112.【sideルーナ】夜闇を照らす月光①
『ルーナ、大丈夫?』
私が新たな複合魔術の開発に勤しんでいると、常に傍にいてくれる妖精――ピクシーに声を掛けられました。
『はい。大丈夫ですよ、ピクシー。心配してくれてありがとうございます』
『良かった。それよりも、ルーナはいつまでここに居るの? ここの空気が淀んでいるってシルフが言ってたし、ルーナに話しかけてくる人は変な感じだし、早くここを出た方がいいんじゃないの?』
ピクシーは自分から話しかけてくることはほとんどありません。
ただただ私を見守って、たまに手助けをしてくれる精霊です。
しかし、十日もここに居る私に、流石のピクシーも痺れを切らしたのでしょう。
『ピクシーの言うことはごもっともです。しかし、私はここから出ちゃいけないんです。それがルールなので』
『そうなんだ。いつまで出ちゃいけないの?』
『わかりません。ですが、しばらくは出られないでしょうね』
『そっか』
その呟きを最後にピクシーは再び無言となりました。
オリヴァーさんやフィリーさんが街を破壊し、同時に魔獣の氾濫が起こったあの日から十日が経過しました。
私は現在、ツトライルにある犯罪者収容所の牢の中に居ます。
犯罪者収容所と言っても私が居るところには、壁で区切られたお手洗いやシャワールームがあり、着替えも用意されています。
ここは高貴な身分の人間を収容する際に使用されているもののようで、劣悪な環境というわけではありません。
これは正直有難いです。
貴族でもない私が何故?とも思いますが、ここに割り当てられたので遠慮なく利用しています。
◇
十日前のあの日、水龍を討伐して体力が底をついた私は、オルンさんとオリヴァーさんの戦いを眺めていました。
視界に捉えた当初はオルンさんの腹部を金色の魔力が貫いていて、最悪の状況を想像してしまいましたが、幸いそれが現実になることはありませんでした。
一瞬で怪我を治したオルンさんは、一度は攻撃を受けたものの、それ以降は終始オリヴァーさんを圧倒していました。
その圧倒的な強さにも驚きましたが、私が一番驚いたのは、魔法陣が
魔術は魔力を術式――魔法陣に介することで起きる現象の総称です。
つまり魔術が発動される場所には必ず魔法陣が出現します。
だというのに、オルンさんの黒い魔術は魔法陣が現れませんでした。
魔法陣が現れず魔術に似た現象を引き起こせるものといえば、それは異能しかありません。
ですが、オルンさんの異能である【魔力収束】では、あれらの現象を説明することができません。
もしかして、オルンさんの異能は【魔力収束】ではない? ――いえ、武術大会決勝戦で最後に放った天閃は間違いなく【魔力収束】によるものでした。
であれば、魔術でも異能でもない私の知らない何かということでしょう。
ティターニアなら知っているかもしれません。
次に彼女が私の元にやってきたときにでも聞いてみましょうか。
それまでは、複合魔術の開発と並行して色々な可能性を考えてみましょう。
何しろ時間はたっぷりとありますからね。
オルンさんとオリヴァーさんの戦いが終わり、地上に現れた魔獣の討伐もあらかた片付いたところで、私は軍に連行されることになりました。
それから取り調べを受け、それ以降はずっとこの部屋の中で過ごしています。
現在の私は判決待ちの状態です。
軍人のお偉いさんからは、先日の事件にて西門の防衛に尽力したことによる恩赦が与えられる可能性が高いと言われました。
とはいえ、実家が犯した児童誘拐に関与した疑いもあるため、無罪放免というわけにはいかないでしょうね。
児童誘拐は場合によっては極刑もあり得る重大犯罪です。
その可能性が無くなっただけでも良しとしましょう。
「それにしても、この部屋自体に不満はありませんが、術式の検証ができないのはやはり困りますね」
私はつい不満を漏らしてしまいました。
この部屋の時点でかなり恵まれているというのに、人間の欲は無くならないものですね……。
魔術開発の過程は大きく分けると術式の『作成』と『検証』に分かれます。
『作成』とは術式の基本式を一から組み上げる作業のこと、『検証』は完成した術式が問題無く発動するかなどを確かめる作業のことを言います。
検証には当然、魔術を発動する必要がありますが、完成間近になれば微調整で短時間に何回も発動することになります。
何回も発動すれば、頭痛を引き起こすことになるので、検証は術式を封入した魔導具で行うのは一般的です。
ただ、ここは牢の中です。魔導具の起動に必要な魔石は当然ありません。
