第4話 『巣』へ

 幸運なことに、そんなに困り果てるほどの時間は経たずに人が来た。庭師が響き渡った轟音を聞き付けたのだ。豪快に庭に伏しているドラゴンの姿を見た庭師は仰天してしばらく硬直していた。しかしほどなくして、人を呼びに行ってくれた。

 とりあえずは一つ安堵したアリアスは、相変わらず竜と共に太陽の下座って待つことにした。まあ待つしかないのが事実である。

 目を閉じてしまった静かな竜の側に鎮座していること何十分か。下を向いていたアリアスは足音と声を耳に捉えて顔を上げる。

 しかし姿は見えない。竜の身体の向こうから来ているようだ。


「あ! あれですね団長!」


 ガチャガチャという高い音。想像するに騎士団所属の者が腰に穿いている剣のぶつかる音。半ばぼんやりしながら思う。

 駆けつけたのは騎士団は騎士団でも魔法師で構成された騎士団だろう。何しろ状況が状況なのだから。

 どうやらこの状況から逃れられるのも時間の問題のようだ。


「う、わあすごいっすね、派手にやっちゃってますよ」

「豪快だな、どうやったらこんなことになんだ」

「怪我でもしたんですかね」

「さあな、翼は折れてねえみたいだが……」


 どうも片方の声に聞き覚えがある。それも今日一度聞いていたはずだ。

 そういえば、と傍らの竜を改めて見上げる。光を反射する鱗の色は――灰色。もしかしてこの竜、一度見たことがあるだろうか。


「ヴァルお前中々来ねえと思ったら何して……」


 ふっ、と向こう側から竜の顔を覗きにきたのか、一人の声が鮮明に聞こえて。それから、途切れた。

 見上げていた延長線上、覗いた顔は。


「アリアス……?」

「……こんにちは、ゼロ様」


 予想通り、ゼロだった。

 曖昧に笑いながら、アリアスはそう言うしかなかった。


「どうした、そんなとこで」

「何と説明するべきか……」


 目の前まで回り込んできた彼は座り込んでいるアリアスの前に屈む。次いで、手を差し伸べる。

 しかし、アリアスはそれがありがたかったが取れる状態ではない。


「あの、ですね。今ちょっと立てないといいますか……」

「?」


 曖昧な笑顔に困ったような色が浮かんだことによって、ゼロは首を傾げる。その一瞬後、急に表情を変える。


「まさか、怪我でもしてんのか? 足か?」

「違います違います。……ちょっと、服を押さえられていて……」


 有らぬ心配をされて、アリアスは驚く。すぐさま首を横に何度も振って否定して、恥ずかしながらと後ろのスカートを示す。未だ、竜の手……というよりは爪に押さえられているそれを。


「……ヴァル、何してんだお前」


 示されて、アリアスの肩越しにそれを見たであろうゼロは一拍後に呟いた。

 ヴァル、というのは察するにこの竜の名前だろうか。


「ゼロ様、この竜様子がおかしいですよ」


 それはそうと、とそんなゼロにアリアスは言う。

 彼らが来る前まで、やることもないので竜を眺めていて分かったことがある。何だか元気がないように思える。目以外はピクリとも動かさないし、目だって今は閉じられているけれど、何だかぼんやりしていた。動かないのだっておかしいし、そもそも落ちてきたことが一番おかしい。


「落ちてきたんですよ」

「落ちた?」


 座っているアリアスに目線を合わせたまま、ゼロが今度は訝しげな表情になる。


「はい、急に空中で傾いてました」


 で、落ちてきた。


「……」


 すると、ゼロは目を側の竜に向けた。彼が竜の、アリアスのスカートを押さえたままの大きな爪を撫でると、灰色の竜は閉じていた目をゆっくりと開いた。橙の目が現れる。

 しかし、その目が全て開かれるまでには至らず、半目状態である。その不思議な心地を抱かせる目はゼロのことを見つめている、と思う。


「団長、どうですか?」

「……ああ、ちょっと様子が変だ」

「変、っすか? ……やっぱり何かあったんですかね」

「かもしれねえな。どっち道まずこいつをどうにかしねえと」

「知らせてきます」

「おう」


 アリアスからは竜の身体で見えないところからかけられる声に、ゼロは竜を見たまま返事する。その会話が終わると共に、足音が一つ遠ざかっていく。


「それにしても、本当に怪我ねえか?」

「大丈夫です。こうなる前は触れてさえいませんから」

「ならいいけどな」


 ゼロが上の方でひとつ息をついた。


「それより、『やっぱり』って何かあったんですか?」


 さっきのゼロとおそらく彼の騎士団の人とのやりとり。引っ掛かったのはその言葉。

 するとゼロは竜の方を見ながら、


「実は今日、とっくに着いてるはずの竜が一体足りとも着いてねえんだよな」


 にわかに呟いた。


「え? そうなんですか?」

「ああ。おまけにやっと来た知らせでこれだろ? しかも一体だけときた。おかしいな」


 やっぱり一体だけ、というのもおかしいようだ。ピクリとも動かない竜を前に、彼は立ち上がり巨大な身体に近づいていく。伏せている頭……というよりは顔をぽんと叩いてから周りを見回り始める。落ちた、と聞いて外傷がないか確かめていると考えられる。


