219.王女の密命

 

  ◇ ◇ ◇

 

 当初の予定では、ツトライルに帰るために、本日みんなでダルアーネを発つことになっていた。

 そのためセルマさんたちは、各々ツトライルに帰るための準備に取り掛かり始めている。


 俺はというと、フウカと先ほどの話の続きしたかったが、彼女が朝食を取り終えると用事があると言って外に出てしまったため、仕方なく彼女が帰ってくるまで移動の準備をしていた。


 フウカが会わせようとしている人物については、見当がついている。

 その人物とは、恐らくクリストファー・ダウニングだろう。


 ――『ダウニング商会の商会長、クリストファー・ダウニングと接触しろ』


 これもゲイリーが遺した言葉だ。


 ダウニング商会の本店はヒティア公国にある。

 そして、フウカもツトライルにやってくる前はヒティア公国で生活をしていた。


 今の俺には、この符合が偶然のモノとはどうしても思えなかった。


「くそっ、また頭痛が酷くなってきた……」


 自分の過去について深く考えれば考えるほど、頭痛は激しくなる。


 俺の本当の過去とやらを一部でも知っているらしいフウカが言っていたんだ。

 俺がフィリー・カーペンターから【認識改変】を受けていることは、ほぼほぼ確定的だ。

 そうすると、この頭痛の正体は【認識改変】で書き換えられた部分に疑問を持つことで起こるものと考えるのが自然か。

 それ以上深く考えるなという警告のようなものだろう。


「……今考えたところで、時間と労力の無駄だ。俺はこれから自分の過去を知る人物と会うことになる。深く考えるのは、その時で良いだろう」


 頭痛をやり過ごすためにも、過去を考えないよう自分に言い聞かせるために呟く。


 とはいえ、自分の過去について全く考えないというのは不可能だ。

 どうしても考えてしまう。

 そのためか、朝からずっと鈍い頭痛が続いている。

 しばらくはこれが続くんだろうと思うとため息を付きたくなる。


 そんな事を思っていると、ルシラ殿下の側仕えであるイノーラさんが声を掛けてきた。


「オルン様、おはようございます。今、少しよろしいでしょうか?」


「おはようございます、イノーラさん。えぇ、大丈夫ですよ。何かありましたか?」


「姫様がオルン様との面談を求めています。これから姫様の部屋に来ていただけないでしょうか?」


(ルシラ殿下が? 一体どんな用だ?)


 今は自分のことで手一杯というのが正直なところだ。

 しかし、帝国と戦争中である状況で《夜天の銀兎》の幹部として王女を無下にすることはできないか。


 戦場に探索者が行くことは無くなったが、それはあくまで現状では、だ。

 戦況によっては探索者も戦場に出ざるを得ないことも充分に考えられる。

 ルシラ殿下に貸しを作っておけば、そのようになった場合も人選を考慮してくれるかもしれない。

 可能性は低いが、僅かでも団員が戦場に出なくて済む方法があるのであれば、クランの幹部として出来ることはやっておくべきだろう。


「わかりました。ルシラ殿下の元へ向かいます」


「ありがとう存じます。では、案内させていただきます」


 


 イノーラさんの後ろを付いて歩いていると、外に出ていたはずのフウカを見かけた。


「フウカ、もう用事は終わったのか?」


「うん、終わった。オルンはこれから王女と会うの?」


 俺の問いに答えたフウカは、イノーラさんを一瞥してから質問をしてくる。


「あぁ。俺に話しておきたいことがあるらしくてな」


「そう。――ねぇ、私も付いて行っていい?」


 フウカは俺の返答を聞くと、イノーラさんの方へ向き直って同行を希望する。


「はい、構いませんよ。姫様から貴女が同行を求めてこられた際には、応じるよう申し使っておりますので」


 ルシラ殿下がこの状況を見越していたことに驚きながら、俺とフウカはイノーラさんの案内に従ってルシラ殿下の元へと向かった。

 

