236.幽世① 人のぬくもり

 

  ◇ ◇ ◇

 

「……? ここは……?」


 気が付くと、私は見知らぬ場所に居た。


 目の前に映るのは、氷原を思わせる障害物の一切無い白亜の地平線。

 そして、空は東雲を連想させた。

 地表に近づくほど曙光のようなものが空を照らしていて、上に向かうにつれて夜空みたいな闇が広がっている。

 足元は、まるで雲の上に立っているかのようで、真っ白い靄がひざ下あたりまで立ち上っている。


 現実味の無いそれらの光景は、死後の世界とすら思えてしまう。


「……とりあえず、状況を整理しないと」


 深呼吸を行い、心を落ち着かせてから、自分の記憶を辿る。


「私の名前は、シオン・ナスタチウム。…………うん、名前も記憶もちゃんと思い出せる」


 私が知る限りでは、私は私のままであるとわかって安堵した。


 【認識改変】なんて異能があるから絶対の自信は無い。

 だけど、逆説的に考えれば、【認識改変】を懸念しているということは、それを受けていないと考えて良いんじゃないかな。


 そこまで見通されていたらお手上げだから、それ以上は考えても仕方ないしね。


「それじゃあ、えっと、私の最後の記憶は……」


 再び自分の記憶を漁る。


 私の最後の記憶は、ティターニアのもたらされた情報を基に《アムンツァース》が展開した作戦に参加したこと。

 私はその作戦で帝国の属国であるミナガニア王国に潜入して、その国にある《シクラメン教団》の拠点の一つである農場ファームと呼ばれる迷宮を襲撃した。


 その迷宮の最奥で、小憎たらしい二十歳前後の貴族然とした男と会って、


「そうだ。【魔力喰い】の特性を反映させたドゥエと呼ばれていた魔人と戦ったんだ。その戦いの過程で〝外〟に触れて、私は魔の理に至った。それから無事にドゥエを斃して、意識を失った。……それで気が付いたら私はここに居た、と」


 ……うん、結局ここがどこかは分からないね。


 外に触れた直後に、術理に干渉するなんて無茶をして【凍獄之箱庭フィンブルヴェトル】を発動したんだ。

 私は短時間のうちに魔の理と術理という膨大な情報に触れたと言える。

 意識を失ったのは、睡眠のように脳が情報の整理をするためだと思う。

 単純に体力が限界を迎えたから倒れただけというのも否定できないけど。


「うーん……、もう少し情報が欲しいところだけど……」


 私は呟きながら、グルッと周囲を見渡す。


 しかし、どこを見ても同じ景色が続くだけで、変化らしい変化は見受けられなかった。


「……ん? 精霊の動きがちょっと変かも」


 普通の視界では変化が無かったため、続いて精霊の瞳を介しながらもう一度グルッと回る。

 すると、通常の魔力はその場に漂っているだけだったのに、変質した魔力である精霊は、目的地があるかのように同じ場所に向かって移動していた。


「……罠の可能性もあるけど、手掛かりはこれしかないかー。――よしっ! 行こうっ!」


 覚悟を決めた私は臨戦態勢を取りながら、精霊の向かっている場所へと歩を進めた。

 

  ◇

 

 しばらく歩き続けているはずだけど、時間の感覚がマヒしているような感覚に陥る。


 【時間遡行】の異能を持っている私は、どれだけ長時間迷宮などの環境の変化が乏しい場所に身を置いていても正確な時間を言い当てることができて、時間の感覚が衰えることとは無縁だった。

 それなのに、感覚では二時間程度が経過しているはずだけど、自信を持ってそうだと言い切ることができない。


 ……ここは、やっぱり普通じゃない。


(足を進めるたびに僅かずつではあるけど、精霊たち進む角度が小さくなっていっている。少しつずつ目的地に近づいているという実感をくれるのが唯一の救いだね)


