200.【sideソフィア】手を伸ばした先
◇ ◇ ◇
アルドさんに連れられてダルアーネにやって来た私は、すぐにクローデル家の屋敷とは別の建物であるこの部屋に入れられて、それ以降外には出られていない。
――『お前は、曲りなりにも
――『あの泥棒猫に似てきたわね。とっとと帝国に行ってしまいなさい。これは、由緒正しいこのクローデル家を汚したアンタたちの贖罪なの。領民のためにその身を捧げられるなんて光栄でしょ?』
ここに来てからお父様とお母様に掛けられた言葉は、今も私の心に影を落としている。
特にお母様は、毎日のようにここにやってきては、心無い言葉を投げてくる。
悔しかった。
私だけでなく、私を産んでくれたお母さんのことまで、あんなに酷く言ってくるお母様が許せなかった。
私は探索者になって強くなった。
今ならお母様にも臆することなく自分の意見を言える。
――そう、思っていた。
だけど、お母様と対面した私に、そんな勇気は無かった。
子どもの頃と変わらず、お母様が飽きるその時が来るまで、じっと堪えることしかできなかった。
結局、私は昔から何一つ変わっていないんだ。
無力で自分からは何も変えられない、そんなちっぽけな存在でしかない。
そんな無価値である私の身で、領民の安全が買えるなら、それは安い買い物だと私も思う。
いつものように窓越しに夜空を見上げる。
それから、何気なく月へと手を伸ばすと、タイミング悪く月が雲に隠れてしまって、更に夜の闇が深まった。
まるで今の私の心を表してるみたい……。
そういえば、お姉ちゃんから念話が来なくなってから、もう三日くらい経ってる。
まぁ、あれだけ無視していたら愛想尽かされても仕方ないよね。
もう私は探索者ではないし、敵国である帝国に嫁ぐことになる。
もしお姉ちゃんに会えても、絶対に泣き言を言っちゃうと思う。
そうしたらお姉ちゃんに迷惑を掛けることになる。
それなら、辛いけど、このままお姉ちゃんと会わない方が良い。
だけど、最後の念話でお姉ちゃんは『必ず助ける』と言ってくれた。
もしかしたら、お姉ちゃんは私の現状を知っていて、お姉ちゃんなりに動いてくれているのかもしれない。
(あはは……。お姉ちゃんに迷惑を掛けられないと思って無視していたのに、何で私は自分の都合の良いように考えているんだろ……)
自分のさもしさが本当に嫌になる。
でも、もしも、もしも私の妄想通りだとしたら――。
「お姉ちゃんに何かあったのかな……?」
お姉ちゃんが私に念話出来ない状況にあるかもしれないと思い至った私は、心配の声が思わず口から零れた。
「――セルマさんは大丈夫。今は疲れて眠っているけど、命に別状は無いから」
「……え?」
突然私の後ろから、聞きなじみのある男性の声が聞こえ、驚きながら振り返る。
この部屋には外から鍵が掛けられているし、窓も埋め込まれている。
私以外にこの部屋には誰も居なかったし、入ることも出来ないはず。
私が振り返って声の聞こえた方を見ると、その人物は夜の闇に紛れていて姿がよく見えなかった。
それでも私には、見えなくともその人が誰かわかる。
私がこの声を聞き間違えることは絶対にないから。
「…………オルン、さん?」
暗闇に隠れて見えないはずなのに、私の声を聞いたオルンさんの表情が優しい笑みを浮かべていることがわかる。
「久しぶりだな。まさかダルアーネで会うとは思ってなかった。元気、では無いだろうけど、無事で良かった」
ここで会えると思っていなかったのは私の方。
何でオルンさんがダルアーネに居るの?
