274.【sideレイン】姉妹の在り方

 

  ◇ ◇ ◇

 

 レインが《夜天の銀兎》本館の屋上の縁に腰かけながら月を見上げていた。


「こんなところに居たのか」


 レインに近づいてきた女性――セルマが彼女に声を掛ける。


「……うん。月を見てたんだ」


 セルマはレインの言葉を聞いて顔を見上げた。

 そこには暗闇の中で孤高に輝く満ちた月が、夜空を彩っていた。


「最近月を見上げることは無かったが、改めて見ると綺麗だな」


「そうだね」


 それから二人はしばらく静かに月を見上げていた。


「それで、私に何か用があるんじゃないの? もしかして、みんなの士気を下げてることに対する苦言とか説教?」


 レインが弱り切った表情をセルマに向ける。


 オルンが彼女たちにクランを脱退する旨を告げたあの日から、レインはずっと無気力なままだ。

 地上の魔獣を討伐するための各地を回る部隊に参加こそしていたが、普段の彼女とは程遠い状態だったことで、他の探索者たちも戸惑っていた。


「そんな顔をしているお前を怒れるわけがないだろ。辛いだろうに魔獣討伐に協力してくれてむしろ感謝している。こういうことを大声では言えないが、本調子じゃないレインでも他の団員たちよりも魔獣を討伐しているわけだしな」


「そっか。私もこのままじゃダメだって頭ではわかってるんだけどね。心が追い付かないっていうか。とにかく、迷惑かけてごめんね」


 弱々しい笑顔で謝罪をしてくるレインを見て、セルマは悲しいようなやるせないような、そんな表情を見せた。


「なぁ、レイン。話してくれないのか? 自分の中で消化できると思ってずっと黙ってきたが、良くなるどころか、むしろ辛そうにしている時間の方が多くなっているように見えるんだ。そんなお前を、私は、もう見ていられない……」


「本当に、ごめんね。でも、私はお姉ちゃん・・・・・だから」


 レインのその言葉に、セルマの目が非難するような目つきに変わる。


「……姉だから、何だ? 下の者に弱味は見せないってことか? そんなにわかりやすく苦しんでいるのに……!」


「あはは……。それを言われると言い返せないけど。まぁ、そうだね。お姉ちゃんは全てを背負い込むものだから」


 セルマが肩を震わせる。


「それが、レインの思う姉の姿なのか……? だったら、そんなものは間違ってる! 私はこれまで何度も妹に弱いところを見せている! 恥ずかしいところだって、呆れられるようなことも! それでも、そんな私をソフィアは受け入れてくれている。姉妹なら良い部分も悪い部分もひっくるめて見せるものだろ!?」


「…………」


「私はレインのことを大切な仲間だと思ってる! 姉のように頼ってる! いつもレインには助けられてきた。私だって、レインの力になりたいんだよ……!」


 セルマが感情のままにまくし立てた。


 その必死な言葉がレインに届いたのか、彼女の瞼から筋を引いて涙がこぼれた。


「……いい、のかな……? こんな私が、人に頼って……。救われるべきじゃない、この私が……」


 セルマはレインの言葉に力強く頷いた。


「良いに決まってるじゃないか!」


 レインは涙を流しながら「ありがとう……」と小さく呟いた。

 

  ◇

 

 しばらくして、落ち着きを取り戻したレインはぽつりぽつりと自分の過去を語り始めた。


 それは特異魔術士としてちやほやされて、調子に乗っていた幼少期の出来事。

 ある日レインは、右目に眼帯をしている男から、彼が率いる人たちを黎明の里に転移させてほしいと依頼を受けた。

 それが人助けのためだという言葉を信じて、レインは彼らを転移させた。

 その数日後に姉であるテルシェから真実を告げられることになる。

 彼らの目的が人助けとは正反対の、里を滅ぼすことだということを。

 それと同時に、レインはそれに間接的に関わっていることで、このままでは遅かれ早かれ殺されることになることも教えられた。

 里があった場所の悲惨な状態を見せられたレインは、テルシェから必要最低限の物資を渡され、国を出ていくように言われ、それに従った。


「黎明の里……? 聞いたこと無い地名だな」


 レインの話を聞いていたセルマが呟く。


「……うん。もう無い場所だからね。…………そ、それでね……」


 話すことを決めたレインだったが、核心部分へと来たところで止まってしまった。


 これを聞いた後のセルマの反応が怖くて堪らないようだ。


(話すって決めたじゃない。もし、話してセルマに失望されたとしても、それは私が悪いんだから、受け入れないと……)


