『武術大会』編

第1話 慣れたようで慣れない





 最近、アリアスはこんなことをエリーゼに言われた。「竜専属になりますか?」と。


 竜の卵が来る前は、すでに成長した大人の竜たちがいるのみでそこまで多くの人を必要としない。しかし竜の卵が来れば状況は一気に変わり、孵化から生まれた竜はまだ手がかかることから、多くの人手が必要になる。

 その中でも完全に竜専属という役職があるのだが、彼らはごくごく一部。医務室と兼任する魔法師たちは一番手が必要なときの時期を過ぎると、二日に一度等という頻度になることもある傍ら、竜専属は毎日関わる。

 朝から夜番までと本当の意味で一日中目を離せない竜に対し、竜専属の魔法師たちが過労にならないように他の魔法師たちは機能すると言っても間違いではない。

 一番竜の側におり、竜のことを知る立場。それが竜専属の魔法師なのだ。


 元々一番の新人であるアリアス。前に竜の卵が来てから今回まで開いた年数を考えると、この次の竜の卵が来ることを見据えて知識経験を蓄え、次の時に先頭となれるようにと竜専属にすることも視野に入っていたのだとか。

 けれども数年上とはいえ、すでに先輩魔法師が何人か専属になっていたので、元々の医務室志望ということもあり、アリアスの竜専属の話は消えていっていたらしい。

 それが今なぜ再度浮上してきたのかと言えば、理由は一つだろうと思われる。


「ぅ」


 転んだ。

 正確には転ばされた。


「…………ファーレル」


 地面についた膝と手が痛む中、後ろを見ると、白い鱗の竜がスカートを押さえていた。

 先ほど大きな部屋をのそのそと歩き回るこの竜をやっとのことで寝床に戻したというのに。母親が夜にも関わらず元気が有り余った子どもを寝かしつける心境が分かった気がした、ところだった。


