202.束の間の安息
◇ ◇ ◇
ソフィーたちの兄であるマリウスさんがクローデル伯爵となってから、二日が経過した。
彼が早速ソフィーに来ていた縁談を正式に断ったことで、ソフィーは自由を手に入れることができた。
そもそも今回の縁談自体がおかしな話ではあった。
ソフィーは両親から何度も『貴族の責務を果たせ』と言われ続けていたらしい。
この国では貴族院を卒業して初めて、本当の意味での貴族となる。
と言っても、貴族の子どもとして生まれた者のほぼ全員が貴族院に入ることになるから、このルールは形骸化しているらしいが。
つまり、貴族院を卒業していないソフィーは、貴族の娘であっても貴族ではない。
ソフィーから貴族の地位を取り上げておきながら、貴族としての責務を押し付けるのは、理不尽という他ないだろう。
おかしな話と言えば、エメルト子爵がソフィーを求めていた理由も不可解だ。
ソフィーを含めて《黄昏の月虹》のメンバーは、過去に新聞に取り上げられたことがあるから、ソフィーを知る機会はあったとしても、迷宮の氾濫という脅しまで使って今回の縁談を成立させたことには違和感がある。
そんな拭いきれない違和感を覚えつつも、昨日今日と事後処理を手伝っていたところに、《黄昏の月虹》のルーナ、ログ、キャロルがダルアーネにやって来たと連絡を受けた。
それを知った俺は、すぐに自分に貸し与えられている部屋へ三人を案内し、ソフィーも交えて彼女の一件が解決済みである旨を伝えた。
「もぉ、気合い入れてダルアーネにやって来たのに、到着したらもう解決してるとは思わなかったー!」
俺の話を聞いたキャロルが、口を尖らせながら愚痴を零す。
「みんな、心配かけてごめんね」
ソフィーが顔を伏せながら三人に謝罪をする。
「ううん、ソフィーが今何ともないなら
ソフィーの謝罪を聞いたキャロルが気にしていないことを口にしてから、ソフィーを抱きしめる。
うーん、ソフィーの顔がキャロルの豊満な胸に埋もれてしまっていて、ソフィーが「く、苦しい……」と言っている光景は、男の俺としては反応に困ってしまう。
ログも顔を赤らめながら逸らしているしな。
「ふふっ、そうですね。ソフィーの無事をこうして確認できただけでも、ダルアーネに来た甲斐がありました」
ルーナがソフィーとキャロルのやり取りを優しい目で見ながら、安堵の声を漏らす。
「みんなに心配かけちゃったことは申し訳なく思うけど、今考えると、自分を見つめ直すきっかけになったと思う。今は誰が相手でも、私はこれからもみんなと探索者を続けたいってはっきりと言えるもん」
キャロルのハグから解放されたソフィーが気持ちを吐露する。
「そう言ってくれて良かった。僕はもう《黄昏の月虹》にソフィーが居ないなんて考えられないから。おかえり、ソフィー」
「うん、ただいま!」
《黄昏の月虹》の全員が笑顔でいる光景を見て、ホッとしている。
俺が今回やったことは微々たるもので、ほとんどはセルマさんとマリウスさんの功績だ。
あれだけソフィーに格好つけた手前、俺が解決していないことには少し恥ずかしさも覚えるが、結果的にソフィーが笑えているならそれに越したことは無い。
俺のちっぽけなプライドなんて、ソフィーには関係無いからな。
「それにしても、みんなはどうして私がダルアーネに居るってすぐにわかったの?」
ソフィーが三人に問いかける。
「それはルゥ姉の大活躍のお陰だよ! ルゥ姉がソフィーの居場所を突き止めて、大急ぎで追いかけたんだ!」
「大活躍というほどのものではないと思いますが、私の異能の新しい可能性に気付くことができて、そのお陰でソフィーがダルアーネに向かっていることを知ることができました。ソフィーだけでなく、私にとっても今回の出来事は良いものになったかもしれませんね」
「そうだったんだ。ルゥ姉、ありがとう」
「ふふっ、どういたしまして」
「異能の拡大解釈で妖精と感覚を共有したんだよね? 僕の異能である【影操作】にも影を操る以外の能力があるのかな? 全く思いつかないけど」
「異能の拡大解釈、か。私も【念動力】はもっと色々な可能性がありそうなのに、何にも思いつかないんだよね」
「んー、ししょーは【重力操作】の拡大解釈で【魔力収束】を再現しているんだよね?」
