第5話 原因不明

 目を開くと、周りはだだっ広かった。

 触れた地面には土が広がる。周りには大きな岩がちらほらと見られる。真っ直ぐ見た先に当たるのは、壁という言葉が一番合う高いそれ。だが、人工的なものではなく、自然に出来たものだと推測できる。それらにぐるりと円を描くようにして囲まれている。だから、その向こうに何かがあったとしても見えない。何もないのかもしれない。

 空は青かった。

 だが、それよりも目を取られるのは。空の下、広いその場所に寝そべっている竜たちであろう。

 ――ここが『巣』なのだ。

 師の魔法で飛んできた先を、アリアスはすぐに理解した。

 気がつくと、竜に押さえられていたスカートは移動したからであろうか手から離れていた。やっと立ち上がれる。気づいた内に立ち上がっておこうと立ち上がろうとすると、目の前に手が現れる。見上げると、ゼロだ。礼を述べながらありがたくつかまる。

 風が吹き、髪が軽く煽られる。さっきまでいたところからすると、冷たいような気がする。それに何だか肌寒いのはここがやっぱり山の上だからだろうか。


「ここが『巣』……」

「ああ、無事に来れたみてえだな」


 立ち上がり、移動してきた場所をぐるりと把握する。まったくもって、広い。アリアスとゼロが立っている位置は、円い形を描く地面のちょうど中央ほど。以前訪れたことのある、騎士団の演習場より遥かに広い。


「城の近くには山がねえだろ? だからここは結構離れた場所にあってな、竜は飛び始めは雲の上だったりを飛んで騎士団の訓練場まで来る。それでほとんど人の目には触れない」

「そうなんですね」


 ゼロは使った魔法の込められていた石をしまいながら簡単な説明にアリアスは納得する。やはりここは山の上で、城からかなり離れたところにあるらしい。


「……空気が悪いな」

「え?」

「いや……竜が全然動こうとしてねえな。動けねえっていうのが正しいか」


 ゼロの視線を追って周りを改めて見回すと、竜が寝そべっている姿。

 全部で……十一体。側にいる、共に移動してきた竜を含めて十二体だ。いずれも、ゼロの言うとおり動こうとする気配がない。騎士団に来るはずであったというのに。

 というよりも、よくよく見てみると残らずぐったりしている……?


「心なしかぐったりしてませんか……?」

「だな。ヴァルも具合が悪そうだったが、他のやつらの方がまずそうだな。他が飛べねえくらいに弱ってたからましなこいつが来たのか」

「ましと言っても、落ちてきて今は相当ダメージが……」


 こいつ、という言葉が出て後ろを向くと、ぶわっと灰色の煙が立ち上っているところだった。


「けほっ」

「おいヴァル、煙い」


 焦げ臭い。その出所といえば、灰色の竜の鼻からである。半目よりも瞼が閉じてしまっている竜が一息吐いたのか、息だけでなく煙までが出て来ているのだ。竜の腹の中には炎が燻ってでもいるのだろうか。