 レインは何度か深呼吸をしてから、意を決して口を開く。


「それでね、その黎明の里っていうのが、――オルン君の故郷なんだ」


「…………え?」


 予想外過ぎたのか、セルマから間抜けな声が漏れた。


「勿論、その日も里に居た。オルン君は運良く助かったみたいだけど、オルン君の両親や里に居たほとんどの人たちは、その時に殺された」


「…………」


「だから、私がオルン君のご両親を殺したようなものなんだ。オルン君の記憶喪失っていうのも、その時のショックによるものじゃないかって思ってる。……私はオルン君からご両親を奪っておきながら、彼に姉のように接してたんだよ? ……ね? 私は救われるべき人じゃないでしょ?」


 レインが自分を皮肉った笑いを浮かべる。


 セルマが顔を落とす。


 夜ということも相まって、レインには彼女の表情が見えなかった。

 セルマが黙っていたのは数秒程度だろう。

 しかし、審判を待っているような感覚だったレインには、その時間が永遠にも感じていた。


「……そうだったのか」


 セルマが口を開いた。


 レインが息を飲みながら目をぎゅっと閉じる。


「話してくれてありがとう。そんな風に思っていたなら、苦しかったよな」


 セルマがレインを優しく抱きしめる。


 責められると思っていたレインは、セルマの言動に目を白黒させる。


「……え? なんで? なんで、私を責めないの? だって私はセルマの好きな人の両親を奪ったんだよ……?」


「なんで、そうやって自分を責めるんだ。レインがやったわけじゃないだろ。レインは人助けをしたかっただけじゃないか。それに、あの日オルンも言ってたじゃないか。『レインは悪くない』って。『悪いのはレインに片棒を担がせたアイツらだ』って。今の話を聞いて私もオルンと同じ意見だ。悪いのは、レインの善意に付け込んで里を攻めた眼帯の男じゃないか」


「でも、私が協力しなければ……」


「確かに、レインが協力しなければ防げた悲劇なのかもしれない。でも、眼帯の男は別の方法で里を襲撃していたかもしれない。結局のところどうなっていたかなんてわからない。全く気にするなとは言わないが、必要以上に罪悪感を抱える必要も無いと思うぞ」


「……ありがとう、セルマ。少しだけ胸のつかえがとれた気がする。セルマに話して良かった」


 肩の荷が下りたのか、レインはここ最近で一番晴れやかな笑顔を浮かべた。


「レインの力になれたなら良かった。これからも何か困ったことがあったら遠慮なく話して欲しい。ウィルとルクレも心配していたぞ? 二人ともこれまでレインに頼ってばかりだったから、これからは自分たちが支えるんだって、魔獣討伐を終えてから二人で特訓しているみたいで、ここ最近はいつもボロボロになって帰ってきているんだから」


「そう、だったの……? 気付かなかった。あはは……、どれだけ周りが見えてなかったんだろうね……。二人にも悪いことしちゃったな……」


「今のレインの笑顔を見せてやれば、二人も安心すると思うぞ」


「うん、そうだね。まだ二人は帰ってきてないのかな?」


「最近と同じ時間に帰ってくるなら、もうそろそろ帰ってくると思うぞ」


「そっか。だったら出迎えに行こうかな」


 レインは立ち上がると、しっかりとした足取りで屋上の扉の方へと歩き始めた。


 セルマがその後ろ姿を見て安堵したような表情をしていると、ハッと何かを思い出したかのような顔をした。


「あ、レイン! 最後に一つだけ訂正させてくれ!」


「……?」


「わ、私はオルンのことが好きなわけじゃないぞ? いや、人間としては好いてるが、男として見てるわけじゃないからな!」


 セルマの言葉を聞いてポカーンとしていたレインが、コロコロと笑った。


「えー、それは無理があるよ。だってセルマ、オルン君を見てる時だけ、普段よりも柔らかい表情してるし」


 静かな夜に、レインの笑い声が響く。


 彼女の中にある罪悪感が無くなったわけではない。

 未だ苦しさを抱えながら、それでもレインは微笑みを浮かべている。

 その笑顔は、月明かりに照らされ、優しく輝いていた――。

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