206.【side黄昏の月虹】迷宮攻略② 姉妹対決

 

  ◇

 

 ルエリアによって最奥の外へと放り出されると、そこは迷宮の入り口と同じ開放的な丘陵となっていた。


 この迷宮は第二階層以降の階層が無く、第一階層で完結している迷宮となる。

 その代わりに、迷宮の表面積は他の迷宮の比ではなく、迷宮の心臓部である最奥も背景に溶け込むように隠れているため、見つけるのは困難を極める。


 そのためルエラが空けた穴を外から見ると、空間に穴が開いているように見える。


「……ルエラお姉ちゃん」


 キャロラインが受け身を取ってすぐに立ち上がる。

 同じく最奥から外に出てきた彼女の姉であるルエリアに掛ける言葉には、戸惑いの色が強く出ていた。


「《博士》からの命令だから、貴女は殺さなくてはならない。でも、貴女を殺すのは手間がかかるのよね。《博士》には殺したといっておくわ。だから、このままどこかに消えなさい。もう二度と、《博士》に見つからずに、ひっそりと暮らしていれば、それでいいわ」


 ルエリアが感情の無い無機質な目をキャロラインに向けながら、同じく無機質な声で命令にも近い提案をする。


 過去のキャロラインにとってオズウェルや兄姉の言葉は絶対だった。

 その言葉に逆らうことは無く、表面上は笑顔でどんなことにも応じていた。


「……嫌だ」


 それでも、今のキャロラインにとって、その言葉は絶対のものではなくなっている。


 キャロラインの拒絶にルエリアは目を軽く見開き、驚きの表情を浮かべていた。


「あたしは《博士》と決着を付けにここにきているんだ! それにソフィーに何かしようとしていることがわかっているのに、一人だけ逃げるわけにはいかない! お姉ちゃん、あたしは本気だよ。邪魔をするなら、お姉ちゃん相手でも、あたしは戦うよ」


 キャロラインの言葉だけでなく、彼女の瞳にも強い覚悟が灯っていた。


 そんなキャロラインを見て一瞬だけ目を細めるが、すぐに普段のつまらなそうな表情にもどして剣を構える。


「……そう。だったら掛かってきなさい。貴女が死ぬまで斬り刻んであげるから」


「そんなことはできない。もうあたしは、ルエラお姉ちゃんの前でビクビク震えているだけの弱い人間じゃない! あたしの成長をお姉ちゃんに見せてあげる!」


 二人が声を上げながら、距離を詰める。

 キャロラインの武器は、刃渡り三十センチ程度の二振りの短剣。

 対してルエリアの武器は、彼女の身長に迫るほどの長さの長剣。


 リーチの違いはそのまま、戦闘時の優位性に直結する。


 ルエリアがキャロラインの間合いの外から攻撃を繰り出し、キャロラインは防戦一方で攻撃に転じられていない。


 ルエリアの重たい斬撃をキャロラインは完全に往なし続けることはできず、遂にその切っ先が彼女の肩口に届く。


「ぐぅっ!」


 すぐさまキャロラインはルエリアの間合いの外まで距離を取る。

 それから自分の肩口に触れて、傷が塞がっていることを確認してから、ルエリアをどう攻略していくか思考を巡らせていた。


「今の攻防でわかったでしょ。武器は私に分がある上に、私だけがバフを受けている状態。貴女に勝ち目はないわ」


 ルエリアが冷淡な声で言い放つ。


 よっぽどの実力差が無い限りは、バフを受けているものが有利になる。

 その上で、武器もルエリアの持つ長剣の方が優勢であることから、ルエリアの発言の通り、現状ではキャロラインが圧倒的に不利な状況だ。


「そんなの、やってみないとわからない、よ!!」


 声を上げながら、キャロラインは姿勢を低くしながらルエリアへと突っ込む。

 ルエリアは焦る様子もなく、キャロラインを引きつけてから、間合いへと踏み込んできたところで長剣を薙ぎ払う。


 キャロラインは自分に迫ってくる刃に自身の短剣を合わせて、突進の勢いにルエリアの剣撃の勢いも利用して、ルエリアの剣の軌道と同じように、弧を描くようにしてルエリアの側面を取る。


「――っ!?」


 ルエリアが驚きの表情を浮かべているうちに更に踏み込み、キャロラインの間合いの中にルエリアを入れた。


 そのままキャロラインが短剣を振るおうとしたところで、ルエリアが剣から手を離す。

 彼女の方からもキャロラインの方へと踏み込み、肘を突き出した。

 キャロラインの短剣が届くよりも先に、ルエリアの肘がキャロラインの胸を捉える。


「がはっ!」


 キャロラインの動きが止まったところをルエリアは見逃さず、再び握った長剣をキャロラインに振るう。


 その刃が届く前に何とか反応できたキャロラインは二本の短剣で受け止めるが、先ほどのように往なしたり利用したりするだけの余力はなく、そのまま再び吹き飛ばされる。


 