 とにかく、もろに煙を吸ってしまったために軽く数度咳をする。


「ったくお前もお前で具合悪そうだな。まあでも、よく飛んできたな」


 ぽん、とゼロが巨大な鼻面を撫でると竜は完全にその目を瞼で覆ってしまい、橙色の色彩は消える。安心したのか。

 周りの状態を見ると、飛ぶような気力が見られないというのが本音だ。その中で、この竜だけが比較的元気でこの状態を知らせるために一体で飛んできたのだろうか。


「とりあえずは他のやつらの状態も診るか」


 ゼロの言葉で、ピクリとも動こうとせずに各々散らばっている竜たちをみることとなった。







 それにしても、竜がこれだけ揃っているという光景はアリアスは見たことがない。


「駄目だな。原因は分からねえけど、皆弱っちまってる」

「……こんなことってあったりしたことって」

「ねえな。そもそも、竜の具合が悪くなること自体が稀だ」

「それは、」


 今度は濃い目の茶色の竜の側で、アリアスがゼロを見上げると彼はどことなく険しい表情をしている。

 騎士団と竜の事情に詳しくないアリアスでも、今の言葉で事態の異常さに気がついた。彼が気がついていないはずがない。


「調べれば、以前にもこんなことがあったっていう記録が見つかるかもしれねけどな」


 茶色の竜も一撫でして、また他の竜の元へ歩き出しながらゼロは付け加えた。

 アリアスが、表情を曇らせてしまったからだろうか。けれども、彼女はその言葉に安心することは出来なかった。

 なぜなら、周りの状況はもはや異常であるとしか思えなかったからだ。なぜ、こんなことになっているのか。竜は怠そうではあれど、苦し気な様子ではないからまだいいだろうか。自由に空を、その翼で飛び回っているはずの彼らが苦し気に地に伏していたとすれば直視出来なかったかもしれない。今も地には伏しているけれど。


「……原因が分かって、早く元気になるといいですね」


 可哀想、というよりは、哀しい。と思った。

 視線の先には、もうすぐ一体の竜。例に漏れず、動く気配はない。顔を動かして現在は遠くになってしまった灰色の竜の様子を窺ってみても、もう動く気配はなくなっていた。

 無理に飛んできて消耗したのだろう。


「アリアス」


 かけられた声にふっと視線を戻すと、ゼロが止まっていたことが分かったからアリアスも咄嗟に止まった。

 春にしては冷ための風が二人に吹く。

 ゼロは目の端を僅かばかりに下げていた。


「大丈夫だ」


 まず、彼はそう言った。


「竜はタフだからな。心配すんなって」

「……はい。すみません、何だか見ていると不安というか……。変ですね、ゼロ様の方が関わっていらっしゃるのに」


 竜とより関わっているゼロよりも自分が沈んでしまっているのは何だか変な話だ。アリアスは笑おうとして、曖昧な表情になってしまった。


「いいや、こいつらだって心配された方が嬉しいに決まってる。ヴァルなんて俺がそれほど心配もしてねえから薄情だとでも思ってるんじゃねえか?」


 そんなことない。『よく飛んできたな』と灰色の竜に言って固い鱗を撫でた彼は確かに竜の身を案じていた。

 けれども、そう言う前にゼロの方が続ける。


「けどな、そんな顔されたら俺はどうしていいか分からなくなる。今は尚更な。だから俺はこう言うしかねえ、大丈夫だ」


 大丈夫だ、という声が言葉がすとんと耳に入って身体の中に落ち着く。見上げた先の彼の目を見ていると、徐々に安心感が出てくるのはどうしたことか。

 大丈夫だという気がした。どこから自信が出て来ているのか、単に何か確証があるのかとにかく不安を微塵も感じさせない声音なのである。


「……そんな顔ってどんな顔してますか」


 だから、アリアスは今度こそわずかに笑ってそう言った。酷い顔か。

 自分が蒔いた話題を変えるためと、これまた自分が蒔いた空気を変えるために。


「いや、俺がうっかり抱き締めてしまうかもしれねえ顔」


 けれども、さらっとした言葉は予想が出来なかったために固まることとなる。だが、正面のゼロは笑っていない。言えば、真面目顔だ。

 アリアスは反応に困る、前にただ唐突に心臓が跳ねて口を開いたがもちろん出す言葉なんて思い付いてもいなくて閉じる。


「冗談だ」


 そのくせ、伸ばされた手でそっと頬を撫でられる。口の端には笑みを携えたのに、目だけは変わらず。


「ぜ、ゼロ様、竜の様子を見ましょう……!」


 結局急な空気にぐるぐると頭の中を回したアリアスが出したのは、この場で最重要のことであると思われることであったため、ゼロを促し行動を再開させることに成功した。







 九体目にあたる竜は、ここにいる竜の内でも大きい部類であるとアリアスは感じた。灰色の竜と同じくらいだろうか。他の竜を近くで見て、その大きさを感じてから竜も個々で大きさが異なるのだという当たり前と言えば当たり前の事実を知った。