そもそも私の居る場所を知っているのはお父様とお母様、それとアルドさんだけのはず。
あの三人が、ここのことを他人に話すとは到底思えない。
「どうして、オルンさんがここに……?」
「先日、各地の迷宮攻略が終わったんだ。それで、ルシラ殿下に報告するためにダルアーネにやって来たってわけ」
あ、そっか。
オルンさんは王女様の依頼で迷宮攻略をしていたんだもんね。
依頼主に完了の報告をするのは当然か。
……私のことが心配でダルアーネに来てくれたんじゃないかって、ちょっとでも思った自分が恥ずかしい。
「あまり時間も無いから、単刀直入に行くぞ」
オルンさんが改めて口を開くと、オルンさんの纏っている雰囲気が真剣なものに変わった。
「ソフィーが婚約したことは既に聞いている。俺が聞きたいことは一つだけだ。ソフィーはエメルト子爵と結婚が、したいのか、それともしたくないのか。お前の気持ちを教えてくれ」
……そっか。
このタイミングでオルンさんが来たのは、《夜天の銀兎》の幹部としてなんだ。
私はクランに何も言わずに、ここにやって来た。
それはやっぱり不誠実だよね。
「……まずは、クランに何の連絡も無くダルアーネに来てしまってごめんなさい。そして、さっきの質問の答えですが、私はもう覚悟ができています」
「……覚悟?」
「はい。探索者を辞めてエメルト子爵の家に嫁ぐ覚悟です。なので、《夜天の銀兎》は脱退させてもらうことになります。このようなかたちとなってしまってごめんなさい。今までお世話になりました」
零れそうになる涙をぐっと堪えながら、頭を下げる。
しばらく沈黙の時間が続いて、私が恐る恐る顔をオルンさんの方へ向けても、相変わらずオルンさんの表情は闇に隠れていて見えない。
この沈黙が耐えられなかった私は再び口を開く。
「これは、クローデル家に生まれた者の責務なんです。私がエメルト子爵に嫁げば、領民の命が危険にさらされることもありません。私の身一つで領民全員の安全が買えるなら安い買い物だと思いませんか? だから、私はエメルト子爵に嫁ぎます」
「……そうか」
今度は私の覚悟がオルンさんにも伝わったのか、オルンさんが小さく相づちを打った。
……これで、オルンさんや《夜天の銀兎》とも決別だ。
もう私の道は――。
「それで?」
「……え?」
探索者としての私が終わったと思っていたところに、オルンさんから予想外の言葉が返ってきて、私は間抜けな声を漏らしてしまった。
「さっきも言っただろ? 俺が聞きたいのは、
「だ、だから、領民のために――」
「領民を護るために縁談を受けるつもりであることは聞いた。だが、それはお前が本当に望んでいることなのか? もっと簡単に言うなら、お前が結婚しなくても領民の安全が確保されていたとして、それでも、お前はこの話を受けたいのか?」
オルンさんの言葉が私の心を乱す。
今すぐオルンさんに助けてと言いたい。
だけどそれはダメ。
私は貴族の娘として、責務から逃げることは許されないんだから。
「そ、そんなの……、でも、帝国は迷宮を氾濫させる術を持っているのは、事実じゃないですか! 私の気持ちなんて、領民の命に比べたら些細なものです! これは、クローデル家の、貴族の娘として生まれた者の責務なんです!」
「……少なくとも俺にとっては、見ず知らずの他人の命よりも、ソフィーの気持ちの方が大切だ」
「っ!」
「ソフィーが今の状況に心の底から満足しているのであれば、俺はこれ以上とやかく言うつもりはない。――だからこれが最後だ。お前は、〝ソフィア〟か? それとも〝ソフィー〟か? どっちなんだ?」
問いかけてくるオルンさんの声は、また一段階真剣度が増したように感じた。
オルンさんが聞きたいのは、私が〝クローデル伯爵家の娘〟なのか、それとも〝《夜天の銀兎》の探索者〟なのかということだと思う。
「わ、私は……、ソフィ……――――」
ここで私が『自分はソフィアだ』と言えば、この話は終わり。
後一文字だけ口に出すだけなのに、最後の一文字を紡ぐことができず、声の代わりに涙が零れる。
「去年、俺がお前らの師匠になったときに言ったよな。――俺は『お前の味方であり続ける』、と」
私が言葉に詰まっていると、オルンさんが口を開いた。
「それは、何があっても曲げることはない。絶対にだ。俺は、お前が望んでいるものを脅かす存在がいるなら、例えそれが、貴族だろうが国だろうが敵に回すことも厭わない。だから、お前の素直な気持ちを聞かせてくれ」
オルンさんの優しい言葉が、私が堰き止めていた何かを崩した。
もう私に強がる気持ちは残っておらず、
「私は……、〝ソフィー〟で、いたいです……! オルンさんと、キャロルやログ、ルゥ姉と探索者を続けたい! お姉ちゃんとまだ一緒に居たい! 知らない人と結婚なんてしたくない! 助けて……、助けて……、オルンさん……!」
感情が決壊した私は涙を流しながら、オルンさんに助けを乞い、震わせながら手を伸ばす。
オルンさんが、そんな私の手を優しく握ってくれた。
「――あぁ、任せろ。今日中にソフィーの父親と決着を付けてくる。今のソフィーを縛っているモノは全て俺が断ち切ってやる。だから、もう少しだけ待っていてくれ」
オルンさんがそう言ってくれたタイミングで、雲の切れ間から月の光が差し込んで、オルンさんの顔をはっきりと見ることができた。
その表情は、想像していた通りの優しい表情だった。
「はい……。待っています……!」
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