気が付くと異能の拡大解釈についての話題に変わっていて、キャロルに問いかけられる。
「そうだな。俺の場合は少々特殊かもしれないが、身近に【魔力収束】の異能者がいたことが大きかったと思ってる」
特殊というのは、俺が自分の異能を【魔力収束】だと勘違いしていた点だ。
今思うと、何で勘違いしていたのか不思議でしょうがないんだよな。
そもそも【重力操作】という異能で魔力を知覚できていることについても、未だに納得できる答えを導き出せていない。
その観点から考えると、俺はまだ自分の異能をきちんと理解できていないと言えるのかもしれないな。
「やっぱり手本となるものが身近にあるとイメージもしやすいですか?」
俺が自分の異能について考えていると、ログから質問を受ける。
「それは間違いなくあると思うぞ。とはいえ、異能は想像力に依存している力だ。手本があるとそれが逆に想像を狭めてしまうこともあるらしい。結局のところ、その辺りは巡り合わせなのかもしれないな」
異能の拡大解釈は一朝一夕でできるものではない。
自分の異能を深く理解し、そのうえで別の視点からそれを見ることで、今まで見えていなかったものが見えるようになる、とのことだ。
全部じいちゃんの受け売りだが。
「そうですね。今回の私の拡大解釈も、『ソフィーを何としても見つけたい』という気持ちが無ければ、思い至らなかったかもしれません。これも巡り合わせだったのかもしれませんね」
俺の言葉を聞いたルーナが感慨深そうに当時のことを思い出している。
そして、その話を聞いたソフィーとログも、それぞれ自分の異能について考えを巡らせているように見えた。
だからこそ、三人とも気付かなかったのだろう。
キャロルがそんな三人とは対照的に、珍しく自嘲しているような表情で「巡り合わせと気持ち、か。どっちもあたしとは無縁だなー」と小さく呟いていることに。
キャロルは自分の異能のことを呪いと認識している。
異能に助けられた場面もあるのだろうが、それ以上に忌むべきモノという気持ちが強いんだろうな。
キャロルは少しずつ自分や周りに対する考え方が変わり始めている。
俺としては、その変化が良い方向に向かっていると思っている。
だけど、問題はそう単純なものでもないのだろう。
この辺りはまだしばらく時間が掛かりそうだ。
現時点で俺がキャロルにしてやれることは、見守ること、そして、助言を求められたときにきちんと応えるだと思っている。
これは、キャロル自身が答えを見つけるべきことだと思うから。
「――話は変わるが、四人とも今日の夜は時間あるか?」
話がひと段落着いていたので、先ほど思いついたことを提案するために四人に問いかける。
「僕とキャロル、ルゥ姉は予定有りませんよ。元々勢いでダルアーネに来たようなものですから」
俺の質問にログが答えると、キャロルとルーナは同意するように頷いた。
「私もこれといった予定は無いです」
続いてソフィーも答える。
全員に予定が無いことを確認したところで、俺は口を開いた。
「それは良かった。本当はツトライルに帰ってから企画するつもりだったんだけど、ダルアーネに全員が集まっているからちょうど良い」
「んー? ちょうどいい?」
「もう既に三月に入っているだろ? つまりキャロルも成人したってことだ。だからキャロルの成人祝いってことで、みんなで美味しいものでも食べに行かないか?」
「おー! そーじゃん! あたし今月で十五歳だ! もう大人になったんだ~」
俺の言葉で自分が成人していたことを思い出したようで、キャロルのテンションが一気に上がった。
そして、三人も俺の考えに同意してくれたため、突発的ではあるがキャロルの成人祝いをすることに決まった。
成人祝いは終始笑いの絶えないものとなった。
王国と帝国の戦争はもう間近に迫っている。
ツトライルを発ってからこれまで息抜きをすることはあっても、完全に気持ちを切ることはできないでいたが、今日は《黄昏の月虹》と何の憂いも無く楽しい時間を過ごすことができた。
明日、ルシラ殿下に迷宮攻略の詳細な報告を行って、俺とフウカ、ハルトさんは《黄昏の月虹》のメンバーやセルマさんを連れてツトライルに帰還する予定だ。
今は、再び《夜天の銀兎》の探索者として行う大迷宮の攻略が楽しみでしょうがない。
◇ ◇ ◇
