第6話 兄弟子の帰還





 これまた数度しか足を向けたことがない、行ったことがない、普段は騎士団が訓練をする場所の一つへ。


「けっこう遠い……」


 教えられた場所は城の敷地から少し下った場所にある。巨大な石の建造物。屋根がなく、上から見ると中の丸見えの円い形の建物だ。わざとそんな風に造られている。道一本で繋がり、見える建造物にやっと近づいてきたところで呟いてしまうのは仕方がないことだろう。

 アリアスの右手には再度戻ってきた封筒がある。


「こんなところにまで来ることになるなんて。まぁ別にいいんだけど」


 役職があるわけではないのでのんびりと呟きながら、入り口である門へと近づいていく。

 建物の大きさに比例して、大きな門には二人門番が立っている。先ほどの男性と同じくして紺色の軍服。騎士団の者だろう。一度意識して息を吐きながら歩き続ける。


「――アリアス」

「……?」


 そのときふわり、風が少しだけ吹いた。それは後ろから起こり、共に後ろからかけられた声があった。

 確かに名前を呼ばれた。そしてこれは、聞き覚えのある声だ。

 頭に浮かんだのは、いくらか前に猛禽類が運んできた手紙だった。はた、と足を止め、身体を来たばかりの方向へ向ける。

 この人は――


「る、」

「アリアス、元気だったかー?」

「わ!」


 そこにいたのは旅装だろうか、羽織ったマントの裾に少しばかり汚れが見える若い男がいた。

 アリアスから少し離れた場所から走り気味に歩み寄ってくる男は、自分の姿を認めて口を開きかけたアリアスの前に素早く来ると、脇の下に手を差し込み、抱き上げる。

 持ち上げられた方は視線が一気に高くなり、驚く。アリアスは名前を呼び掛けて、それを中断することになる。

 あっという間に、近づくにつれてより高い位置にあったはずの顔は近づき、目線の下にあった。その顔の中で印象的に輝くのは大空を思わせる、青の瞳だ。

 今、頭上に広がる晴れ渡った空のような色。


「は、はい」

「そっかー、それは何よりだ」


 突然現れられ持ち上げられ問いかけられ、それでもアリアスは瞬きをしながら返事をしてみせた。 

 アリアスの目線の下にある男の目尻は口元は、蕩けたように下がり、緩む。愛しげに、軽々と持ち上げた少女を目に映す。


「俺がいなかった間に、病気とか怪我とかしなかったか?」

「……大丈夫ですよ」


 口ごもってしまったのは別に心当たりがあるわけではなく、単に急な展開の変わりようへの驚きからだった。


「本当か?」


 しかし、それを別の意味に捉えたのか、目の下の人は笑みは浮かべているが首を傾げてこちらをますます覗き込んでくる。あぁ、相変わらずだ、とアリアスは思う。


「本当ですよ。ルー様、お帰りなさい」

「ただいま、アリアス」


 その下がった目尻に釣られて笑う。

 それはそうと、この体勢は如何なものかと気がつく。まるで子どものようではないか、と。

 おまけに後ろにはきっと門番がいる。この体勢を見られているかと思うと、小さい子どもではあるまいし恥ずかしいことこの上ない。


「あの、ルー様下ろしてくれますか?」

「もう少し駄目か? アリアスの顔をよく見ていたいんだ」


 そうして首を傾げて見せる甘い顔立ちの男こそ、ジオのもう一人の弟子、ルーウェン。アリアスの兄弟子であった。

 アリアスはそのぶれのない様子に笑みが溢れる。持ち上げられたままの体勢のことがあり、少し困ったような色も滲んでしまったけれど。





 アリアスの兄弟子にあたるルーウェンは、ここ半月ほど城を不在にしていた。その詳しい事情は分からなかったが、言わなかったということは彼の立場を考えるとそういうことなのだろう。

 そんなルーウェンは数日前にアリアスに手紙を寄越した。鳶色の猛禽類が携えてきたあれだ。

 手紙は珍しくも短く簡潔なものであった。曰く、帰る、と。

 そのような簡潔な手紙が来るということは、もう間もなく、大して日を開けることなく帰ってくるという証だった。

 だからアリアスは突然不在にしていた兄弟子の姿があろうとも納得した。帰って来た、と。


「入れ違いにならなくて良かった良かった。館に行ったときにな、アリアスがさっきまでそこにいたっていうから聞いたんだ。そうすると、お使いを頼んで騎士団の方にいるっていうじゃないか。それで騎士団の方へ行ったら、『春の宴』の前だからかすごく忙しそうな連中の一人が、こっちに直接行ってもらったなんて言うだろ? だから、急いで来たんだ。来てみたらちょうどアリアスが見えたから、タイミングバッチリだったなー」


 すぐに分かったぞ? とにこにこと口元に緩く笑みを浮かべる兄弟子によって、アリアスは門前で帰るはずだったが中にまで入っていた。

 易々と中に入れたのも、隣を歩きこちらを向くルーウェンがその若さでありながら一つの騎士団の団長だからであり、彼がついでに顔を出していくと言ったからだ。

 そんな彼の言によると、そういう過程であるらしい。アリアスを追ってきた、ということだ。

 王都に帰って来て早々のその行動に関しては何も言わないが、アリアスはその言葉に首を傾げる。後を来たにしては、早いなと。馬で来たようでもなかったし……。


「魔法で来ましたね?」

「……居場所聞いたら今を逃すわけには行かないだろう? あれから色んなところに顔出して捕まる前にアリアスに会いたかったんだ」

「あー、そうですか」


 アリアスの横では図星を突かれたルーウェンが少しの沈黙のあとに、正直に白状した。訴えかけるような口調ではあるが、恥ずかしがる様子はない。ルーウェンのこれは通常である。

