第6話 伸びる影




 帰ってきたばかりのフレデリックはこれから『春の宴』までは国内におり、それからまた国外へ行くそうだ。

 予想外の人物との突然の再会をした休憩を挟んでアリアスが子ども竜の建物へ戻ると、先輩方が何やら集まり小さな円を作っていた。


「どうやって止めさせる? 肝心のアリアスの言うことは聞かないんだぞ」


 さすがにこのまま行けばアリアスが怪我をすること間違いなしでまずいんじゃないか、という点について話し合っているようだからまさか自分が議題に上がっているとは思わず、アリアスはびっくりした。


「怒ればいいんじゃないだろうか」

「もう怒ってる」

「ファーレルは怒られていると思っていないかもしれないじゃない?」

「じゃあもっと怒るって言うの?」

「怒れるか? あんなに可愛いのに!」

「怒るのも仕事の一貫よ。怪我をすることになるかもしれないのはアリアスだけじゃなくて、わたしたち含めてなんだから」

「でもファーレルに悪気があるわけじゃないんだ」

「知っているわよ」


 紛糾してきた。

 どんどん議題が派生していくところを見ると、最初はもっと他愛もない話をしていたところで話が出てきたのかもしれない。

 アリアスが入り口付近で動けずにいると、外から入ってきた魔法師がいた。


「その内収まるところに収まるよ」


 一番の年配の大先輩魔法師にやんわりと安心させるような言葉をかけられた。


「小さかった竜が大きくなっていくのに、以前と変わらないように人に接すると人は怪我をしそうになる。当たり前のことだ。大人になった竜が悪気なく、気がつかずに傷つけてしまうことも今でもあるくらいだ」

「前もこんなことが?」

「毎回あるのではないかな。アリアスのように特定の人物に集中するかは別として、現に今だって他にもファーレルのちょっとした行動で転んだりしている子はいるだろう」


 ファーレルが個人的に好まない人に噛みつこうとすることは別として、悪気なく身体がぶつかり転びそうになることは実は結構ある。建物の中で自由に歩き回り、走ることもしばしばだから。

 人が走っていて誰かにぶつかってもよろけて、最悪転んでしまうことだってあるくらい。それが竜ともなれば。


「竜には悪気がないものだから、怒りすぎるのは可哀想な気がする。孵ってからずっと見ているもので可愛いから、なおさらに」


 自分たちも含めてこのままでは怪我をする可能性が高まることが分かっていながらも、甘くしてしまう。

 ああして意見が分かれる。


「しかしアリアスはあれだけ転んだりしていると心配にもなるというものかな。一番の新人でもある。――実はこの辺りが正念場だ。ファーレルは野生の竜ではなく騎士団の竜だ。これからもっと多くの人が周りにいることになるから、人間と竜とは違うことを教えてやらなければならない。一番気性が激しいヴァリアールだって、そのことは分かっているようだろう?」

「そう、ですね」


 騎士団の竜全てがそうだ。

 普通に行動しているようで、周りの人間を傷つけてはならないと分かっているから自分から走り寄ってぶつかっていくなんていうことはまずあり得ない。竜と人双方の不意を除いて事故は起こらない。

 どうやって理解しているのだろう。体の大きさか、それとも姿形からして違う存在だと気がつき、理解するのだろうか。


 くれぐれも怪我はしないように、と最近よく言われることを最後に穏やかに言われた。

 アリアスがひとまずディオンを見つけて仕事に入る側で続いていた議論は、『これからは根気強く注意していこう。怒るというより、理解してもらうために話す』と教育方針的なものが決まって落ち着くところに落ち着いていた。




「アリアス、寝るところを整えるからファーレルを出しておいてくれる」

「はい」

「アリアス、次からはファーレルにいけない理由を教えてやるんだぞ!」

「は、はい」

「何かある前提で言わない」


 何もないことが一番だ。

 夕方になる頃、竜を外に出す。しばらくして中に戻り夜番の当番に引き継げば、アリアスの今日の仕事は終わりになる。


「ファーレル、あまり遠くに行くのはだめだよ」


 白い鱗が夕陽で橙を照らし返す竜と一緒に外に出て、声をかけたあとは見守り係になったアリアスは建物の周りに一本だけ植えられている木の側にいた。

 いつもなら竜はあちこちに歩き回り、走り、あらぬところに行こうとしようものなら慌てて駆け寄らなければいけない。しかし竜はしばらく子ども特有の元気さで駆け出して行ったかと思うと、のそのそと近づいてきて、側に座った。

