第17話 恐れの理由
硝子のない窓から見えた場所には新たな混乱は起こっていなかった。
壁が崩れた位置に白い膜のようなものがかかっており、壁のごとく立ちはだかったそれ越しにサイラスがいる。セウランの魔法のお陰でこの状態で済んでいると考えるべきか。観覧席の人々は、起こっていることの深刻さに気がついていない。
ゼロの元へはもう少し。
しかしアリアスがゼロの元へ行くより前に事態は動く。
「いけないのです……。魔法が、破られますです」
焦りが滲む様子の少年が走りながら見たサイラスの方に変化が起こる方が先だった。白い壁にひび割れ――あっという間に大きくなり、白い色は砕け散った。
そこから出てきたサイラスが一歩、観覧席に囲まれた場に足を踏み入れる。体の横にだらりと下げていた腕が上がり、手を差し伸べるように前に出す動作。今日何度目かの大きな力を感じ、力は身の危険を覚悟させるそれ。
源であるサイラスが目と手を向けている方にいるのはゼロだ。
「駄目! サイラス様、止めて……!」
声は虚しく、瞬いた魔法に掻き消される。
「ゼロ様!」
見ることしか出来ない方ではゼロが避ける様子はなく、挑む姿を取っていた。
だが彼が何か行動を起こすか、攻撃魔法が彼に当たるかというどちらかの光景――どちらも形作られることはなかった。
上から落ちて来たのは、青みを帯びた結界魔法。
真っ直ぐに害をなそうと向かう魔法が、上から妨害せんと下りてきた魔法にぶつかり激しく音と光が迸る。相容れないもの同士が、決して干渉し合うことはせずに互いを消そうと――特に攻撃する魔法が結界魔法の壁を打ち砕こうとしている。
「あれは……人のみが持つ魔法です?」
拮抗する光の内、青い色が混ざった側に現れた人の銀髪が光に煌めいた。
ルーウェンは結界魔法を突破されたこととその向こうに立つ姿に目を瞠ったが、すぐに青みを帯びた魔法を守るのみの用途ではなく叩きつけるように放った。
一つ相殺しても次に魔法は一つ、二つと続く。サイラスの一つの魔法に対し、ルーウェンが複数の魔法で対抗している。
「……ルー様……」
その攻防が気にかかりながらも、アリアスはセウランと共にゼロの背後の通路へと辿り着く。
「ゼロ様、怪我は。大丈夫ですか」
「アリアス、怪我してねえか」
中へ行ける場所ではないので、窓から身を乗り出すや否やゼロに怪我の程度を問うたはずが、あちらからも同じようなことが問われた。
「私は少しも……心配するべきなのはゼロ様の方です。だって、あんなに……」
頭から流れ、顔に伝おうとしている血を目が留まり、心臓が、息を止めてしまうほど強い打ち方をした。
「頭、打ちましたか」
向こう側から見たときに、ゼロは頭を押さえていた。
伸ばした手の、指が震えた。
「平気だ。これくらいでどうかなる身体はしてない」
壁の衝突の痕跡が視界に入る。遠くから見たものでも相当だったが、間近で見ると倍の衝撃を受ける。どれほどの力を加えればこのようなことになるのか、亀裂は深く、砕けた石の欠片が落ちる。
これがゼロが叩きつけられたことで作られたというのなら、骨くらい折れていてもおかしくない。
「嘘です」
「嘘じゃない。アリアス、俺のことは心配すんな。だから落ち着け」
アリアスの震えを止めるように、ゼロは手を正面から握った。
「いいか。今からあれは止める」
「次、どんな怪我をするか」
「情けねえが、この状況で怪我はしないなんて断言は出来ねえ。が、この場で周りにはそんなことはさせねえ」
動揺した心のままに懸念を声にしていたアリアスは、はっとする。ゼロが団長の顔になった。
ゼロはこの状況で周りにいる団員、観覧席にいる観客を守ろうとしている。彼はこういった非常事態のときには人々を守る位置にある人。騎士団とはそういうものだ。
アリアスが当たり前の事実に気がつき、少し平静を取り戻したことを見てとり、ゼロが頷き手が離れる。
「セウラン、少しの間止められるな」
「はい。準備をしましたので先程より十分止めていられますです」
ここに来てから静かだったセウランは、ゼロに声をかけられ深くうなずくと窓によじ登り、小柄な身体を向こうに通そうと試みる。しかしもたもたしているので、小柄な身体を、ゼロが背中の服を掴み引き出し、地面に下ろす。