魔石が無いのであれば脳内で術式構築をするしかありませんが、その場合は術式構築ができても魔力流入ができないため、現状ではこちらでも検証することができません。
魔力流入ができないのは、私の左手首に着けられている魔導具のせいです。
この魔導具はここに収容されている人全員に着けられているもので、魔力流入を妨害するものとなります。
まぁ、これが無ければ特級魔術なんかを発動できれば脱獄し放題ですから、当然の処置ではありますが。
あ、それと、当たり前ですがこの魔導具に埋め込まれている魔石は、取り外しができないように細工がされています。
愚痴っていても仕方ありません。
ひとまず、属性ごとの複合術式の基本式を一通り作成していきましょう。
それだけでも膨大な時間が掛かりそうですし。
それでも時間が余ったら、その時に考えましょう。
◇
紙に作成中の術式を書き込んでいると、看守と思われる人の足音が近づいてきました。
(……夕食を持ってきたにしては早すぎますね)
部屋の上部にある埋め込み式の窓から入り込んできている橙色の光から、今が夕方頃だと判断しました。
扉の前まで看守がやってくると、続いて扉が開錠されます。
いつも食事の受け渡しは扉の近くの小窓で行っていたため、扉が開錠されることはこの十日間一度もありませんでしたが、これから尋問でも受けるのでしょうか?
扉が開くと、そこには仏頂面の看守服を来た男性が立っていました。
「ルーナ・フロックハート、出ろ」
看守が命令口調で私に声を掛けてきます。
この口調は今に始まったことではありませんが、感情を押し殺しているような無表情がとても気になります。
命令を無視しても良いことはありませんので、腰かけていた椅子から立ち上がり扉の外に向かおうとすると、
「紙束を置いていくな。それも持っていけ」
紙も持ち出せと? 尋問に必要なものとは思えませんが……。
疑問に思いながらも、術式を書き込んでいる紙の束を抱え扉の外へと出ました。
「……付いて来い」
看守はそれだけ告げると、私に背を向けてスタスタと歩き出します。
私は慌てて看守の後ろをついて行きます。
しばらく歩くと、建物の裏口と思われる場所へとやってきました。
別の建物に移動させられるということでしょうか?
「左手を軽く上げろ」
そんなことを考えていると再び看守から命令があったので、指示に従って左手を胸元辺りまで上げます。
看守が私の左手首に着いている魔導具に触れると、魔導具が外れました。
それから看守は、牢に入る前に渡していた私の髪飾り型の収納魔導具を渡してきました。
意味も分からずに私がそれを受け取ると、
「その魔導具の中身はいじっていない。だが、後で一応中身を確認しろ。無くなったものがあったら連絡を寄こせ」
看守が捲し立てるように説明をしてくれた。
「…………?」
状況について行けず首をかしげていると「お前は今から自由の身だ」と、告げてきた。
(自由の、身? 釈放というわけですか? 何故?)
「混乱するのも無理はない。ひとまず、外に出ればある程度の状況は察せるだろう」
私が呆けていると、再び看守が声を掛けてきます。
抱えていた紙の束を収納してから頭に髪飾りを着け直しました。
手を震わせながらも扉の取っ手を握ります。
そして、扉を開き、私は建物の外へと足を踏み出しました。
◇
外に出ると太陽が既に沈み始めていて、黄昏色の空に月が浮かんでいました。
「あ! セイレイのお姉さーん! こっちこっち!」
空を見上げていると、少し離れたところから少女の声が聞こえました。
『セイレイのお姉さん』と呼ばれるのは、これが二度目ですね。
声を掛けられた方に視線を向けると、キャロラインちゃんが私に手を振っています。
キャロラインちゃんの傍にはソフィアちゃんとローガン君も居て、その後ろには月と兎をモチーフにしている《夜天の銀兎》の紋章が付いた馬車がありました。
(なぜ彼らがここに? これではまるで、私が出て来ることがわかっていたかのような……)
牢から出された時からずっと混乱状態ですが、より混乱度合いが増しました。
私がこの状況に戸惑っていると、背後から扉が開く音がしてから、
「ルーナ」
と私を呼ぶ声が聞こえました。
この声を聞き間違えるわけがありません。
声のした方へと振り返ると、そこにはオルンさんが佇んでいました。
「オルン、さん」
「久しぶりだな。色々と混乱していると思うが、ひとまず馬車に乗ってもらっていいか?」
◇
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