 どうしたのだろうと様子を観察している間に竜はうとうととしてきて、最後にはアリアスの膝に顎を乗せて眠りに落ちていた。

 今日は朝から他の竜に会って、興奮状態で午前中は結局ずっとはしゃぎ動き回っていたから、疲れたのだろう。竜の首元には外に出るときにつけられている魔法石の緑が奥から綺麗に光り、揺れる。


「ここまで来ると、竜って言うより犬か猫だな」


 アリアスと膝の上の竜に、黒い影がかかった。


「ゼロ様」

「早めに終わったから、来ちまった」


 夕陽を背にゼロが立っており、彼は立てないアリアスの横に腰を下ろした。アリアスは周りを確認してしまうが、誰もいない。


「すみません、まだかかります」

「いい、仕事だからな。俺が早めに終わっただけだ。それより重くねえか?」

「重くないと言えば、嘘になります」


 だろうな、とゼロは笑う。

 完全にアリアスの膝に預けられた竜の頭は頭だけでもそれなりに重い。ゼロが手を伸ばして多少手荒に撫でても起きる様子はなし。


「俺より先に膝枕か」

「……え」

「俺はやってもらったことねえな」

「え」


 膝枕。自らを見下ろすと、竜の頭が乗っかった状態は俗に言う膝枕と言えないこともない。


「い、いえ、これは不可抗力というか……」

「冗談だ」


 にやりと笑みをもらって、ゼロに同じことをするとなると別だと慌てていたアリアスは変に力が抜ける。


「……そういう冗談はある意味心臓に悪いです」

「やってもらいてえのは冗談じゃねえけどな」


 あっさり撤回されて、「その内俺にもしてくれるか?」なんて言われるものだから、アリアスが赤面したことは言うまでもない。



 アリアスが落ち着きを取り戻し、無意識に撫でていた竜はその間中でもよく寝ている。これでは夜、すんなり眠りについてくれるかどうか怪しい。疲れているのなら、大丈夫だろうか。