 そんな竜は二人が近づくと、うっすらとではあるがおもむろに目を開いた。竜特有の澄んだ橙はどこを見つめているのかは定かではない。

 ところでその竜の身体を覆う鱗は、青かった。そう、例えるならば兄弟子の目の色のような色。長年見慣れている色を思い浮かべたアリアスは何気なくそれを口に出す。


「ルー様の目の色みたいな青ですね」

「――ああ、竜は選んだ魔法師の目の色をしてんだ」


 竜が人を選ぶ。

 他のときと同じく巨大な身体の周囲を回りながらゼロが答えてくれる。


「詳しいことは言えねえが、竜が魔法師を選ぶ。竜の鱗がその色に変わることをもって『契約』とされる。そうやって俺たちはこいつらの背に乗ることが許される」

「『契約』」


 アリアスが復唱した言葉に、ゼロは頷いてみせる。


「ってわけで、こいつはルーを選んだ竜だ。それで今さらだけどな、ヴァルっていうのは俺を選んだ竜であの灰色のやつだ。フルネームはヴァリアール。けど長いから縮めて呼んでる」


 名前は元々ついていたらしい。

 どうもそれで灰色の竜の灰色にも既視感のようなものを覚えたわけだ。

 後ろを向いて他の竜を確かめる。茶色が半分以上を占め、緑色の竜もいる。グリアフル国の典型的な目の色と、それよりは少数派であるが主に貴族の人々に見られる他の色。


「やっぱり外傷はないな。……ま、竜の鱗に傷つけられるなんて普通じゃ無理なんだけどな」


 腹這いになっているため、腹部は確かめようがないが身体を覆っている鱗には傷は見られない。目の前の青色の鱗にしろ、今まで見てきた茶色の鱗にしろ、光を受けて僅かに反射されるのみでつるりとしている。 元々竜が傷つけられて倒れているという考えはなかったが、これでその線は消え去ったということになる。

 では、ただ単に彼らは調子が悪くなってしまっただけなのか。けれど、ゼロは竜が体調を崩すこと自体が稀だと言った。それなのに、全員同時にこんなことになるなんて……。


「まるで、流行り病みたいですね」


 一部であっという間に広まり、人々を襲い時には命まで奪ってしまうそれのようだ。この光景は。ぽつり、とアリアスは呟いてから頭からその考えを払う。


「なんて、竜の流行り病があるのならとっくに例はありますよね」

「けど、この状態見てるとその線があるよな」


 そんなアリアスには気がつかずに、言葉だけを聞いているゼロは確認し終えた青色の竜のすぐ側で一人言の大きさで言う。青色の竜は広い場所の外側というよりは中央に近めのところにいるので、そこから周りの竜を目に映している。


「竜の流行り病……だとしても、原因がな。人と関わりがあるから無いわけでもないか。それにここの空気は――」


 ここに来て何十分か、竜がぐったりしているだけで何も分かっておらず確認を進めるゼロは独りごちる。

 その後ろではアリアスもまた、ぼんやりと周りを見てそれから青色の竜に目を戻す。思わず手を伸ばし、竜の鱗に触れる。真っ青なようでどこか深みのある鱗は見た目通りにつるりとした手触りでとても固かった。ぴくり、と微かに動いた気配がしたが、気のせいだろうか。意識的に手を伸ばしたわけではなかったので、はっとして手を離した。

 勝手に触ってしまっても良いものだったのだろうか。

 目をぱちりぱちりと瞬かせて手と鱗を交互に見ていた間に、ゼロは思考に一段落ついたらしい。つけた、と言う方が正しいだろうか。


「それ考えるのはあとにするか、まずは一応は全部確認してみねえとな。一体は傷がついてるなんてことがあるかもしれねえし」

「あ、はい」


 他の人が来る前にとのことだろう、その言葉にアリアスは返事をして歩き出したゼロに続く。

 そのとき、ちょうど進もうとしている方向に光が発生した。一つだけではなく、二つ。

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