「ありがとうございますです」
「いいからやれ。――限界になったら言えよ」
「ちゃんとした守りはそう簡単に破られないのです!」
セウランは、火花が散るように魔法の光が散る方へ一歩進み出て両手を前に突き出した。小さな掌から白い光があらわれ、波のように前へ前へ。ルーウェンの背中を通りすぎ、その前でカッと光が最も強く、白い光の壁が出来上がった。
破壊された壁の先にサイラスを出さないとしたものより、もっと明確な壁は観覧席の
「出来ましたです」
「そのまま維持だ」
「はい。……ですが、これからどうしますです?」
「それは当然――」
「団長!」
通路からではなく、ゼロ達のいる場に数人の団員が走り寄ってきた。魔法のぶつかり合いが止んだばかりの方を気にしつつ来た団員に、ゼロが先に言う。
「良いところに来たな。今すぐ倒れた団員の回収をしろ」
「団員達の回収は端からは順に始めています」
「今なら中央付近まで入れる。全員漏れなく回収しろ。回収が終わったら全員にこの場に入って来るなって伝えろ」
「しかし、あれは。団長、今何が起こっているのか分かっていないのですが」
「牢に入れていた奴が逃げた。捕らえる作業は俺でする。アーノルド様と、それからジョエル団長にそう伝えろ。他の団員には観覧席へのフォローを入れさせろ」
「分かりました」
短いやり取りで、やるべきことを明確にした団員達は頷き合い元来た方へ走る。
「ゼロ」
「ルー、無事か」
セウランが使った魔法が攻撃を通さないことで、応戦していたルーウェンが後ろを気にしながらも合流した。
ゼロの声かけに眉を寄せたルーウェンだったが、
「それはこっちの言い――アリアス、ここに来るなんて」
「ルー、アリアスが最初にサイラス=アイゼンに遭遇したんだ」
「何だと」
ルーウェンは捉えたアリアスの姿に驚き、この状況でここに来るなんてと表情を強張らせ、ゼロの言葉に険しい表情になる。
「アリアス、怪我は」
アリアスは首を振り、答える。二人して、自分たちの方が前に立っているのにこちらの心配ばかりする。
「ルー様は」
「俺はないよ」
ルーウェンには見えるところには怪我は見られなくて、安堵した。こんなときにもルーウェンは安心させるようにほんの少し微笑んだ。
「俺が怪我させると思ってんのか」
「そうだな。……そのお前自身はどうなんだ」
「見ての通り、ピンピンしてるだろ」
「どこがだか教えて欲しいくらいなんだが」
「うるせえよ。まあ確かに、これだけ吹っ飛ばされたのは初めてだ」
壁の亀裂を見たルーウェンに、ゼロがやめろという仕草をする。
「いきなり魔法が通らなくなったから来たが、これは任せても大丈夫なのか?」
「ああしばらくは問題ない」
ゼロが横目で見たのは、白い髪と橙の瞳を持った少年。
「あの子は……」
「詳しい話は後だ、今することじゃねえ。とにかく任せておいて問題はない。が、だからってこのままで悠長にしているわけにはいかねえ」
ゼロとルーウェンの視線が交じる。
彼らの後ろでは、倒れた団員達が運び出される様子が微かに見える。
「すぐに応じて長くは見えなかったから確認だ。あれはサイラスさんだな」
「ああ」
「異変に気がついたのはいつだ」
「さっきだ。最初は通路で遭遇したからそこで止めようと思って、持ってる魔法封じ全部打った。多少は持つと思ったがこれだ。馬鹿だったぜ。よく考えりゃあ牢の拘束破ってここにいるんだ、生半可な封じが効くはずねえ」
「それは、サイラスさんはもう――」
何かを言いかけたルーウェンが不自然に口を閉じた。
「それ、アリアスに言った。目の色が変わったところも見たし、……一度目じゃねえ。言った方が良いと俺が勝手に判断して言った。文句は後から聞く」
アリアスの方を見たルーウェンは目を伏せ「……そうか……」と呟き、「文句はない。俺も後かな」とアリアスにはよく分からないことを続けた。
「今はこれからどうするか、だな」
「あれを不特定多数に見られるのはまずい。収束まで周りにはどこまで誤魔化せるか分からねえな、って言っても魔族の存在は知られてない。良くて乱闘騒ぎ……なんて前列ねえし、思われるのは不名誉にしろ事実よりましだ」