  ◇

 

「失礼いたします」


「おはようございます、オルン。突然呼び出してしまってごめんなさい」


 部屋の中に入ってからルシラ殿下に声を掛けると、俺に気づいた彼女のから挨拶が返ってくる。

 そんな彼女の表情は普段のほんわかとしたものではなく、何か後ろ暗いことがあるのか、悄然としているように見受けられた。


「ここを発つまでまだ時間もありますし、構いませんよ。それで、ご用件は何でしょうか?」


 努めて笑みを浮かべ、言動で気にしていないことを伝えながら彼女に問いかける。


「私の話をする前に、一つ確認させてください。フウカ、貴女も一緒にやってくることは予想していましたが、どこまで話をしているのですか?」


「詳しいことは何も」


「……そうですか。わかりました」


 二人の会話の内容が俺にはわからなかった。

 俺の居ないところでルシラ殿下の用件について、既に二人で何かしらのやり取りがあったのか?


「オルンをお呼び立てしたのは、オルンにお願いしたいことがあったためです」


 これは予想通りだ。

 その内容までは分からないが、俺を呼び出すということは、何かしらの依頼だろうことは察していた。


「続けてください」


「オルンには、これからヒティア公国へ行ってもらいたいのです」


(……ここでもか。ここにきて、俺に関わることがヒティア公国に向かっているな)


 そんなことを心の中で思っている間も、ルシラ殿下の話は続く。


「実は、連合軍の件で周辺諸国へ呼びかけをすると同時に、ヒティア公国にも協力要請をしていました――」


 ヒティア公国は魔術大国として知られ、諸外国にも大きな影響力を有している国家だ。

 影響力を持つ理由は、おとぎ話の勇者――《異能者の王》が建国した国だというのが大きい。

 かの国は元々『王国』であったが、《異能者の王》が崩御してからは新たな君主を決めず、上級貴族が持ち回りで国を運営することになったため、王国から公国へと変わった経緯がある。


 ルシラ殿下の話を要約すると、彼女はヒティア公国に魔導兵器の融通を依頼していて、それが了承されたらしい。

 ヒティア公国は魔導兵器を融通する条件として、対面での引渡を希望しているようだ。

 最新式の魔導兵器が万が一にも運送中に紛失しないためにと考えてのことだろう。


 当初の予定では周辺諸国が兵を集めているうちに、ルシラ殿下が《翡翠の疾風》を護衛として引き連れてヒティア公国に赴くことになっていた。

 しかし、彼女の想定よりも早く戦端が開かれてしまった。

 加えて、《英雄》こそ戦場に現れていないが、帝国は初端から大量の戦力を投入しているようで、予定を繰り上げてすぐにルシラ殿下は連合軍と共に戦場へと向かうことになってしまったという。


 そこでヒティア公国に向かう人材として、白羽の矢が立ったのが俺ということらしい。


「無茶なお願いをしていることは、重々承知しています。しかし、この状況で一番安心してこの任を任せられるのはオルンを置いて他にありません。どうか、引き受けてはいただけませんか?」


「お話はわかりました。念のための確認ですが、この依頼は、名目上のもの・・・・・・ということでよろしいですか?」


 俺がそう問いかけると、ルシラ殿下は笑みを深めるだけで何も言わない。

 だが、それが答えのようなものだ。


 先ほどのルシラ殿下とフウカの会話から、俺の知らないところで二人が何かしらのやり取りがあったことは間違いない。

 加えて、仮にフウカが俺に会わせようとしている人物がヒティア公国に居なかったとしたら、ルシラ殿下の話に割って入ったはずだ。

 それだけ今朝のフウカの雰囲気は真剣なものだった。


「イノーラ、席を外して」


 ルシラ殿下が彼女の傍に佇んでいるイノーラさんへ声を掛ける。


「しかし、姫様――」


「――命令よ。異を唱えることは許さないわ」


「…………畏まりました」


 ルシラ殿下が有無を言わせない雰囲気でそう告げると、イノーラさんは部屋を退室した。


「――では、腹を割って話をしましょうか」


 部屋の中に俺とフウカ、ルシラ殿下の三人だけになったところで、ルシラ殿下が口を開いた。


「オルンの言った通り、この依頼はあくまで名目上のものです。ヒティア公国の支援を受けるという話自体は本当ですが、支援を受けるにあたって先方が提示してきた内容は、『フウカの要求を飲むこと』というものでしたので」


