第四章

119.【prologue】禍乱への第一歩

 四聖歴六二九年九月某日。

 サウベル帝国の重鎮が集まっている会議室は、重苦しい雰囲気に包まれていた。


「今はまだ隠せているが、これはもう、隠しきれないところまで来ているな……」


「全く、そいつらは何が目的なんだ……! ジーモン! 迷宮を攻略し続けているバカ共はまだ見つからんのか!」


「申し訳ありません。調査に全力を挙げているのですが……」


 現在、サウベル帝国は深刻な魔石不足に陥ろうとしている。


 半年ほど前に西の大迷宮が攻略されてから、迷宮素材は余りあるほど取得できた。

 しかしその代償として魔獣が現れなくなったことにより、魔石を入手することができなくなった。


 それでも広大な土地を有する帝国内にはいくつもの迷宮が点在しているため、それらの迷宮から魔石を取得することで充分補える見込みであった。


 しかしここ最近、その迷宮が次々と攻略されるという想定外のことが起こった。

 つまり、迷宮に魔獣が出現しなくなり、魔石が入手できる場所がどんどんなくなっているのだ。


 更には西の大迷宮が攻略されたことにより、帝国に拠点を置いていた探索者たちが他国に大量に流出していることから迷宮に入れる者が少なくなったことも、魔石不足を加速させている要因となっている。


 今の生活に魔石は必要不可欠だ。

 魔石不足が更に顕著となった場合、当然魔石の価格は高騰していき、所得の低い庶民は魔石を入手することができず、魔導具無しの生活を強いられることになるだろう。


 人間は生活水準の向上には順応できても、低下に順応することは難しい。

 以前の楽な暮らしを知ってしまっては、不満が溜まる一方であることは想像に難くない。


 その不満から労働力の低下、延いては国力の低下にも繋がりかねない。

 魔石不足は決して軽視して良い問題ではないのだ。


 そのことは出席者全員が承知していることであろう。


 重苦しい空気の中でも、出席者は現状を打開する案をあれこれと出し合っている。 


 と言っても、出席者は全員、頭の中には明確な打開策が浮かんでいる。

 しかし、誰一人としてそのことを口にしない。――いや、できない。


「こ、これはもう、他国からの輸入も視野に入れないといけないのでは……?」


 明確な答えがありながらも停滞し続ける会議に痺れを切らし、比較的若い出席者の一人が、勇気を出して発言する。


「ほぅ……。それは余に頭を下げろと言っているのか?」


 これまで会議を静観していた皇帝――ヘルムート・ルーツ・クロイツァーが、発言者を見据えながら口を開く。


「い、いえ……。そ、そのようなことは、決して……。しかし、このままでは、この国は……」


 皇帝の眼光に晒され、発言者は冷や汗をダラダラと垂らしながらも、国のことを想ってなおも言葉を紡ぐ。


「魔石が無くなった程度では、屈強な余の国が傾くことはあり得ない。そうだろう?」


「そ、それは勿論です! しかし――」

「くどい。わかっているなら他国の力を借りる必要も無いだろう」


「「…………」」


 皇帝のその言葉を最後に、更に重苦しい空気のなった会議室では、もう誰も口を開こうとしなかった。


「揃いも揃って、良案の一つも出ないのか」


 静まり返った会議室に皇帝の呆れ声が通った。


「陛下には、この状況を打開する案があるということでしょうか?」


 皇帝の傍に控えている壮年の男――宰相ランク・トラレスが問いかける。


「当然だ。むしろお前たちが何故思いつかないのかが不思議で仕方がない。――無いのであれば、あるところから奪えば良いだけの話だ。簡単だろう?」


「陛下、お言葉ですが、武力行使には相応の魔石を必要とします。平時ならともかく、現在は魔石をそちらに回す余力がありません」


 ランクが、皇帝の考えを否定する。

 ランクは皇帝の信頼厚き皇臣であるため、先ほどの発言者のようにはならなかった。


 魔導具の登場は生活水準の向上の他にも様々な恩恵をもたらしている。


 その代表的なものの一つが、魔導兵器の登場だ。


 一昔前までの戦争でも魔術による殺戮は度々起こっていた。

 しかし、魔術は術者本人の実力に依存するものであることから、戦術・戦略的に有効であったとしても魔術士を喪うリスクと天秤にかけていたため、頻繁に起こるものではなかった。


 その状況を一変させたのが魔導兵器である。

 魔導兵器は、魔石があれば誰でも起動できることから、前述の貴重な戦力の喪失というリスクが大幅に軽減されている。


 魔導兵器の登場と同時期に大陸北部で勃発した北域戦争では、魔導兵器によって過去に類を見ない規模の破壊がまき散らされた。

 それが約六十年前の出来事。

 以降、各国は魔導兵器の開発に注力し、幸いにもそれが抑止力となり、北域戦争以降は表面的には平和と呼べるものとなった。


「ふん、そのくらい余でもわかっている。だが、余の国には魔導兵器すらも凌駕する最強の戦力があるではないか。――余の愚息であるフェリクスがな」


 皇帝のその発言に会議場内で多少のざわめきが起こる。


 サウベル帝国の皇太子であるフェリクス・ルーツ・クロイツァーが《英雄》と呼ばれている理由、それは約二年前に未曾有の規模で起こった魔獣の氾濫から帝都を護ったことが大きな要因だ。

 更には大迷宮の攻略という前人未到の偉業を成し、外交でもいくつもの功績を立てていることで、国民から絶大な支持を受けている。


「フェリクス殿下を、ですか?」


「そうだ。魔導兵器を装備した者が何百何千と束になろうとも倒れることのない、一騎当千のつわものだ。ここで役に立ってもらわないで、どうするというのだ? フェリクスと奴の近衛を先行させ、迷宮のある地域を制圧する。そこで魔石を補給し侵攻の足掛かりとする。――ランク、向かわせるにはどこが最適だ?」


「…………であれば、クライオ山脈を南下したところにあるノヒタント王国のレグリフ領が最適かと。諜報員によると最近になりそこには迷宮が新たに出現したと聞いています。更にはかの王国には南の大迷宮も存在していますので、王国を攻め滅ぼすことができれば、再び我が国は大迷宮を有することができます」


「……決まりだな。――フェリクスを呼べ!」



 ――そう、これが始まりだった。



 劣等感にまみれた皇帝の、この安易な決断が――。


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