32.激昂

  ◇ ◇ ◇


「痛い痛い痛い!」


 黒竜との激戦に勝利した翌日、宿のベッドで目覚めた俺は珍しく二度寝をすることにした。

 そして、寝返りをしようとしたところで、全身に激痛が走り、完全に目が覚めてしまった。


 この激痛は昨日の戦闘の影響だ。


 そう、俺は今、全身筋肉痛になっている。


 【痛覚鈍化ペインリリーブ】を発動して、痛みを和らげる。


「最悪の寝起きだ……」


 昨日の魔術の使いすぎで、まだ頭が働いていないようだ。


 レーズンを数個取り出して、口の中に放り込む。

 頭が働かないときはレーズンを食べるようにしている。

 レーズン、というよりも甘いものを食べると頭が活性化する気がしている。

 まぁ、単純に俺が甘いもの好きなだけで、勘違いしている可能性もあるけど。


 さて、と。

 昨日は宿に戻ってきてから、泥のように眠っていたため、あの後どうなったか知らない。

 死体とはいえ、九十二層のフロアボスが地上に急に現れたんだ。

 相当な騒ぎになっていたことは間違いない。

 あのタイミングで死体がそのまま残らなくても良かったのに……。

 運が良いのやら悪いのやら。


 いきなり地上へと移動した直前に、俺たちは淡い光に包まれた。

 初めて見た現象だが、状況的にギルドが強制送還を使ったのだろう。

 そういえば昨日は勇者パーティが九十二層を探索したって聞いたな。

 そして俺たちが地上に移動した後、すぐに勇者パーティが現れた。

 昨日の事件に勇者パーティが関わっている可能性は非常に高そうだ。


「ひとまず探索者ギルドに行くか」


 迷宮の情報が一番早く集まる場所が、探索者ギルドだ。

 当事者の俺にも話を聞いてくるだろうから、その時に今回のイレギュラーの原因と俺が帰った後の出来事を聞いてみよう。


  ◇


 ギルドに到着すると中に居た人たちの視線が俺に集まる。

 もう探索者にも情報が出回っているのか、ずいぶんと早いな。


「オルンくん、いらっしゃい。そろそろ来る頃だと思って、待っていたわ」


 聞き覚えのある声が聞こえた。

 声のあった方を向くと、エレオノーラさんが居た。


 彼女はギルド職員で、俺が探索者になりたての頃からお世話になっている人だ。

 勇者パーティの担当でもあるため、勇者パーティにいた頃はほぼ毎日のように顔を合わせていた。


「エレオノーラさん、お久しぶりです」


「うん、久しぶり。ふふっ、最後に会ってからまだ一週間も経っていないのに、懐かしく感じるなんて不思議ね」


「あはは。確かにそうですね。――それで、俺を待っていたということは、昨日の件ですよね?」


「ええ。待っていたのは本当だけど、ここまでタイミングがいいなんて、ビックリしたわ」


「タイミングが良い、ですか?」


「ふふっ、とりあえず付いてきてくれる? そこでお話ししてちょうだい」


 エレオノーラさんに案内された会議室には、ギルド長を含めたギルド幹部数人、そして勇者パーティ一行が一堂いちどうかいしていた。


 その中でオリヴァー、デリック、アネリの三人が、苦虫を噛み潰したような表情を俺に向けてきている。

 そしてアネリの隣には、見たことの無い女性が居た。

 おそらく彼女が俺の後任のフィリー・カーペンターだろう。

 パーティに加入して早々、こんなことに巻き込まれるなんて、ご愁傷様。


「よく来てくれたオルン君。突然ですまないが、君からも昨日のことについて話を聞いてもいいかい?」


 ギルド長が優しげな声で話しかけてくる。

 相変わらず笑みを絶やさない人だ。

 ギルド長は黒髪に白髪が混じり始めていて、人のよさそうな風貌をしている。

 どうにも掴みどころのない。


「それは構いませんが、まずは今回の一件の概要を教えてください。俺は突然現れた黒竜と戦っただけです。後処理にもたずさわっていませんし、話せることといえば、黒竜との戦闘情報だけですから」


「そうだね。ルーナ君、悪いんだけど、もう一度経緯を話してくれないかい?」


「……わかりました」


 ギルド長の依頼に応じたルーナが経緯を話し始める。


 九十二層で探索をしていたら、ボスエリアでもない場所にいきなり黒竜が現れたこと。

 その戦闘中に勝てないことを悟り、『気まぐれな扉』を使ったこと。

 歪んだ空間に入ろうとしたところで黒竜に邪魔されて、逆に黒竜が歪んだ空間の中に入ってしまったこと。

 その後すぐにギルドに向かい、強制送還を依頼したこと。


(なんだよ、それ……)


 話を聞いていた俺は、自分でも驚くほど不機嫌になっていた。


「強制送還後は、地上に現れた黒竜の死体に多少の混乱はありましたが、ギルドの協力もあってすぐに収まり、今に至ります」


「ルーナ君、ありがとう。さて、オルン君、黒竜は『気まぐれな扉』を通って五十層のボスエリアに移動した。《夜天の銀兎》のセルマ君によれば、その場に居合わせた君が、一人で討伐したということだが、本当かい? …………オルン君?」