 それからもキャロラインは何度もルエリアへの接近を試みる。 

 しかし、その全てが悉く防がれ、キャロラインの攻撃は未だに一度も届いていない。


 傍から見ればルエリアが圧倒している。

 しかし、精神的に追い込まれているのはルエリアの方だった。


 何度目かの接近が防がれ、再び両者の距離が開く。


「キャロライン……、貴女、まさか……」


「……違う。こうじゃない、ログからいつも受けているバフの感覚・・・・・はもっと……」


 ブツブツと呟いているキャロラインの集中力は、青天井に増していっていた。

 彼女の纏う雰囲気は下手に近づくことも憚れるほど、張り詰めた空気感となっている。


「…………」


 そんなキャロラインを見つめるルエリアは、相変わらずの無機質な瞳であるが、それが僅かに震えていた。


 再びキャロラインが地面を蹴って、ルエリアへと肉薄する。


 その速さは、戦闘を始めた当初とは比べ物にならないほど早くなっている。


 ルエリアはバフと自身の動体視力の高さのお陰で何とか捉えられている。

 しかしそれでもギリギリだ。

 それは、キャロラインがバフ無しの劣勢を覆しつつあることの証明でもあった。


 ルエリアが振るう剣はキャロラインに往なされるが、すぐさま二撃三撃と連続で攻撃することで、キャロラインの足を止める。


 キャロラインの成長速度を肌で感じて、ルエリアは覚悟を決めた・・・・・・


「っ! キャロライン! もっと集中しなさい!」


「っ!?」


 攻撃を繰り出しながらルエリアが声を上げた。


「今、貴女が掴みかけているのは、バフの――基本六種の本質よ! 《博士》に、教団に立ち向かうなら、今ここでそれを習得しなさい! ……習得できなければ、死ぬだけよ」


 その言葉を最後に、ルエリアの攻撃は更に熾烈さを増した。


 キャロラインは、姉が突然何でそんなことを言ってくるのか、と疑問に覚えながらも、迫ってくる攻撃を防ぎながら、掴みかけている新しい感覚に意識を集中させる。


 キャロラインの集中力が極まり、時間を追うごとに彼女の動きは、そのキレを増していく。


 そして、これまで二本の短剣で受けても受け止めきれないでいた、ルエリアの剣撃をキャロラインは片方の短剣のみで受け止めた。


 それは支援魔術の基本六種を受けることなく、自身の身体能力を向上させる術――氣の操作、それを完全ではないものの習得したことの証明だった。


 空いている方の短剣をルエリアへ振るう。


 それを見たルエリアが、自身の収納魔導具から赤い宝石のようなものを二人の間に出現させると、その宝石が爆発した。


 ルエリアは事前に魔力障壁で自分を護り、キャロラインも氣の活性によって引き上げられた反射神経で直撃を避け、僅かに負った火傷も【自己治癒】が癒した。


「本当に習得するとはね。……私たちのやってきたことも、全てが意味の無いものというわけではなかったのかもしれないわね」


 そう口にするルエリアの表情は、悲しくて嬉しいといった、一言では言い表せないものを浮かべていた。


「――私は一切手を抜かない。《博士》との決着を、仲間との未来を望むなら、私を超えてみなさい、キャロライン!」


 キャロラインに言い放った言葉には、これまでのつまらなそうな無機質なものではなく、確かに妹を想う感情が乗っていた。


「……うん、超えるよ」


 相変わらず凄まじい集中力が、キャロラインの周りの空気を侵食しているかのような圧倒的な存在感を醸し出している。


 ルエリアは全神経を研ぎ澄ましながら、キャロラインの一挙手一投足に意識を向けていた。

 それでもキャロラインの動きは彼女の想定を遥かに上回っていて、自分に肉薄してくるキャロラインを一瞬見失う。


 それでも剣士としての感覚が、ルエリアの間合いにキャロラインが入ってきたことを訴える。


 その感覚に従って長剣を振るうと、その先に見失ったキャロラインが居た。


 ――捉えた、とルエリアが思った瞬間、再びキャロラインの姿が消える。


 直後、自分に影が落ちるのを感じたルエリアが上を見上げると、遥か上空にキャロラインの姿があった。


「……【反射障壁リフレクティブ・ウォール】」


 キャロラインが発動した魔術は、彼女の成人祝いとして師匠であるオルンから授かったオリジナル魔術だった。


 キャロラインの背後に半透明な翠色の壁が現れ、それを彼女が蹴ると、進行方向がルエリアの方へと変わる。


 空中では移動ができないという固定観念に縛られていたルエリアは、キャロラインのその動きに咄嗟に反応することができず、何とか剣を振るうことはできたが、それには大した力の乗っていない剣撃だった。