「良くて乱闘騒ぎか。悪くて……牢に入れていた者が逃げたということは予想よりも簡単に洩れるだろうが、それもまだましか。とにかく早く収めなければならないことに変わりはないな。……師匠に知らせたが、すぐにとは行かない」
「ジオ様か、この状況じゃ適任かもな。俺がジオ様頼みをする日が来るとはな」
全く不似合いな状況下でゼロが薄く笑った。
「ったく……もろに魔法受けて、こっちの理性も飛びそうだぜ」
笑みはすぐにより希薄に、目が魔法の壁の向こうを臨む。
「やるしかねえな」
「だ、駄目なのです」
口を挟んだセウランに視線が集まる。
「し、凌ぐことは出来ますです」
「長くこうしてるわけにはいかねえんだよ。それにこのままずっと凌げるっていうのも無いだろ。少なくともこの場から離す」
「ですかヴィーグレオさまは」
「やるしかねえって言ってんだろ」
小さな少年は新たに何か言い返そうと口を開いたが閉じる。
次に口を開いたときには悔やむ様子になっていた。
「こんなことなら
「言っても始まらねえ。……けど、力が圧倒的に足りねえ。このまま抑えてやるのは、」
「封印だけは駄目なのです! この状況ではヴィーグレオさまは耐えられず飲み込まれてしまうのです!」
「うるせえ、最終手段だ。封じ守って守るもの守れねえなら意味あるかよ」
「――――」
「それからその名前で呼ぶな。それは俺自身の名前じゃない」
「……話が読めないが、大丈夫なのか?」
「問題ねえな。倒れてた奴らの回収も終わった。セウラン、こっちとを隔ててる魔法だけ解け」
「ですが、」
「やれ」
再度言われ、セウランは口を引き結んだ。
「分かりました、です」
こちら側とサイラスがいる方とを隔てた魔法の壁は消え、観覧席沿いを取り囲む魔法は残った。
「後は周りだけ守れ。頼むぞ」
「わ」
セウランがゼロによって通路に放り込まれ、アリアスのいる側に戻ってくる。反対に何かを言う暇もなく、ゼロとルーウェンは離れていく。
余裕がない。
白い光の壁で見えなかった向こうにはサイラスの姿が現れ、数秒後には魔法のぶつかる音、弾ける音が絶えず響きはじめた。
両方の一つ一つの魔法の威力は、見るからに少し前まで武術大会の個人戦で見られたような魔法戦の比ではない。
さらに、互いが互いの魔法は決して通さず、魔法が衝突するごとに辺りを白く照らし、視界を刺激する。
見ていても心配が募るばかりなのに、見ずにはいられない。
酷い光景だ。大切な人と、大切な人と、やっぱり切り捨て割りきることなんて出来ない人。
「……地が、地が荒れるのです……」
細い声が聞こえて傍らを意識すると、少年が震えていた。アリアスもまた震えそうになっていたのに、小さな存在を目にすると少しでも落ち着かせてあげたくなった。
その身体を抱き寄せると、大きな魔法力を操り観覧席を守っている小さな手が、アリアスの服を握る。
壁一枚向こう、窓の外を見る表情は辛そうだ。けれどこの少年が先ほどからゼロを止めたがっていたときと、今の様子はアリアスとは異なる恐れを抱いているように思える。
恐れの対象はいずれも変貌したサイラスの脅威ではなく、ゼロに対して。
「魔族が、この地に来るなんて……ヴィーグレオさまが……」
橙の両目でゼロを見て、セウランは聞き慣れない名前を口にする。
「……セウランは、どうしてゼロ様のことをヴィーグレオ様?って呼ぶの?」
呟くように尋ねると、セウランははっとした顔でアリアスを見上げる。けれどもアリアスが窓の向こうを見続けていることで、再び同じ方を見る。
激しい魔法戦は拮抗している。サイラス一人に対して、ゼロとルーウェンの二人。
「……それが、あの方の竜として魂に刻み込まれた名前だからです。あの方が竜として生きなくても、その名前だとの意識がこちらにはあるのでぼくはそう呼んでしまうのです……」
小さな声が答えた。セウランの手がますますアリアスに強くしがみつくから、アリアスは今見ている光景には見た目の問題よりも別の問題があると感じる。
今気にすべきは余談を許さぬ攻防のはずなのに、セウランの返答でさっきから僅かずつ積もっていた違和感が膨れる。
