162.93層攻略② 特異魔術士
『やっぱり大したダメージにはなってねぇな』
レインさんとルクレの攻撃魔術による雨を受けても、ダメージを受けているように見えない大蛇を見たウィルの呟いたような声が脳内に響いた。
『いや、少しずつでも確実にダメージは蓄積されているはず。じれったいけど、このまま魔術で少しずつ削っていくしかない。セルマさん、魔剣による攻撃も効果的ではなかったから、俺もウィルと一緒に後衛陣のフォローに入る』
大蛇の体質的に物理的な攻撃はあまり効果が無い。
魔剣ならと思っていたが、先ほどの一撃で魔剣もあまり効果的でないことがわかった。
そこで本格的に魔術メインの戦闘に切り替えることとなる。
『わかった。全員オルンの声は聞こえていたな。ここからは持久戦だ。全員集中力を切らせるなよ!』
『『『『了解!!!!』』』』
今回の戦闘の方針がある程度固まった。
俺は左手で地面に触れてから、術式を構築して地面に魔力を流す。
それから【
セルマさんの言った通りここからは持久戦となる。
俺にはまだ仕事があるため、序盤でへばるわけにはいかない。
俺たちが大蛇への接近戦を控えることにしたことで、レインさんとルクレが攻撃の密度を更に増した。
その射線上に【
それと同時に、俺とウィルは魔石の付いたアクセサリをいくつか身に着けてから低木を切り倒していく。
大蛇の魔法は植物に干渉し自在に操るというものだ。
先ほど巨木を一瞬で生やしたように新たに植物を出現させることもあるが、それ以外にもボスエリア内の低木が意志を持った生き物のように自律的に行動することもある。
それを防ぐためにも余裕のあるうちに邪魔な木は排除していく。
《黄金の曙光》で戦った大蛇は地面を縦横無尽に這いずり回っていた。
巨大な体が動きまわるだけで脅威であったが、今の大蛇は冬に活動を停止するヘビのように相変わらずボスエリアの中心からほとんど動いていない。
更に寒い環境だからか、魔法による反撃もあまりしてこない。
魔術によって少なからずダメージを負っているのに動きが無いということは、ボスエリア内の気温を下げるという作戦は大成功と言って良いだろう。
この魔導具を開発してくれた《夜天の銀兎》の魔術開発室には感謝してもしきれないな。
――だけど、このまますんなりと終わらせてくれる相手とも思えない。
しばらく一方的な展開が続いていたが、大蛇が突如「シャー」と威嚇音のようなものを発すると、ウロコの色が青味掛かっていく。
予想の一つとして仮定はしていたが、どうやらこの寒い環境に適応したようだ。
大蛇のウロコが暗い青色に変化し、先ほどまでじっとしていたのが嘘のようにその巨体に見合わない速さで
これがボスエリアに入る前に、ウィルに今回の敵は毛色が違うと言った理由だ。
大蛇は通常の魔獣とは違いあまり魔石を狙わない。
魔石の意味が全く無いとまではいかないが、魔石を身に着けているディフェンダーよりも魔術を使用している後衛を狙うことが多い。
物理的な攻撃が効かず魔石による誘導もできない。
そのため、大蛇はディフェンダーにとっては戦いにくい魔獣の筆頭になるだろう。
これが大蛇特有の行動なのか、それとも今後のフロアボスにはこれまでのヘイト管理が通用しないのか、それは九十四層のフロアボスと相対しないと判断がつかない。
ウィルや俺などの深層までたどり着いている前衛であれば、大蛇の突進は難なく対処できる。
だからこそ大蛇は、接近戦の苦手な後衛に突進を仕掛けているのだろう。
魔術士は敵が自分に近づいてくる前に殲滅することが多く、接近戦は前衛に任せていることが大半であることから、接近戦の経験値が低い。
だから後衛に接近戦を挑むというその判断は正しい。
でもな、大蛇。
それはレインさんを舐めすぎだ。
『レイン、フォローは必要か?』
大蛇がレインさんに向かっているところを見てセルマさんがレインさんに念話で問いかけるが、その声音に焦りはない。
『バフの維持だけお願い。私が引き付けるから、みんなは攻撃の準備をしておいて。あ、ルクレは水系統の魔術の待機もよろしくね』
対するレインさんも大蛇が接近しているというのに緊張の気配を一切全く見せず、あっけらかんと返答する。
レインさんと大蛇の距離が徐々に狭まっているところで、彼女が手に持つ杖でトンと地面をたたく。
直後レインさん周囲の地面が隆起し、ランダムに現れた石の柱が障害物のように大蛇の進行を妨害する。
四足歩行のような魔獣であればこの障害物が邪魔となり突進を防げたかもしれない。
だが地面を這うように進む大蛇にはあまり効果が無く、石の柱の間を縫うように進んでいた。