「こいつがこれじゃあ、何かあったとしか考えられねえよなあ」


 一体、なぜこの灰色の竜は落ちてきたのだろうか。それも、こんなに力なく。



 *



 やがて新たに人が来ても、アリアスはまだその場に座ったままだった。竜は身体を全く動かさなかったのだ。ゼロも仕方ない、というように竜の身体を眺め終えてアリアスの側に戻ってきていた。


「これはすごいのお」


 騎士団の者を引き連れてやって来たのは、一人の老人だった。背はアリアスと変わらないくらいか。顔に髭を蓄えた男性は腰の後ろに手を回してゆっくりと歩いてくる。


「ゼロ、竜はどうなんじゃ」

「どうも飛んでいるところで落ちてきたようです」

「落ちてきたのか? それは実に珍しいの」

「具合がよくないみたいで」

「『巣』から他の竜が来ていないということも関係しておるんじゃろなあ……うん? そこにいるのは……」

「アーノルド様……こんにちは」


 アリアスはその老人を知っていた。魔法師の最高位にあたる地位にいる男性だ。歳は、ジオを除けば最年長であったはずだ。アリアスは師の書類を届けにいったりする関係で彼のこともまた知っていたのだ。

 立ち上がったゼロと話していたアーノルドは竜のすぐ近くで座り込んでいる少女に目を留めた。アリアスがとりあえずは挨拶をすると、ゼロがこの状態を見つけたときと同じ反応をする。


「アリアスちゃんか、どうしたんじゃ」

「ヴァルに服を押さえられてしまっているんですよ」

「ほうほう、それはとんだ災難じゃな」


 アーノルドはそれを聞いて好好爺の如く笑う。

 真剣な顔で彼に応じていたゼロは笑い声が収まる頃に話題を戻す。


「一度『巣』に様子を見に行くべきだと思いますが」


 『巣』とは騎士団の竜が帰っていくところだ。どこかの山にあると聞いたことがあるが、詳しい場所はアリアスは知らない。これは彼女が無知なわけではなく、情報が機密となっていてわずかな者しか知らないのだ。


「そうじゃな。この竜もここに置いておくわけにはいかんからの……ついでに巣に送り届けるか」

「ついでって……」

「安心せい、わしも距離と竜の大きさは分かっておる」


 アリアスが見上げる先で、会話は続く。

 聞いている限りでは、どこにどれだけの距離にあるかは分からないが離れていることだけは確かである『巣』に竜を運ぶようである。

 方法は容易に想像がつく。地道に陸路で行くはずはない。魔法だろう。空間移動の魔法。師がいつもほいほいと使う魔法だ。しかし、その魔法はものを浮かばせるのではなく、ある地点から地点へ一瞬でものを移動させるという、高度な魔法である。

 未熟な者が無理に使えば、ものは移動することが出来ないか元の形を保って移動されないということが有り得る。

 加えて、難易度は距離が長くなるほど高く、物体が大きくなるほど高く、それから生き物であればなお高くなる。

 今回のことを考えると、『巣』は山であるならもちろん城の敷地内に収まるはずもない、対象は人の何倍もの大きさの竜、見れば分かるが生き物である。最高難度と言える。

 だが、この反応であれば最高位の魔法師であるので出来てしまうのだろうか。


「ジオを呼んで正解じゃったかな」


 けれども、笑ってアーノルドが次に出したのは師の名前だった。

 ほぼ同じタイミングで、降り注ぐ太陽の光とは異なる光が発せられた。魔法の光。遠くの方に現れたのはジオだった。


「何だこれは」

「おお来たか、ちょうど良かったわい」


 その場の視線は一気に彼に集まる。

 当のジオはというと、何も説明されていないのか歩いて来ながらも竜を目に映して訝しげだ。


「落ちたようじゃ」

「落ちた、それは珍しいな。で、翼でも折れたか」

「見たところ折れていないようじゃが、問題はそこではなくてな」

「じゃあどこだ」

「今日、騎士団の方に竜が一体も到着しておらんのだよ」


 ジオが近づき切らない内に足を止める。


「『巣』の竜に異変が起きたと考える他ない、ということじゃから頼んだわい、ジオ」

「おい」

「巣まで運んでくれい。それから、アリアスちゃんがおるぞ」

「……何してるアリアス」


 この類いの問いを口にされたのは三度目か。アリアスは移された視線に今度はどう返したものかと考える。


「何してる、というか。何も出来ないというか……。服を押さえられていて……」

「何してるんだ……」


 これほど師に呆れた目をされる日が来ようとは。部屋でのままの、白いシャツと黒いズボンという軽すぎる格好のジオに言われたくはないとアリアスは思う。部屋からそのまま『飛んで』きたのだろう。