「そして、そのフウカの要求が、『俺をヒティア公国に連れていくこと』だったわけですね?」

 俺の確認にルシラ殿下が頷く。


「えぇ、その通りです。そこまで言い当てられるとは思っていなかったので驚きました」


「フウカ、一つ聞いてもいいか?」


 ルシラ殿下の話を聞いた俺は、隣にいるフウカに声を向ける。


「なに?」


「何でわざわざこんな大義名分を用意したんだ?」


「それは単純。敵がどこに潜んでいるかわからないから」


「敵?」


「そう。オルンがヒティア公国に行くことは、オルンが思っている以上に重大な出来事だから、慎重を期す必要がある。ルシラからの依頼も密命ということにして、その内容は誰にも明かさないことを徹底して。下手をすれば、全てが始まる前に・・・・・終わる・・・から」


 再び真剣な雰囲気を纏ったフウカに釘を刺される。


 ゲイリーも『このことが教団に知られれば全てが終わる』と言っていた。

 つまり、敵というのは《シクラメン教団》のことを指しているのか?


「わかった。何が待ち受けているのか怖くもあるが、肝に銘じておく」


「うん、だけど、そんなに気負う必要も無いよ。オルンの剣である私が傍にいるから」


 俺の、剣……?

 そういえば、去年の感謝祭で行われた武術大会の時も、フウカは同じことを言ってたな。

 続けて『俺が世界の敵になる』とも言っていたんだったか?

 あの時は疲労などであまり深く考えてなかったけど、結局どういう意味なんだ?


「……その、俺の剣ってなんだ?」


「今は気にしなくていい。そのうち解るはずだから。そう遠くないうちに・・・・・・・・・。――それとルシラ。はい、これ」


 俺の質問の答えを濁したフウカは、そのままルシラ殿下に魔石の付いた鞄を手渡した。


「これは、もしかして……」


「うん、ヒティア公国からの支援物資。確かに渡したから」


「こんなに早く渡されるとは思っていませんでした。ありがとうございます」


 ルシラ殿下が驚いた表情で声を漏らす。

 もしかして、フウカが済ませた朝の用件というのは、これを受け取りに行くというものだったのか?

 

  ◇

 