 氣の操作で身体能力を上げているキャロラインにそんな剣撃が通じるわけもなく、簡単に彼女の短剣に弾かれ、ルエリアは仰向けに倒れた。


 そのルエリアにキャロラインが馬乗りをして動きを封じると、逆手に持つ短剣の切っ先を彼女に向ける。


「あたしの勝ちだね、ルエラお姉ちゃん」


「……まさか、本当に負けることになるとは思っていなかった」


 キャロラインを見上げているルエリアが遠い目をしながら呟く。

 その表情には諦観の色が強く表れているが、どこか安堵したような表情にも見える。


「強くなったわね、キャロライン。さぁ私を殺しなさい」


 自分の死を受け入れているかのような穏やかな声で、キャロラインに声を掛ける。


 そう告げられたキャロラインは目を見開くと、その瞳を潤ませ、遂には目から雫が落ちる。

 悲しみからか、怒りからか、震えていた短剣の切っ先は彼女が力を入れることで収まり、キャロラインは短剣の切っ先を突き刺す。


 ――ルエリアの顔の隣である地面へと。


「そんな簡単に、死を受け入れないでよ!」


 キャロラインが叫びにも近い涙声を上げる。


「……キャロライン……?」


「お姉ちゃんはいつも勝手だよ! あたしの気持ちなんて考えないで、何でも決めて。お姉ちゃんと初めてちゃんと戦って、なんとなくお姉ちゃんの気持ちがわかった。あたしは、ルエラお姉ちゃんとフレッドお兄ちゃんに、護られていた・・・・・・んでしょ?」


 剣士は言葉がなくとも、剣を交えることで相手の考えていることがわかるという話がある。

 キャロラインは戦いの中で、ルエリアの心に触れていた。


「……それは、考え過ぎよ。私とフレッドは貴女が憎かった。だから貴方の処分を《博士》に提言して、その通りに貴女は処分されたじゃない」


「嘘だよ! だって、お姉ちゃんの剣は最初から暖かかった! 眼も表情も声も、全部が冷たかったけど、お姉ちゃんの振るう剣だけは、ずっとあたしを気遣ってくれてた!」


「普通に貴女を斬っていたけど? 実際切り傷も作ったじゃない。……もう塞がっているけど」


 ルエリアは弱々しくも、キャロラインの言葉を否定する。


「じゃあ、さっきのアドバイスは何だったの!? あたしの未来を考えてくれたからじゃないの!? あたしが憎いって言うなら、アドバイスなんてしないはずでしょ!」


 しかし、キャロラインはそれを嘘だと切り捨てる。


「あたしはお姉ちゃんを戦って思い出したよ、お姉ちゃんとお兄ちゃんが大好きだったことを」


「――っ」


「生まれた日は同じなのに、二人とも『姉だから』『兄だから』って、あたしを愛してくれていたこと、今は覚えているよ。教団に連れていかれて、みんな自分のことで精いっぱいだったんだよね。だから、すれ違いをしてしまっていた、それだけの話でしょ?」


「……それでも、【自己治癒】を発現させて、優遇されていた貴女を憎んで、処分を提言した事実は変わらない。その時の私たちの精神が不安定だったなんて、言い訳に過ぎない。貴女は運良く今ここに居るけど、私とフレッドが貴女を殺したのも同然なのよ」


 キャロラインの言葉に、ルエリアは涙を流しながら、自分の罪を自白するように言葉を紡ぎ始める。


「でも、すぐに後悔した。貴女が居ないこの世界に絶望もした。でも、貴女は生きていた。そして、貴女を本気で心配してくれる仲間もいた。それを見て決めたの。この命は貴女のために使おうって! そして、貴女は強くなった。私を下せるほどに。だからもういいのよ」


「あたしのために命を使ってくれるなら、生きてよ! あたしと一緒に《博士》と戦ってよ! あたしが望んでいるのはお姉ちゃんとお兄ちゃんとまた姉弟に戻りたいってことだよ! もう、大好きな人が居なくなるのは嫌だよ……!」


 キャロラインが自分の気持ちを全部吐露すると、姉の胸に頭を乗っけて涙を流しながら、ルエリアの服をぎゅっと掴む。


「キャロライン……」


 自分の胸元で泣いているキャロラインの頭に手で触れると、ゆっくりと慈しむように撫でる。


 それはキャロラインが泣き止むまで続いた。



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