石柱を意に介した様子もなく進む大蛇が、ついにレインさんの目の前に迫り、その口を大きく開く。
大蛇の上下の顎が彼女を左右から挟むと、丸呑みするべく口を閉じる。
直後大蛇の口の中で大きな爆発音が聞こえた。
開いている口からは細い煙がたちあがり、大蛇が苦しむように藻掻いているように見える。
「私の魔術は美味しかった?」
初めて目に見えるダメージを負った大蛇に向かって、いつの間にか石柱の上に立っていたレインさんが話しかける。
大蛇が声を発したレインさんに敵意の視線を向けると同時に、一般人では反応することが難しいほどの速さで尻尾を振るう。
その尻尾がレインさんの居る柱の上に叩きつけられる。
一般人では反応できないと言っても、レインさんは一般人とは違い戦闘に長けた探索者だ。
それも深層に到達するほどの実力がある。
更にセルマさんからバフを受けている彼女であれば、見切ることは容易だろう。
「惜しい。こっちよ」
既に別の石柱の上に移動していたレインさんが煽るように大蛇に声を掛ける。
この個体は短気なのか、大蛇が更に怒気を強めながら魔法でレインさんの周りから植物のツタのようなものをいくつも生やす。
大量のツタがレインさんに襲いかかる。
『ルクレ、水!』
ツタが生えてきた光景を見て、レインさんがルクレに念話で声を掛けながら自身の周りに魔力障壁を張る。
レインさんの頭上にいくつもの魔法陣が出現すると水の弾が降り注ぐ。
水に濡れたところでツタの動きが鈍くなることは無いため、俺が【重力操作】でツタの動きを妨害する。
『オルン君、ありがとう』
それに気づいたレインさんからお礼の言葉を貰う。
それから、
「【
レインさんが魔術を発動させると、先ほどの白い短剣が発した白煙よりも高密度の魔力を内包している白煙の冷気が彼女の周りに現れる。
そしてレインさんを襲おうとしていたツタが凍りついたことで彼女まで届くことはなかった。
「ふふっ。ヘビさん、残念。また私に攻撃が届かなかったね」
再び大蛇の攻撃を難なく対処したレインさんが大蛇を煽る。
自身にヘイトを向けるために。
大蛇が「シャー」と音を発してから頭突きをするように、先ほど以上の速さでレインさんに突っ込んでいく。
その音は先ほどの威嚇音のようなものではなく怒り狂っているかのように聞こえた。
大蛇の頭突きがレインさんに届く直前に、レインさんは【
魔術とは、術式を構築してからその術式に魔力を流すことでようやく発動する。
術式を構築することや魔力を流すこと自体は、誰にでもできることだ。
しかし構築する術式の種類は、人によって得手不得手が分かれる。
支援魔術の術式構築が苦手でも攻撃魔術は得意だとか、攻撃魔術の中でも火系統は得意だが水系統は苦手であるといった風に。
術式の種類による得手不得手が無いといった人間も存在するが、それは少数派だ。
俺が知る限りその少数派に分類されるのは、俺以外ではじいちゃんと元勇者パーティのアネリくらいだな。
大抵の場合は、それぞれに得意分野というものが存在する。
セルマさんはそれが支援魔術であり、ルクレは回復魔術だ。
では、レインさんは?
攻撃魔術?
いいや違う。
彼女は特異魔術士と呼ばれる魔術の申し子のような存在だ。
特異魔術士は得手不得手の無い俺たちと本質的には同じとなる。
しかし、一つだけ大きな違いがある。
それが特異魔術と呼ばれるほどに、〝その魔術〟においては右に出るものが居ないほどに常軌を逸した適性を持っていること。
適性とは例えば、『術式構築に時間を有しないほど一瞬で術式を構築することが可能』であったり、『魔術では到底不可能な範囲に影響を及ぼせる』であったりだ。
レインさんの特異魔術は【
全ての魔術の中で術式構築が一番困難と言われている魔術であるため慣れている人でも術式構築には苦戦するが、彼女はそれを一瞬で組み上げることができる。
そんなレインさんであるが、特異魔術士であったことで過去に悲惨な目に遭ったことがあるらしく、滅多に【
今回の大蛇戦では後衛が狙われやすいこともあり、レインさんに一時的にディフェンダーを兼任してもらうのが無難であったことから【
使う場合も今回のように転移させる対象は自身のみで、更に転移距離も自身の半径数メートルという条件付きではあるが。
『みんな、今よ!』
レインさんが居なくなった石柱に大蛇が頭を激突させていると、脳内にレインさんの声が響いた。
その隙を見逃さずに、
「「「【
「
「天閃!」
レインさん、ルクレ、セルマさんの三人が特級魔術を、ウィルが混沌の斬撃を、俺が漆黒の斬撃を、それぞれ大蛇に叩き込む。
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