「呼び立てられたかと思えば……なぜ俺が」

「わしに負担かけるつもりか。老人は労らんか」

「俺の方が明らかに年上だろう」

「あー、腰が痛いのお」

「これだからじじいは」


 見た目だけで判断すると、孫ほども歳が離れているように見える。しかし、ジオは二十代前半の外見とは裏腹に歳はゆうに百を越えているという。

 わざとらしく自らの腰を曲げて叩き始めるアーノルドを、ジオは淡々とした目で見下ろす。それからため息をついて、


「別にしてもいいが」


 半ば面倒そうにその目が移された。地に頭をつけて、伏している竜へ。瞬間、光がジオの前から竜目掛けて飛ぶ。

 だが、急に竜が動いた。アリアスは今まで動きがなかったはずのそれをぎょっとして凝視する。灰色の竜はその頭を上げ、大きな口を開く。

 真っ赤と橙ちらつく炎が噴き出された。


「うわ……!?」


 すぐそこで、炎と魔法がぶつかった。アリアスは身を縮こませながら片目だけを開けてその光景を見る。

 ぶつかった二つの色は拮抗しているのか、動きがない。アリアスからは主に炎しか見えないが、ちらりちらりと端からは白い光が覗く。

 十秒が経ったくらいに、とうとう炎が魔法の光を飲み込んだ。いや、どうだろう。魔法が消えていった? 漠然とした感覚。消えた魔法の光。


「ヴァル止めろ」


 ゼロの声が響く。

 炎が向かう先は、魔法を放つ様子もなく悠然と立っているジオ。しかし、その前に途切れる。竜がゼロの声に口を閉じたのだ。

 だが、不服な様子。その証拠にぐるる、と竜が口は閉じたが喉の奥からそんな音を出して唸っている。


「ったく」


 竜に歩み寄ったゼロはその鼻面を叩く。竜はなおも低く唸りながらも上げていた頭を再び地につける。


ドラゴンの炎は魔法を


 あっという間に変わった様子もない光景となった目の前に、アリアスは目を瞬かせているとそんな言葉が聞こえる。

 向くと、アーノルドが笑っていた。


「見事に警戒されておるのお」

「無理に飛ばしてもいいなら問答無用で送るが、あっちで興奮状態になっても知らんぞ」

「興奮状態になるような元気があれば安心じゃな」


 ジオがまたため息をついた。心底面倒そうだ。


「とりあえず、」


 師は急に手を動かし、空中を掻く。なにかを掴みとるような。魔法の光がわずかに発せられた。


「魔法だけなら提供する。離れた場所からするよりも近くで巻き込むようにした方がいいだろう」


 次いで、また魔法の光。今度はより強い光。ジオの手のひらの中で発され、消える。

 そうして彼の手の中から出てきたものは。


「え?」


 ぽいっと放られアリアスの元へと飛び込んできた。アリアスが目を落とした先にあったのは、石。黒みの強い、紫色の石。魔法具に嵌め込まれるものと同じだろう。


「ただ、それだと範囲が上手くいかんからアリアス、お前も運ばれるからな」

「え、師匠がすればいいんじゃ」

「俺が、近くに行ってか」


 そもそもなぜにそんなに離れた場所にいるのか。アリアスは首を傾ぐ。

 対して、ジオはというとまたため息をつきそうに口を開きかけて、閉じた。無言で足を前に出して進み始める。

 途端、竜が歯を剥き出しにして唸る。


「くっくく、これほどまでとなると潔いほどじゃな」

「というわけで、もう近づけんわけだ」


 どうしたことか、さっき魔法が向けられたことによって竜が警戒しているのだろうか。

 ジオは足を止め、唸る声など耳に入っていないように竜に視線も向けずに淡々と言った。


「でも私、場所なんて知りませんよ」

「ああ、そうだったか。じゃあゼロに渡せ」

「あとで他の魔法師も送るからの、それまで状況把握に努めておいてくれ」

「分かりました」


 見上げた先にいるゼロに石を渡す。ゼロはアーノルドと視線と会話を交わして頷く。それから、アリアスから石を受けとる際に目を合わせて、


わりいな、こいつが」

「いいえ、私は大丈夫ですよ」

「じゃあ、行くぞ」


 ジオが魔法と魔法を発動するための力も込めてしまっている。あとは、それを解き放つだけ。

 光が放たれ包まれるとき、ジオの呟きが聞こえた気がした。


「……俺の王都を出る計画が潰れそうだ」


 だから、ため息をあんなについていたのだろうか。

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