 ここでは感情的にならず冷静にギルド長の質問に答えるべきだと、理性ではわかっている。


 ――だけど、感情を抑えられない。


「ここまで愚かだとは思わなかった。オリヴァー、お前には心底呆れた」


 ギルド長の質問には答えず、オリヴァーに言い放つ。


「んだと? オリヴァーとアネリの攻撃で弱っていたところを運良く倒しただけのお前に、なんでそんなことを言われなきゃなんねぇんだよ!」


「お前には話してない。外野は黙ってろ」


 俺はオリヴァーに言ったが、デリックが言い返してきた。

 コイツとまともに会話をする気は無いので、視線をオリヴァーから動かさずに一蹴する。


「外野だと⁉ 俺は勇者パ――」


「言葉が通じないのか。黙れと言ったんだ。口を閉じろ」


 なおも吠えるデリックを視界に捉え殺気を込めてもう一度言うと、怯んで口を閉じた。

 最初からそうしていろ。


「イレギュラーがあったことは理解した。フロアボスが、ボスエリアの外に出てくるなんて想定していなくて当然だ。だけど、そもそもの話、なんで新たに加入した付与術士を連れて、早々に深層に潜った? ルーナは反対したはずだ。それを無視してまで深層に潜った理由はなんだ? 何度も行っている場所だから余裕だとでも思っていたのか?」


 オリヴァーは苦い顔をするだけで反論してこなかった。


「……図星かよ。俺は何度も言ったよな? 九十二層も九十三層も攻略できたのは、運が良かっただけだと。今の実力では、これ以上階層を進められる可能性はかなり低いとも言ったはずだ。実際俺たちは深層に入ってから、一歩間違えたら誰かしらが死んでいた場面が多かった」


「――っ! だから付与術士を代えたじゃないか! お前以上の支援魔術が使えるやつが入れば、まだまだ、先に、進めるって、思って、決断して……」


 俺の発言に言い返してきたオリヴァーだったが、徐々に声が弱弱しくなっていく。


「お前が決断し、メンバーの過半数がそれに同意して俺を追い出したんだ。それ自体は怒ってない。実際、俺は小手先の技術で、騙し騙しやっていただけだしな。俺以上の付与術士なんて大勢いる。追い出されたことは悲しかったけど、お前は勇者パーティのリーダーだ。大迷宮を攻略する義務がある。それ自体は否定しないさ。俺が怒りを覚えたのは、――付与術士を軽視していることだ!!」


「軽視なんてしていない! 重要だとわかっていたからこそ、代えたんじゃないか!」


 オリヴァーが強く否定してくる。

 コイツは本当にそう考えているようだ。


「……付与術士が、どれだけ神経をすり減らしながら迷宮探索に臨んでいるか、理解しているのか? 初めての連携が深層? はっ、あり得ないだろ! どうせお前らのことだ、最初から俺と同じレベルを彼女に求めてたんだろ。引き継ぎもしてないのに、そんなことできるわけがないだろうが! そんなパーティが瓦解することなんて、Bランクパーティでもわかるぞ!」


「付与術士の何が神経をすり減らしているって言うんだよ!? 付与術士なんて時間になったらバフを掛け直して、あとは安全な場所から指示を出してるだけだろ! 簡単じゃないか! そんなの支援魔術が使えるやつなら誰だってできる!」


「……本気で言ってるのか?」


 俺は絶句した。


「本気も何もそれが事実だろ!」


 俺はここで初めて理解した。


 ――怒りが頂点を超えると、逆に冷静になるってことを。


「…………オリヴァーが六十一秒、アネリは百三十四秒、デリックは百八十六秒、ルーナは百四十秒、これが何かわかるか?」


 俺のいきなりの質問にオリヴァーが困惑している。

 それでも俺の質問の答えを探そうと頭を働かせているようだが、答えは出ないようだ。


「お前らのバフが切れる時間だ。基本的に付与術士は戦闘中に平均三つのバフを味方に掛けている。しかも、魔術を発動するタイミングが全て一緒とは限らない。戦闘中に十二種類全ての効果時間を把握し、その上でパーティに指示する司令塔の役割もこなさないといけない。オリヴァー、お前にそれができるか?」


「へ、並列構築の応用だ。慣れればできる!」


「お前は天才だからな。確かにできるかもしれない。だが、さっき言った秒数は誰も教えてくれない。お前らのことだ。深層に入ってすぐに連携の確認だとか言って、戦闘を始めたんだろ? フィリー彼女が効果時間を把握できていないにも関わらず。そこで何も言わない彼女もどうかとも思うが、彼女はきっと、バフを切らせればお前らが死ぬかもしれない。そんなことが脳裏によぎりながらも、必死に戦闘の中で試行錯誤していたはずだ。それの何処が、簡単だって言うんだよ!!」


 オリヴァーが目を見開く。

 流石に俺が伝えたかった付与術士の心労が伝わったらしい。


 付与術士は時間に追われている。

 バフが切れた瞬間のあの脱力感は慣れるものじゃない。

 そんなことが戦闘中に起これば致命的な隙になる。

 その隙を見逃してくれるほど魔獣は甘くない。

 戦闘中にバフを切らせればその仲間が死ぬってのは、大げさに言っているものじゃない。


「お前らが今回生きて帰ってこられたのは、運が良かったのと、彼女が優秀な付与術士だったからだ。お前らは彼女に感謝しないといけない」


 俺のその言葉を最後に、会議室は静寂に支配される。

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