 それからも、どのくらいの時間が経ったかわからなくなるほど歩いていると、視界に白い地平線と変化の無い東雲の空以外のモノが映った 。


 警戒心を緩めることなくそれに近づいていくと、すすり泣くような声が私の耳に届いた。


 更に近づくと、それは膝と手を地面につけて蹲っている人だった。


 顔は立ち上っている靄に隠れて見えないけど、身に纏っている衣服や外見から、その人物が誰かわかった。


「…………オルン?」


 私の声に反応したオルンがゆっくりと顔を私の方へと向ける。


 オルンの顔は涙に濡れていた。


「どう、したの……?」


 会えると思っていなかったオルンとこんな場所で再会したことや、ここまで弱っているオルンを前に、私は頭が真っ白になっていた。


 私の知るオルンは子どもの頃も再会した時も、どれだけ厳しい状況でも毅然とした態度を取っていて、弱みを一切見せてくれなかった。


 そんなオルンが、子どもの様にボロボロと泣いている。


 それは私にとってすごく衝撃なことだった。


「……シオンか。丁度いいところに、来てくれた。頼む、俺を殺してくれ」


「……え?」


「じいちゃんが目の前から消えて、気が付いたらここに居た。ここで何度自殺しようとしても 死ねないんだ。お前は俺を殺そうとしていただろ。頼むよ、俺を殺してくれ!」


 切羽詰まった様子で『殺してくれ』と懇願してくるオルンの様子に、彼が本気で死を望んでいることが伝わってくる。


「できないよ、私がオルンを殺すなんて」


 そんなことができるわけがない。


「なんで、だよ……! 俺は死ななくちゃいけないんだ。俺のせいで、仲間がたくさん……。父さんと母さんが殺されたのだって……。なのに、なんでじいちゃんは、生きる価値の無い・・・・・・・・こんな俺のために……! くそっ!!」


 怒り、悲しみ、憎しみ。

 オルンは、身に余る負の感情に苛まれているように見受けられた。


 突然の状況に頭が上手く回ってくれない。


 何でオルンがこんな状態になっているのか、私にはわからない。


 苦しんでいるオルンにどんな言葉を掛けてあげるのが正解なのか、私にはわからない。


 だけど、オルンは一つ、聞き捨てならないことを言った。


「自分のことを『生きる価値が無い』なんて、言っちゃダメだよ。たくさん人を殺めてきた私に命の尊さを語る資格は無いけど、生きる価値の無い人間なんて存在しないと思うから」


「……っ! お前に俺の何が解るって言うんだよ!」


「――解らないよ! 私は、オルンが死んだって聞かされて、それからずっとオルンとの〝約束〟を支えに生き続けてきたんだ! なのに、実際は生きていて。だけど、再会したオルンは私のことを忘れていて……。私に、今のオルンのことが解るわけないじゃないか!」


「…………」


 売り言葉に買い言葉で、私は感情のままに声を上げる。


 いきなりまくし立てるように声を発する私を見たオルンは、苦しげな表情から呆気に取られたような表情に変わっていた。


 自分でも滅茶苦茶なことを言っている自覚がある。

 だけど、オルンが一瞬でも苦しさを忘れることができるなら。


「それでも、私にとってオルンは、恩人で、大好きな人だから。私はオルンの味方で在り続けたいと思ってる。だから教えてよ、今のオルンのことを。辛いことがあったなら私にぶつけてよ。私は、それを一緒に背負いたい」


 思いついたままに言葉を紡ぎながら、そっとオルンを抱きしめる。


 もう二度と触れることができないと思っていたオルンが、私の腕の中に居る。


 抱きしめる力を強めると、オルンの熱が伝わってくる。


 気が付くと涙が零れていた。


「私は、オルンが生きてるってわかって、泣いちゃうほど嬉しいんだよ。だから、死にたいなんて言わないでよ……」


「シオン……」


 オルンから涙に濡れた声が零れる。だけど、その涙は先ほどよりも温かいものに感じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る