「それではオルンさん、私たちは先にツトライルへ帰りますね!」


 《黄昏の月虹》メンバーにセルマさんを加えた五人の帰還準備が整い、その見送りに出たところでソフィーが代表して挨拶してくる。


「みんな、一緒に帰れなくてごめん。このメンバーなら心配いらないだろうが、道中気を付けて」


「私たちよりもオルンの方が心配だ。ルーシーからの密命ということだが、本当に危険はないのか?」


 俺の言葉を聞いたセルマさんが、心配そうな表情で問いかけてくる。


 これから俺がヒティア公国に向かうことを知っているのは、ルシラ殿下と話を聞いていたイノーラさん、それに俺の同行者であるフウカとハルトさんだけだ。

 先ほどフウカに釘を刺されたこともあり、セルマさんたちにはルシラ殿下の密命で別行動をすることになったとしか伝えていない。


「あぁ。命の危険があるような依頼ではないよ。パパッと済ませて俺もすぐツトライルに帰るから、心配しないで」


 俺はこれから自分の過去を知ることになる。

 どんなものが待ち受けているのか、恐ろしくもあるが、それで俺が変わることは無い。


 今の俺は、《夜天の銀兎》の探索者だ。

 俺の帰る場所は、《夜天の銀兎》だ。


「そうか。何かあれば私でもクランでも良いから連絡を寄こしてくれ。すぐに駆け付ける」


「僕たちもです! 師匠なら難なく終わらせてしまうとは思っていますが、万が一にでも、何か困ることがあったら、遠慮なく僕たちを頼ってください!」


「ありがとう、セルマさん、ログ。心強いよ。もし何かあったら必ず助けを呼ぶことにする」


「ししょー、早く帰ってきてね! やっぱりししょーにはあたしたちの快進撃を間近で見て欲しいから!」


 続けてキャロルが口を開いた。


 彼女の言う快進撃とは、南の大迷宮の攻略についてだろう。

 《黄昏の月虹》は年明け早々に下層へと到達した。

 通常は順調に下層に到達しても、これまでの洞窟のようなものとは違う開放的な環境や、魔獣の強さに戸惑い攻略のペースはガクッと落ちる。


 彼らにもそれは当てはまるが、先日の一件でソフィーとキャロルは精神的に大きく成長した。

 ログとルーナも合わせれば、今の《黄昏の月虹》なら、大迷宮深層の到達も可能だと思っている。


「そうだな。帰ってきたらお前たちに追い抜かれている、なんてならないように、一日でも早くツトライルに帰れるよう頑張るよ」


 メンバー全員と一通りの会話を終えたところで、《黄昏の月虹》の面々とセルマさんが馬車へと乗り込んだ。

 そして、彼女らを乗せた馬車がゆっくりとツトライルに向けて動き出した。


 視界に映る馬車の大きさが徐々に小さくなっていく。

 それに対して反比例するかのように、俺の中で胸騒ぎのようなざわつきが大きくなっていくのを感じた。


 弟子や仲間と再び離れ離れになることに、センチメンタルな気分になっているのかもしれない。


「…………それじゃ、俺たちもヒティア公国に向かおう」


 馬車が見えなくなったのを確認してから、傍に居たフウカとハルトさんに声を掛ける。


「了解だ。いやぁ、にしても、ヒティア公国に行くのも久しぶりだな~」


 俺の声掛けに、ハルトさんは緊張感のない間延びした口調で返事してくる。


「フウカとハルトさんはツトライルに来る前はヒティア公国で暮らしていたんだよな?」


「あぁ。数年前に故郷キョクトウで起こった内戦から逃れるために国を出て、それからなんやかんやあって一年ほどヒティア公国で生活してから、これまたなんやかんやあってツトライルで探索者をやることになったんだ。振り返ると、ホント、人生って何があるかわからねぇよな」


 少し踏み込んだことを質問したが、ハルトさんは特段気にした様子もなくあっけらかんと答えた。


「だったら、ヒティア公国に行ったことない・・・・・・・俺よりも、地理に詳しいよな? 道中のルート選択はハルトさんに任せても良いか?」


「あぁ、元からそのつもりだ。ちっと特殊なルートを使う予定だからな」


「特殊なルート?」


「それはその時になってからのお楽しみってことで」


「ハルト、道中でラウローニ王国の鳥もつ煮とツァハリーブ王国のジャガイモを使ったグラタンは食べたいから、それが食べられる場所を通過するルートがいい」


 俺とハルトさんの会話を黙って聞いていたフウカが、突然口を挟んでくる。


「お前はブレねぇなぁ。大した遠回りにはならないから良いけどよ」


 そんな会話を繰り広げながら、俺たちはルシラ殿下に用意してもらった馬車に乗り込んで、ダルアーネを発った。


 


 


 

 この時の俺は、あんな結末が待っているなんて夢にも思っていなかった。

 

 いつの日かフウカが言っていた。


 『安寧なんて、この世のどこにもない。当たり前と思っている日常なんて、いつ壊れてもおかしくない薄氷の上に成り立っているものでしかないのだから』と。


 俺はこれから、その言葉の真意を痛感することになる――。

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