 それに対して、アリアスは気の入らない返事をするしかない。

 どうも予想は当たったようだ。場所を聞いたルーウェンは先回りしようとした様子。

 あの師も師であるが、この兄弟子も兄弟子である。こちらはさすがに普段魔法の乱用はしないが、『空間移動』――高等魔法をそんな理由でほい、と使うことはどこか似通ったところがある。


「訓練場の一つだから許容範囲内だろう?」

「確かに、そうとも言えますね。特に気にしてませんよ」


 アリアスの様子にルーウェンはちょっと焦っているのか、言い訳めいたことを言った。妹弟子が怒っているようにでも見えたのだろうか。

 当のアリアスは、まあジオに比べればこんな一時いっときのことは大したことでもないし、魔法の訓練も行うであろう騎士団の訓練場の一つだから確かに許容範囲内かな、と考え始めていた。

 巨大な建物の中へ入ると、門からは長い通路が敷かれていた。

 建物自体には屋根がないので、上にある天井のような部分は、円の形を作る周りの壁の部分であるのだろう。通路が思いの外長いので、歩く場所は影が落ちていて薄暗い。

 ずっと先には光が見える。あの先が訓練場となっているものと思われる。


「それよりも、騎士団への使いは終わったのか?」

「いいえ、それがまだなんです」


 ルーウェンの今さらの問いに、アリアスは抱き上げられたときもとっさに握りしめて落とさなかった封筒を軽くあげて見せる。

 そもそもこれを届けにきたのだ。


「そうかー。どの騎士団宛だ?」

「分かりません。私は中を見ていないので」


 騎士団は三つある。その中の一つだけのものが混ざっていたのかもしれないことを考えていなかった。

 騎士団のそれぞれの名称は簡単。

 一つ、青の騎士団。

 一つ、白の騎士団。

 一つ、黄の騎士団。

 ルーウェンはその中の青の騎士団の団長だ。もしもこの封筒が青の騎士団宛であるならば、ここで事足りるということになる。

 そのルーウェンがひょい、とアリアスの手から封筒を取り、外側を見てから、中を見る。


「そもそもこれ、外に宛名を書いてないから混ざっても発覚しにくかったろうな。それからこれは白の騎士団宛だな」


 どうやら、白の騎士団宛であるらしい。元の通りに封筒を閉じて、ルーウェンは笑ってみせた。


「俺がついでに渡そう。それから早くここから出て、師匠のところにでも行こう」

「はい、ありがとうございます」


 さりげなく優しいルーウェンは封筒を持ったまま言った。アリアスもそれが分かったから、微笑む。

 本当のところ、引き受けたときは良かったが、ここにまで来てしまうことになると少しは緊張していた。

 あまり足を踏み入れたことがない上に、大きな門を見ると、余計に勇気がいるような気がしていたのだ。さらにはその中に間違えてでも通されてしまった場合、どうすればいいのだろうという思いもちらついていた。

 一旦止まっていたアリアスたちの先には、眩しい光の満ちる、もう一つの、今度は扉も門をもないただの四角に形作られた入り口がある。

 その向こうにはきっと騎士団の人がいるのだろう。門を越えたときから何やら声が直接聞こえてきていたから、それは確かだ。

 封筒を持った手を横に提げ、先に歩き出し通路の終わり、光の当たる場所に至ったルーウェンが、空を仰いだ。


「戻って来たみたいだな」


 何が、という言葉は出すことはなかった。

 その前に大きな音がし始めたからだ。何かが羽ばたくような音。まるで、鳥が羽ばたく音を何倍も大きくしたような、それに加えて重量の増した音が耳に入ってくる。

 一瞬後、そよ風も何もしなかった場所に風が巻き起こる。アリアスたちのいる通路にもぶわっと風が流れ込んできて、アリアスはその突風に身構えもしていなかったものだから飛ばされかける感じを覚えたほどだった。腕を上げて顔を守るようにして、あおられないように重心を前にする。


「アリアス、大丈夫だよおいで」

「ルー様、帰って来たって……」

「うん? ああ、竜だよ」


 前に立ったルーウェンが飛んでくる砂から、アリアスを守るようにする。手を差しのべ、アリアスの手を取り、太陽の光の刺す方へ向き直る。

 アリアスも手に引かれ、ルーウェンの後ろから進むことになる。

 近くにいるルーウェンでない、誰かが大きな声で何かを言っている。だがそれが何を言っているのかまでは分からない。空気の流れに逆らうようにして歩いていると、陽の刺す場所に足がかかった。どんどん光に身がさらされていく。

 そして完全に建物の中――しかし上を覆うものはないので日差しは外と同じ――に入ると、そこにはただただ広い空間があった。

 けれども、周りを見る前に、あるものに気を取られる。

 中央あたりに、大きな黒い影が落ちているのだ。それは大きく、大きくなっていく。風もそれに比例するように、強くなる。

 ルーウェンの後ろから足を進めながら、何かが上から来ると感じたアリアスは空を見上げる。先ほどのルーウェンのように。

 青い、青い空。今自分がいる建物の、円い形に切り取られたように見える空。


 風の吹きすさぶ中、灰色の竜をそこに見た。






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