 そんなささやかな心配をするアリアスの隣には、誰か出てくる前には離れると言ったゼロがいる。


「武術大会、ゼロ様も出られるんですよね」

「ん、ああ団体戦の方にな」


 団長は個人戦には参加出来ないが、団体戦で団長が指揮を行うのは通常である。


「前の年はあっちの騎士団の第一騎士団にとられてる」


 魔法師として魔法を併用し戦う魔法師騎士団に対して、そうではない騎士団の方はもちろんずっと剣のみの戦い方を研鑽し続ける。そして団体戦は魔法無しのルール。


「魔法師だからって魔法無しでも戦えるように訓練はする。魔法が使えないからってのは言い訳にしかならねえからな。今年は取り戻す」


 武術大会は騎士団同士のプライドをかけた戦いでもあるだろう。

 ゼロは意志の強さの表れた様子で言った。


「見られるのが楽しみです」

「アリアスが見てるなら尚更無様なところは見せられねえな」


 ゼロと出会ってから、初めの年とその次の年は学園に入ったから見られていない。だから、今年が初めてになる。

 武術大会の治療係は騎士団専属の医務室が行うことになるから、見られるかどうか不明なところが不安だけれど。

 見られるといいな、と思う。


「あ、でも、ゼロ様が個人戦に出られているところが見られないと気がついて……少し残念です」

「あー、俺も団長になったからな」

「ゼロ様は、団長になる前は個人戦にも出ていたんですよね?」

「まあな」


 やっぱり、彼なら出ていただろうなと容易な予想は当たり、余計に残念だと感じる。


「俺も個人戦には未練はある」

「未練ですか?」

「ああ。俺は団長になる前に優勝はしてるんだが、それより前の年にルーと決勝で当たったことあった」

「ルー様と?」


 「俺が負けた」と、ゼロは結果を明かした。

 対戦したのだからどちらかが勝ってどちらかが負けることは当たり前なのに、アリアスは予想外のことを聞いたみたいになった。

 ゼロは少し苦笑を滲ませる。


「学園にいた頃も卒業してからもまさか同じ歳の奴に負けるとは思ってなかった頃だった。まあルーと話すようになったのはそれがきっかけなんだけどな」


 人当たりが良いとはいえ、学園には通っていなかったルーウェンは元々は同じ年の人と接することは稀だったはず。

 現在ゼロと仲が良いようだが、二人は元々から同じ騎士団所属でもなかったようだから、どうしても関わる時は同じ騎士団と比べると少ない。

 今の関係が作られたきっかけは何年も前の武術大会だったようだ。


「あいつはそのまま団長になったから俺は武術大会でのリベンジは出来ず終いだ」


 たまに訓練で打ち合うことはあっても、武術大会の場とは特別なものなのだろう。

 それがゼロの未練だという。

 そのときアリアスは、そのままルーウェンが団長になってリベンジ出来なかったという点に引っかかっていた。そのまま団長になったということは、彼らが武術大会で最後に勝負したのは兄弟子が団長になる前年となる。


「ルー様が団長になる前の年……」


 ルーウェンが武術大会で優勝した年。アリアスも見に行った覚えがあるそれは、それこそ彼が団長になる前の年ではなかったろうか。


「それ、私、見ていたかもしれません」

「――俺とルーのその試合をか?」

「いえ、あまり記憶はないんですけど……」


 知らない内に見ていたかもしれないとは思っていた。申し訳ないが、あの頃の武術大会の記憶はほとんどルーウェンだ。

 曖昧な記憶で口にしてからしどろもどろで言葉を濁す。失礼ながらと、私的に残念ながらゼロを見た記憶はないのだ。きっとそのとき、アリアスはゼロとまともに出会っていなかったから。


「そりゃあ複雑だな。知らねえ内に見てたかもしれねえってのはいいが、負けてるところは覚えておかれたくねえ」


 眉を下げたアリアスに、ゼロが笑って手を伸ばす。髪を撫でる。


「なら今回、俺がルーと当たったらどっち応援する?」


 今年の対戦の組み合わせがどうであれ例年通りルーウェンも団長で青の騎士団を指揮するのなら、二人が指揮する騎士団同士が当たる可能性はある。

 ルーウェンとゼロのどちらをと言われて考えると中々悩ましい事項だ。とっさに答えることが出来ずにいると、ふっと笑いを洩らした気配がした。


「俺が勝つところとルーが勝つところ、どっちが見てえよ」


 まるでどこかの悪人のような聞き方であり、こちらの出す答えを楽しんでいるようでもある。唇の端を上げた笑みは、まさしくそんな様子。


「……意地悪な質問ですね」

「わざと聞いてるからな」

「……」


 アリアスは視線をちょっとずらした。

 それはゼロの勝っているところは見たい。一方、兄弟子が勝っているところも見たいだろう。では二人が戦ったら。

 どちらが勝つところを見たいかなんて、とても意地の悪い質問だ。どちらも負けるところが見たいはずなんてないから。


「恋人としては、応援してもらいてえな」


 熱っぽく囁かれたと思ったら、視線を上げて見たゼロの灰色の瞳と視線が絡み、彼の口元に刻まれる笑みが深くなる。表情に騎士団にいるときは表れない甘さが混じっていた。


「……どの試合にしろ、怪我は見たくないです」

「俺は怪我はしねえよ。けどさせる側になると、アリアスを忙しくさせちまうから考えものだな」


 ディオンが相手に出る怪我人が多かった、と学園時代のときとはいえ言っていたこと。

 どういう試合が広がるのだろうか、と思いを馳せていると、顎にあてがわれた手にそっと顔を上向かせられた。ゼロの瞳を見て、何をしようとしているのか分かってアリアスは一気に狼狽する。


「あの、」

「誰も見てねえよ」

「そういうことが問題じゃないと、思うんです」


 元々この後ゼロとは会う予定ではあったけれど。ここで話をしていたのは、話だったからであって。

 聞く耳を持たなさそうなゼロに、アリアスは若干の抵抗を試みる。


「……私、一応、仕事中なんですけど……」

「そうだな」


 同意はするのにゼロが顔を傾けることでアリアスは目を閉じることになり、夕陽で長く伸びた影が重なる側、竜はすやすや眠っていた。





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