たせしてしまったうえに申し訳ないですが……」


 キャロラインが出入口へと向いて歩き始めようとしたところで、ルーナが申し訳なさそうな表情で引き留める。


「別件の急用ができまして、ごめんなさい。ここに来たのは、せめて直接謝ろうと思ったためです」


「あ、そうだったんだ。うん、あたしは大丈夫だよ! 気にせずそっちを優先して!」


「急用なら仕方ないよ。私たちに手伝えることとかあったら、手伝うけど?」


「ありがとうございます。用件は私一人で事足りるものですので、お二人は休日を楽しんでください」


「わかった! また今度一緒に遊ぼうね!」


「はい。この埋め合わせは必ず」


 特段気にしていない様子の二人を見て、ルーナはそっと胸をなでおろした。

 それから、急ぐように寮から出て行く。


「今日は二人でデートだね!」


 ルーナを見送ったところで、キャロラインがソフィアに話しかける。


「あはは、女の子二人でもデートって言うのかな?」


「こーゆーのは気分だよ、気分!」


 ソフィアとキャロラインは楽し気な会話をしながら、街へと繰り出した。

 

  ◇ ◇ ◇

 

  ―ツトライル街外北西部:第一迷宮近郊―

 

『セルマ、第三迷宮の確認が終わったわ。氾濫の兆候は見えなかったわよ』


 セルマがレインと一緒に迷宮に氾濫の兆候が無いか確認していると、別の迷宮を確認していた《赤銅の晩霞》のカティーナより念話が入ってくる。


 先日、ツトライルへと帰還したセルマは、他の第一部隊のメンバーやツトライルに残った《赤銅の晩霞》の探索者であるカティーナ、ヒューイとともに、ツトライル近辺の迷宮を調査していた。


 今年の初め、王女ルシラはツトライルのSランクパーティである《夜天の銀兎》と《赤銅の晩霞》に二つのことを依頼した。


 その内容は、王国内の指定の迷宮を攻略すること、そしてツトライルの防衛。


 迷宮の攻略はオルンとフウカ、ハルトの三人が行うことになり、防衛については残りのメンバーで手分けをしながら行うことになっている。


 そして防衛の一環として、彼らは定期的にツトライルの周囲に存在する五つの迷宮で氾濫の兆候が無いかどうかを定期的に確認していた。


 戦争相手である帝国は、氾濫を人為的に起こすことができる技術を確立していると思われている。

 王国の中でも王都に次ぐ重要拠点であるツトライルに対して、帝国が工作をするとしたら、周囲の迷宮を氾濫させることも充分考えられるためだ。


『了解した。報告ありがとう』


 カティーナからの報告を受けたセルマが応答する。


『ま、これも仕事だからね。それにしてもセルマの異能は本当に便利ね。こんなに距離が離れているのに、リアルタイムで情報の交換ができるんだもの』


 報告を終えたカティーナが会話の一環として、セルマの異能の有用性について触れる。


『他のクランの探索者にそこまで褒められるとくすぐったいな』


 カティーナの言葉にセルマが照れながら微笑んでいると、


『ふっふっふ~。セルマさんが凄いのは当たり前だよ! なんせ、ボクたちのリーダーであり心臓だからね!』


 セルマともカティーナとも別の迷宮の確認をしているルクレーシャが、誇らしげにそんなことを言いながら話に入ってきた。


『ルクレ、そんな持ち上げないでくれ。私は自分一人だと何もできないことを、私自身が一番よくわかっているんだから』


『うーん、セルマさんって自己評価低いよね~。もっと自信持って良いとボクは思うけどな。カティーナさんもそう思わない?』


『えぇ、そうね。セルマが帰ってきてから、迷宮確認の効率は断然上がったし、一緒に活動して《大陸最高の付与術士》と呼ばれている理由が良く分かったわ』


『あ、ありがとう……。そ、そんなことより! ルクレ、念話に入ってきたということは、そっちの迷宮も確認が終わったのか?』


 ルクレーシャとカティーナに手放しに褒められている状況に、いたたまれなくなったセルマが無理やり話題を変える。


『あ、逃げた。もっと恥ずかしがってるセルマさんが見たかったけど、しょうがないか。――うん、ボクとウィルの担当だった第五迷宮の確認は終わったよ! こっちも異常無し!』


『そうか。なら、ルクレとウィルは先に上がってくれ。お疲れ様。カティーナとヒューイは予定通りこのまま第四迷宮の確認を頼む。私たちもこれから第二迷宮に向かう』


『了解したわ。第四迷宮の確認が終わったタイミングにでも、また念話を入れるわね。――セルマ、気を付けてね・・・・・・


『あぁ、そっちもな』


 念話を終えたセルマが「ふぅ」と一息ついていると、彼女の隣にいたレインがセルマを微笑まし気に見ていた。


「な、なんだ、レイン」


「顔を赤くして恥ずかしがっているセルマが可愛いなぁと思って」


「レインまで……。もうからかわないでくれ」


「ふふっ。ごめんごめん。セルマの理想は高いからね。それと比べて自分を卑下しているのかもしれないけど、今の貴女も充分にすごい存在だし、私たちにとってかけがえのない仲間だってことは忘れないでね」


 セルマ達の念話を聞いていたレインが自分の考えを述べる。


「……あぁ。ありがとう、レイン」


「どういたしまして。それじゃあ、第二迷宮に向かいましょ」

 

  ◇

 