 この竜はなぜかアリアスになついている。それが、おそらくエリーゼが竜専属になるかと聞いてきたことの所以だろう。一応聞いてみた、といった様子だったけれど。


「……」


 離れようとしたアリアスを器用に引き留めた竜は、今日はまだまだ元気で眠らないらしい。

 寝床に身体を落ち着けた竜は閉じていた瞼を半分上げて、アリアスを見上げていた。本当に、まだ寝たがらない小さな子どもに引き留められている母親ような気分だ。

 実際に子どもなのではある。しかしどこか行動が人間染みているというか何というか。

 こうなっては竜の気が済むまで待つしかない、というのがこれまでで学んだこと。


 それにしてもこんな引き留めかたをしなくても、と引き倒されるに近かったのでため息を吐きたくなるけれど、きっと竜にはそんなつもりはないのだろうと思うと、憎めない。

 とはいえ地味なじんじんとした痛みがあり、立ち上がることが出来ないままに竜を振り向いていると、悪気なくしれっとしている竜がピクリとして瞼を完全に上げた。


「何やってんだ」

「――ゼロ様?」


 竜の橙色の瞳がもっと上に向いた。それを確かめるより先に頭上から声が降ってきて、前方を見上げると、何とゼロがいるではないか。

 アリアスは直後に自分の体勢が如何様なものか頭に過り、反射的に慌てて立ち上がろうとする。


「あっ」


 膝を伸ばそうとすると、直ぐに下に引き戻された。


「痛ぁ……」


 再度身体は地面に逆戻り。膝を強かに打ち付け、顔をしかめる。

 そうだった。立ち上がれないことを一瞬忘れていた。


「大丈夫か」

「へ、平気です」


 どうしてゼロがここにいるのかは分からないが、それより今はみっともない姿を晒してしまったようで少し恥ずかしい。


「ちょっと、押さえられてしまっていて……」

「ヴァルみたいなことする奴だな」


 確かに。子どもの竜の性格はこれまでから言って『やんちゃで大体人懐っこい』。

 ヴァリアールにも似たようなことをされたことがある気がする記憶を思い出すとすると、ヴァリアールは『悪戯っ子』と思ったことがあるように子どもっぽいのかもしれない。

 子どもの竜とやることが重なる大人の竜。


「ったく、おい」


 若干眉を寄せてゼロが見て声を向けたのは、アリアスの後ろ。


「この竜の名前何だった」

「ファーレルです」

「ファーレル、何してんだ」


 いつもヴァリアールに言うようにゼロが言うと――信じられないことに子どもの竜はスカートからすっと手を引っ込めた。


「立てるか」

「はい」


 驚きながらも、咄嗟に差し出された手に掴まり、ようやく立ち上がる。

 後ろを見て確かめてみた竜は引っ込めた手を行儀よく揃えて、頭を上に乗せていた。見上げる瞳と目が合う。

 子どもの竜はゼロが来ると反応する。

 橙色の瞳を釘付けにし、何をしていてもじっと動きを止めるのだ。まだたった二、三度しか見たことのない光景だが、何となく怖がっているに近い気もする。

 さっき、手を引っ込めた様子も。

 叱られた子どもみたいだ。


 その間に立ち上がらせてくれた手が離れる……と思ったらそのまま手を上向きにされ、赤くなった手のひらを撫でられた。その感触にアリアスは前に向き直る。


「あ、あのゼロ様」

「ん?」


 アリアスとて、突然のゼロの登場に驚いていたとはいえ、ここがどこか今も頭から飛んでいることはない。

 ここは子どもの竜がいる建物。竜のいる部屋。他にも人がおり、人目がとても気になる。

 アリアスが視線をうろうろさせていると、ゼロが「ああ……」とその理由を読み取ってくれたのだろう声を出した。


「俺は知られてもいいんだけどな。その方が余計な奴が寄って来ねえだろうし」

「な、に言って」


 笑みを浮かべてそんなことを言われたもので、ある意味さっきよりもっと驚いて目を見開く。

 ゼロはまだ手を離していなくて、アリアスは周りが見られない。


「ゼロ団長、そっちは仕事外だけどこっちは仕事中」


 そこで割って入ってくれたのは、アリアスの指導も担当している先輩魔法師ディオン

 竜の寝床の近くにいた先輩は落ち着いた様子で、自然な感じで近づいてきた。


「ディオンさん」

「アリアス、怪我は? ……これ、最近よく聞いているような気がする」


 気がするのではなく、引き留められて地面に崩れ落ちるのはもう何度目になるか分からない。他にも、駆け寄られて受け止め切れずに尻もちをついたりもしているので、アリアスの方こそ「怪我は?」と聞かれることが日常茶飯事のような