サイラスのことばかりに気を取られていた。けれどゼロの様子、セウランの様子。全く内容が理解できなかった数回のやり取り。ルーウェンにもアリアスにも分からない、彼らにしか分からない何かがあり、起こっている。
「セウランは、何を、ゼロ様の何を恐れているの?」
そんなにもゼロのことを懸念しているのは、彼がセウランの知っている人だからか。
違うと直感するのは、やはりセウランの様子。この状況で当然と思える心配事、ゼロが怪我をすることを恐れているというよりは――ゼロに
そうでなければなぜ攻撃魔法を使うことをセウランは制限させようとし、ゼロはしていたのか。
それはゼロが持つ魂が関係していることは間違いない。
問うのは混乱に突き落とされた直後を過ぎ、脅威と成り果てた存在を二人が止めている今。
「どうしてあんなにゼロ様を止めようとしていたの?」
何か、とてつもないことがゼロに起きようとしているのではと明確な形を持たない恐れが新たに生まれる。
「……ぼくは、魔族と戦う力を持ちませんです」
その力があれば良かったのにと言いたげな声音だった。
それまで小さく幼く見えていた竜の少年が、そのとき子どもの顔ではなくなった。かといって顔の作りからして大人とは言えないので、奇妙な心地を抱く。
どこにと突き詰めようとすると、セウランを取り巻く空気に長い歳月を感じる。
「それに対して遠い昔、魔族と戦うために生き方を変えた、そういう魂を持った方なのです。ヴィーグレオさまほど魔族と戦うに適した力を持った竜はいませんが、それは本来の竜の在り方から変化せざるを得なかった、とても危険を伴う力、なのです」
魂は繰り返し巡るという。それは、誰もの魂は前は違う生き方をしていたことになる。アリアスだって、ルーウェンだって。
竜の魂は竜の中で巡ると言うのなら、ゼロの魂には竜としての生が幾つも眠っている。
「その昔、魔族と戦うためには魔族に対抗する力が必要でしたです。ですが、竜は本来戦い傷つけることを好まず、嫌うのです。
しかし破滅を前にして一部の竜が守るために手にした力は、魔族に対抗するための非常に攻撃的なものだったのです。魂に、魔族は滅するべきものであると刻み、本来の竜の生き方を塗り替えることを同時に為して得た力でしたです。
その変化した本能は魔族がいなくなった現在では潜んでいるはずのものでしたが、……裏を返せば魔族を前にしてしまえば反応し、呼び起こされますです。ぼくはそうではないので詳しいことは分かりませんが、ストッパーの役目である理性を飲み込む激しいものであったと聞くのです」
耳を傾けていたアリアスは、思い至った。
ここにいるはずのない存在に染まったサイラス――。
「かの方の魂はその一つ。今万が一ここで魔族に対抗するために、竜の力を封じている封じが解けてしまったら……間違いなく魂の本能に飲み込まれますです。そして、力が共に解き放たれるとこの辺りを更地にしてしまうほどの力がありますです。それほどの力を魔族が持っていたので……かつて、そうして一部の竜は魔族と戦ったのです」
聞いて、それを止める術はあるのかどうか正直分からなかった
ゼロに戦うことを止めさせるべきか、けれど兄弟子と二人でどうにか留めている状態、むしろ押されてきているように見えるのに……。
代わりに、セウランがどうすればいいのかと恐れと混乱、困惑を混ぜて見ていることしか出来ていない気持ちは分かった。
徐々に劣勢になってきている現実がある。
「……駄目なのです……これ以上は危険です……」
攻撃魔法を重ねるにつれ、ゼロの表情が険しくなっていく。セウランが泣きそうにきつくアリアスの服を握る。
――その昔、竜と人間は手を取り合い魔族を追い払った。
人の手では、対抗することが不可能。
本当にそうだろうか。ここにいる騎士団の面々がかかればどうにかなるのでは。
そんな考えを嘲笑うがごとく、場に満ちる力が膨れ上がった。
黒き魔法が生じ、白い魔法、青みを帯びた魔法を圧倒し、消した。
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