 セルマが第二迷宮に向かって歩き出してから暫く経った頃、


『セルマ君……。この声が、届いていると、信じて、話す……。どうか、ツトライルを、護ってくれ……』


 突然彼女の脳裏に聞き覚えのある男性の声が響いた。

 その声音は、生死の境目をさ迷っているかのように弱々しいものだった。


『この声、ギルド長ですか!?』


 その念話は探索ギルドの長であるリーオンからのものであった。


 【精神感応】という異能は、セルマが任意の相手とパスを繋ぐことで声を発することなく距離の離れた相手とも話ができるというもの。


 しかし、今のセルマはリーオンと念話のためのパスを繋いでいなかった。

 その状況で彼からの念話が来たことや、彼の弱々しい声音に、セルマは戸惑いが隠せない。


 即座にリーオンとパスを繋いでから彼に声を飛ばすが、それに応答はなく、その直後パスが切れた。


 パスの切断についても【精神感応】の異能を持つセルマのみが可能で、この異能を持たない人間は自主的にパスを切ることができない。


 ただ、セルマは過去に一度だけ、自分の意思に反してパスを切られたことがある。

 それは、約二年前の黒竜戦。――すなわち、オルンの前任者であり、当時の《夜天の銀兎》のエースであったアルバートの死亡時・・・・・・・・・だ。


「…………」


 突然の出来事に混乱しそうになっている自分を何とか落ち着かせようとするが、状況は落ち着くことを許さなかった。


「――っ! セルマ! 第二迷宮から魔獣が出てきている!」


「なにっ!?」


 レインの叫びに彼女の意識は目の前の出来事へと向く。


 しかし、状況はなおも悪い方向へと傾く。


 セルマ達の背後にあるツトライルより、大きなものが崩れ落ちるような音とともに土煙が上がっていた。


 セルマは突如訪れた怒涛の出来事に冷汗を流しながらも、深呼吸をして心を落ち着かせる。


「まずは目の前のことから手を付けないと……。――レイン! 魔獣の殲滅を任せてもいいか!?」


 セルマの声掛けにレインは力強く頷く。


「当然! 魔獣の相手は私に任せて、セルマは情報収集に注力して!」


「ありがとう。すぐに加勢するから。少しだけ任せる! ――【魔法力上昇マジックアップ】!」


 セルマはレインと思考を共有してから、彼女へバフを掛け、魔獣の相手を一任する。


「地上を荒らすことは許さないよ! ――【水矢の雨アローレイン】!」


 バフを受け取ったレインは、攻撃魔術による魔獣の殲滅を始める。


「流石の殲滅力だな。これで情報収集に集中できる……!」


 セルマがあっという間にレインの魔術が魔獣たちを黒い霧へと変えていく光景を見て感心するような声を漏らす。


 その後、すぐに思考を切り替えてから異能を行使した。


『《夜天の銀兎》のセルマだ! 誰か、ツトライルの状況を教えてくれ!』


 探索者ギルドの建物がある場所に居るギルド職員全員にパスを繋いで状況確認を行う。


 ツトライルには現在、大きく分けて三つの戦力が集結している。


 一つ目はこの地の領主であるフォーガス侯爵の私兵である領邦軍。


 二つ目が迷宮探索を生業としている探索者たち。


 そして、三つ目が王室よりツトライルの防衛のために派遣された中央軍。


 これらの組織は当然ながら指揮系統が別々だ。

 しかし、帝国による強襲の可能性を考慮していたフォーガス侯爵は、このような非常事態となった場合、指揮系統を探索者ギルドに集約することとしていた。


 そのためセルマは、リーオンとのパスが切れていて望み薄だとわかっていても、真っ先に探索者ギルドの職員らへと念話を飛ばした。

 

 ――『いやだ……、死にたく、な――』

 ――『来るな! バケモ――』

 

 だが、誰一人としてセルマの念話には反応せず、セルマの頭の中には阿鼻叫喚の声 が響き渡る。


 そしてその声が、 一つまた一つと消えていく。


 耳を塞ぎたくなるような声たちにセルマは「くそっ!」と吐き捨てながら、続いてツトライルの全住民・・・へとパスを繋ぐ。


『《夜天の銀兎》のセルマだ! 非常事態宣言を発令する! 探索者ギルドが敵の襲撃によって崩壊した可能性が高い! また、第二迷宮から魔獣の氾濫も確認している!』

 

 ――『一体何が起こっているのよ!?』

 ――『探索者ギルドの建物があんなバラバラに……』

 ――『何とかしてよ、セルマ! Sランク探索者なんでしょ!』

 

 セルマの脳内が再び阿鼻叫喚に包まれる。

 その中にはセルマに助けを求める声も少なくない数あった。


 ほとんどのパスは繋がったままだ。

 しかし、一部のパスが途切れ始める。


 それは時間を追うごとに増えていく。


 セルマは動揺が声に乗らないように歯を食いしばりながら声を飛ばす。


『みんな落ち着いてくれ! パニックになってしまっては、助かる命も助からなくなる!』


 ――『…………』

 ――『そうだ……、こういう時こそ落ち着かなきゃ……』


 未だパニックになっている者が多いものの、セルマの一喝によって一部の人たちは落ち着きを取り戻した。


『非戦闘員である住民はシェルターへの避難を! 領邦軍は避難する住民の先導、中央軍はギルドの現状確認、探索者たちは以前ギルドより通達のあった通りそれぞれ指定の迷宮へと向かってくれ!』

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