「《博士》、クローデル家が突然、エメルト子爵との縁談を白紙にしたいと言ってきたらしいわ」
赤みがかったベージュ色の髪をした、顔のそっくりな姉弟であるルエリアとフレデリックが、ダルアーネからほど近い場所にある教団の拠点へとやって来ると、その中で何やら作業をしている赤衣の男に声を掛ける。
ルエリアに《博士》と呼ばれた赤衣の男――オズウェルは、作業していた手を止め、姉弟の方へと顔を向けた。
「…………それは笑えない冗談だなぁ」
つい先ほどまで上機嫌にこれから行おうとしている実験の準備をしていたオズウェルは、ルエリアの報告を聞いた途端、機嫌が急降下した。
「冗談でこんなこと言わないですよ~。あ、ちなみに~、氾濫させようとしていた迷宮はもう攻略されて、迷宮の機能を失っているみたいですね~」
顔を顰めているオズウェルを前にしても一切臆する様子もなく、フレデリックが相変わらずの間延びした口調で、嘘ではないことに加えて迷宮も無くなったことを伝える。
「うーん、色々と見誤ったかなぁ。それにしても、あの迷宮には結構強い個体を配置していたよね? その辺に居る探索者が攻略できるレベルではなかったはずだけど、誰が攻略したかは聞いた?」
「えぇ。話によると、セルマ・クローデルらしいわ」
ルエリアがオズウェルの問いに答えると、それを聞いたオズウェルが驚いたように目を見開いた。
「セルマ・クローデルってSランク探索者で、《大陸最高の付与術士》なんて異名で呼ばれている、あのセルマ?」
「そのセルマで合っているわ。というか、彼女が王国の王女と一緒にダルアーネにやって来たなんて話は、この辺りじゃ有名よ? 知らなかったの?」
「まぁね。次の実験の準備が楽しすぎて、ここ最近の情報は君たちからの報告でしか知らないよ」
「相変わらず、《博士》は人を使った実験大好きなんだね~。ソフィアって子を手に入れて何をするつもりなの~?」
フレデリックが興味本位でオズウェルに質問をする。
「それは勿論、俺の目的を達成させるための実験に決まってるじゃないか。異能ってやつは
オズウェルが楽しそうに語り始める。
「そして、ソフィア・クローデルはその例外には当てはまらない。それなのに、姉妹揃って異能者というのは明らかにおかしい。だからこそ、もしかしたらクローデルの血は俺が求めている一族の条件が揃っている可能性があるんだよ。だから俺は、彼女を何としても手に入れたい!」
オズウェルは興奮気味に声を上げながらも、漂わせている雰囲気はとても禍々しいものだった。
そんな彼を前にした姉弟は、深層心理に刻まれているオズウェルへの恐怖心が表に出始めるも、何とか態度に出さないように必死に堪えている。
普段はなんてことない態度で接することができるようになっていても、やはり幼少期より植え付けられている恐怖心は簡単に払しょくすることは難しい。
オズウェルはソフィアの確保に拘っている。
そして、なるべく軋轢を生まないようにと、帝国貴族を使ってソフィアを手に入れようとしていたが、それは上手くいなかった。
姉弟の認識は共通していた。
ここで彼が諦めるわけもないも無いのだから、次はもっと単純で苛烈な手段を取ることになるだろうと。
そして、その実行犯として自分たちが指名されるであろうと。
「何はともあれ、これ以上回りくどいことをするのも面倒だよねぇ。二人ともそうは思わない?」
「……えぇ。《博士》の言う通りだと、思うわ」
ルエリアが何とか声を震わせないように、オズウェルの問いを肯定する。
彼女との隣に居るフレデリックも首を縦に振って肯定の意を表する。
「うんうん。やはり君たちは
これ以上オズウェルの前に居たくない二人は、即座に彼から離れて準備に取り掛かる。
オズウェルが二人を優秀な駒と評したように、二人はオズウェルの指示を待たずに、彼がどのようにしてソフィアたちを確保しようとしているのか理解していた。
「――さて、と。今回は俺も本腰を入れないとね。王国と帝国の戦争は始まっているし、近々
誰も居なくなった空間で、オズウェルが昏い笑みを浮かべながら呟く。
《シクラメン教団》である《博士》オズウェル・マクラウドの悪意が、ダルアーネを飲み込もうとしていた――。
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