「ありません」


 青あざが出来ることはあるが、傷ができたことはない。よって「ない」と答えるまでが一セット。


「入ってきて、いきなりあんな光景みることになるとはな」


 ディオンに言われ、手を離したゼロは何事もなかったかのように、ちらりと視線をアリアスから移した。

 その先には、子どもの竜。


「僕たちにとっては、日常風景になってしまったことだけど」

「へえ……話には聞いてたが、実際に見るとかなりなついてるな」


 竜はゼロの視線に居心地悪そうに首をますます曲げて、頭をどこぞへ向けている。さっき行動を咎められたことを気にしているように見えなくもない。


「理由は分からない。でも、ファーレルは元々人に懐きやすい性格の一方で気に入らなければとことん避ける性格でもあるようだから、誰かに特に懐いてもおかしくはない」

「まあそうだな。契約しようって感じじゃねえし」

「言うことは聞いてくれない辺り、それは違うことは間違いないです」


 契約している竜は、選んだ魔法師の言うことを誰よりもよく聞く。

 ファーレルはなついてくれてはいるようだが、言うことを聞いてくれるわけではないとアリアスは頷く。

 子どもの竜をじっと観察しているゼロを、ディオンが見る。


「それを確かめに来たということ?」

「そうだって答えとくべきか?」

「……建前でも立派な理由は必要だ」


 ディオンが小さくため息をついた。


「最近、アリアスこっちに駆り出されすぎじゃねえか?」

「これだけなついているから、そうもなる。竜専属になってもいいくらいだ」

「そんな話出てんのか?」


 ゼロの視線が向けられたので、アリアスは曖昧に笑った。






 昼間とは異なり、夜番は竜に少しでも異変があれば見逃さず、いつどんなことがあってもいいようにと備えの意味合いが強い。

 従って、魔法石を交換して、成長するにつれ手がかからなくなってくる竜が何事もなく眠っていれば……所謂『暇』である。

 そんな中、ちょっとした事実が発覚することになる。


「あれ? ゼロじゃないか」


 夜番ではないはずの先輩魔法師が、昼間から地下に潜っていて、今ようやく出てきたらしい。

 ひょこっと竜のいる部屋に顔を覗かせ、この場に一人だけ異なる服装をしているゼロを見つけて、中へ入ってきた。


「何でここに……あー団長権限か」


 本来関係者以外立ち入り禁止のこの場所にゼロが入れているのは、魔法師騎士団の団長だから。


「久しぶりだな」

「そうかもな。――何だよ」

「団長か……」


 先輩魔法師はいきなりぼそりと言うや、何やら遠い目をしてゼロを見た。


「こうして考えると団長としては若いもんな、本当。出世スピードはどうなってるんだ。同じ歳でもルーウェン団長は学園に通ってなくてもっと前から騎士団にいたからかもしれないけど、お前は異常だ。でもエミリにしても副団長になってるし、同期なのにどうかしてる……」

「俺だって隊長は経てるから順番としては別におかしくはねえよ」

「その期間の短さがおかしいんだろ」

「僻むな」

「僻んでない!」

「落ち着きなよ。……頭働いてる?」


 会話をしている片方の調子がおかしくなり始め、口を挟んだのはディオン。


「いや、ちょっと働いてないな……何でだ?」


 ずっと地下に籠っていたからだと思われる。

 ろくに頭が働いていないだろう先輩魔法師は、頭を抱えて座り込んだ。大丈夫だろうか。

 一連のやり取りを側で見ていたアリアスは、心配になる先輩の様子を見ていたが、捉えた言葉を反芻する。


「……『同期』?」


 遠慮のない会話に、態度。会話中の同期という言葉。

 するとゼロが答える。


「同期なんだよ。ここで言うとこいつと、それからディオンと二人な」

「え、そうなんですか?」


 二人共と示されたのはたった今までゼロと短く話していた先輩と、ディオン。片方の先輩は言われてみればそうだったのかとなるが、つまり、ディオンは二十六。

 てっきりいっていてもなんとなく二十二くらいだと思っていただけに、そちらにアリアスは驚いた。ディオンがもう片方の先輩と親しいことは普段の様子で薄々分かっていたのに、同じ年齢とは意識していなかったこともある。

 と、そうだったのかと思っていると、ゼロがここにいることを自然な光景にするディオンが顔を上げ、落ち着いた目を向けられた。

 思ったことが図られ、これは気にしていることなのではないかと気がついた。


「あ、あの、すみません」

「……いいよ慣れてるから」

「お前童顔だからな」

「うるさい」


 表情薄めな先輩が、ぼそりと言ったゼロを睨んだように見えた。

 学園卒業同期なだけにか、それともこうして関わることがあるからかこちらも先程と負けず劣らず親しげである。


 アリアスが兄弟子のルーウェンのことを、普段は「ルー様」と呼んでいるところ、仕事中は団長をつけているように、同期であってもその辺りの区別をしているのか。

 改めて見ると、見た目の年齢に差は感じられないのに、思い込みとは不思議なものだ。


「……それよりさ、」

「お前いつから復活してたんだ」

「ゼロ、こんなところにいてもいいのか?」

「何でだ」

「忙しいんじゃないのか、この時期」

「ああ、それか」


 示すところを読み取ったゼロは納得の声を出したが、膝を抱えて座り込み、ぼんやりとした目をして見上げる先輩を呆れたように見下ろす。


「今、夜だからな。仕事終わってんだよ俺は」

「え、夜? 嘘だろ」







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