227.ツトライル事変⑤ 遭遇
◇ ◇ ◇
―ツトライル:《夜天の銀兎》本部付近―
「くっ! 捨てられた実験体の分際で……! ミノタウロス、とっととソレを叩き潰せ!」
赤いローブを頭から被った男が焦燥に駆られながら、通常の倍近くまで大きくなっているミノタウロスへ声を向ける。
赤衣の男の指示を受けたミノタウロスが組んだ手を頭の上まで振り上げた。
「キャロルっ!」
それを見たソフィアがキャロラインに声を掛ける。
「問題ないよ! そんなんじゃ、今のあたしは捉えられない!」
ダルアーネで兄姉より受け取ったイヤリング型の魔導具を起動させると、キャロラインの両の瞳に魔法陣が浮かび上がる。
更に全身から翠色に揺らめく炎のようなオーラが漏れ出始めた。
ミノタウロスがキャロラインへ組んだ両手を振り下ろす。
五感と動体視力が研ぎ澄まされている今のキャロラインにとって、その攻撃は遅すぎる。
キャロラインは攻撃を紙一重で躱しながら、ミノタウロスの股下を潜り抜けた。
すれ違いざまに両手に握る短剣で、ミノタウロスのアキレス腱を斬る。
キャロラインはその勢いのままにその場から離れた。
立てなくなったミノタウロスが体勢を崩していると、
「――【
間髪入れずにソフィアの攻撃魔術が襲い掛かる。
「チッ、小娘どもが――っ!?」
赤衣の男は毒を吐きながら次の手を打とうとしたところで、自分の身体が動かせないことに気付く。
ソフィアがミノタウロスへの攻撃と同時に、【念動力】で赤衣の男を拘束しているためだ。
「――【
ミノタウロスから距離を取っていたキャロラインが魔術を発動する。
自身の後ろに現れた翠色の半透明の壁を蹴って、あっという間に赤衣の男との距離を詰める。
「くっ!」
赤衣の男が近づいてくるキャロラインへと【
しかしキャロラインは、放たれる前から雷の槍の軌道が分かっているかのような動きで、全てを躱していた。
「……一つ言っとく。あたしは実験体じゃない! 《夜天の銀兎》のキャロライン・イングロットだ!」
キャロラインが声を上げながら、短剣を収納して拳を握る。
そして、その拳を赤衣の男の鳩尾へと正確に叩き込んだ。
「キャロル、大丈夫?」
ソフィアが心配そうに声を掛ける。
赤衣の男を拘束し終えたキャロラインは、いつもと変わらない笑顔を浮かべ、
「
ソフィアとキャロラインは、本日がオフであったこともあり、二人でツトライルの街を散策していた。
そんな最中に、セルマより念話で非常事態宣言を聞くことになった。
二人はすぐにローガンやルーナと合流するために《夜天の銀兎》本部へと向かっていた。
その道中で、赤いローブを頭から被った三人組からの襲撃を受けた。
それを二人だけで退けている。
ソフィアは一年前の教導探索では上級魔術の発動が精々だった。
それが今では特級魔術も扱えるようになっており、異能も発現した当初とは比べ物にならないくらい使いこなせている。
キャロラインも氣の活性による身体強化に加え、兄姉から受け取った魔導具によって戦闘能力をかなり向上させていた。
「探索ギルドの襲撃とか迷宮の氾濫は帝国の攻撃なんだよね……?」
「んー、帝国が迷宮の氾濫を起こしているっていうのは、前からちょっと引っかかってたんだよね。やり方が教団っぽいから。……もしかしたら、帝国は教団と繋がってるのかも?」
「え、それが本当だったら、相当危ない状況じゃない……?」
「あくまであたしの予想だけどね。っと、そんなことよりも、早く本部に戻ってログと合流しながら団員の皆を避難させないと!」
ツトライルに居るBランク以上の探索者は、原則として迷宮から出てくる魔獣の対処をすることになっている。
Aランクパーティである《黄昏の月虹》も魔獣の対処をする探索者に数えられるが、彼らはこういった事態になった際には団員たちの避難誘導のチームに振り分けられていた。
「あ、うん、そうだね! ルゥ姉も本部に戻ってればいいけど」
「さっき急用ができたって言ってたもんね~。街から離れてたら合流は難しいね」
「ルゥ姉、今どこに居るんだろ。無事ならいいんだけど」
「ルゥ姉なら大丈夫でしょ。なんたってSランク探索者なんだから!」
「うん、そうだよね――って、なに、あれ……」
そんな会話をしながら《夜天の銀兎》本部を目指していると、ソフィアが戸惑いの声を漏らす。
「んー? どーしたの――って、えぇっ!?」
ソフィアの呟きを聞いて、彼女の視線の先を見たキャロラインが驚きの声を上げる。
彼女たちの視線の先には《夜天の銀兎》本部がある。
しかし、それを覆うようにドーム状にして赤い半透明のガラスのような障壁が、いつの間にか現れていた。
「え、さっきまであんなの無かったよね!?」
「うん、あんな目立つものを見落とすなんて考えづらいもん」
「とにかく、急ご!」
戸惑いながらも二人は《夜天の銀兎》本部へと駆けだした。
◇
「ログっ!?」
キャロラインが声を上げる。
ソフィアとキャロラインが障壁の傍まで駆け寄ると、そこではローガンが一人で魔獣の群れと戦っていた。
ローガンは自身の異能である【影操作】で、犬や鳥、延いては象や熊といった多種多様の動物を出現させている。
上級探索者でも一人で戦えば、すぐに物量で押されてしまう敵を前に、ローガンは一歩も引いていなかった。
むしろ優勢にさえ見える。
「加勢しよう、キャロル!」
「
ソフィアの声に、キャロラインは応答してからイヤリング型の魔導具を起動する。
両の瞳に魔法陣が浮かび上がり、翠色に揺らめく炎のようなオーラが全身を覆った。
そのまま魔獣の群れへと突進する。
「――【
ソフィアが魔術を発動すると、キャロラインと並走するように無数の火の槍が放たれた。
「二人とも!」
魔獣の群れを前に険しい顔をしていたローガンが、二人の加勢に気付いてパッと明るい表情へと変わった。
そして三人は、あっという間に魔獣の群れを殲滅した。
「殲滅
全ての魔獣が黒い霧へと変わったところで、キャロラインが伸びをしていた。
「助かった、二人とも」
「仲間なんだから当然だよ。……それよりも、このガラスみたいなの何?」
ソフィアが《夜天の銀兎》の敷地を覆っている赤い障壁を見ながら疑問を呟く。
「……わからない。いつの間にか現れてた」
「んー、何か嫌な予感がする。ねぇログ、非戦闘の団員はまだ中にいるの?」
「あぁ、大半がまだ中に居る。僕の影渡りなら外に出られるみたいだから周りにいた魔獣の数を減らしてからみんなで避難する予定だったんだ」
「それだったら早く――」
「――そういえば、貴方は【影操作】という異能を持っていましたね。どうでもいい情報だったので忘れていました」
ローガンの話を聞いたキャロラインが口を開いたところで、別の男が声を被せてきた。
「「「――っ!?」」」
三人は、話をしていても意識の大半は周囲の警戒に充てていた。
そんな三人の警戒網をすり抜けていた存在の声に、彼らは目を見開いていた。
オルンやルーナの教えが身体に染み込んでいる彼らは、咄嗟の状況でも身体が自然と動く。
地面を蹴って声の聞こえてきた方向とは逆方向に跳んで距離を作った。
「それにしても、ここまで騒ぎを大きくすれば真っ先に現れると踏んでいたんですがね。まさか、オルン・ドゥーラはツトライルに居ないのでしょうか?」
跳んで距離を作ったところで三人が声のした方へと視線を向ける。
すると、そこには貴族然とした雰囲気を醸し出している男――《羅刹》スティーグ・ストレムがいつもの邪気のなさそうな柔らかい表情を浮かべながら佇んでいた――。
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