第13話 彼の道筋
武術大会よりもうすぐ一ヶ月。
王都の冬は過ぎ、開きかけた花の蕾が春の訪れを告げる。すっかり暖かになってきた気候で、春特有の柔らかな日差しを地上へ注ぐ太陽が雲一つない水色の空に優しく輝く。
寒い間は温室の中だけであった薬草畑も、この時期から外にあるものを使う。アリアスは今日はそのために、城から少し離れた場所にある王都にあるにしては広い畑に来ていた。
畑はすでに耕すまではされており、手分けして種や苗を土に埋め込んでいく。育てられた薬草を摘み取ることだけが仕事ではなく、育てることから治療専門の魔法師の仕事だ。
「アリアス、休憩に入ってもいいって」
日差しが遮られ、ふっと涼しくなったような気がしたと思ったら、声をかけられた。見ると、イレーナが立っていたので、アリアスも立ち上がった。
苗の入った篭を置いて土がついた手を一度洗いに行くと、溜められた水がひんやりと少し冷たいくらい。それでも、寒い時期のように手を引っ込めたくなる冷たさはないから、春だということを感じる。
イレーナと二人して、土を洗い流した手を拭きながら木陰を目指して歩く。
「マリーは今頃帰れてるかな」
「そうね。少し遠いとは聞いていたけれど、もう着いているのじゃない?」
城や騎士団の医務室にしろ騎士団にしろ、普段は何日かに一日休日があるところを年に一度か二度、少し長めの休暇を取ることができる。
大体は王都外に故郷のある者は里帰りし、その他の者もまた家族と過ごすために使うことが多い。全員同時にとはもちろんいかないもので、催事の折などで片寄ることもあれど、年間を通してぽつりぽつりと各々長めの休みをとっていく。
現在里帰りのために王都を発っている友人は、ここ数日の天気であれば雨にも降られず着いただろうか。
「今年は最初は慣れることが第一で、慣れてきてからも忙しなかったから、わたしたちはようやくといったところよね」
新しい環境、職場への正式配置、慣れてきた頃に流行り病のことがあり、そういう意味でも忙しなかった。
本来その年の長期の休暇申請は年内まで許されるものだが、そういったことがあった年は配慮がなされる。今年は流行り病のことがあったので、今年の分まだ休暇をとっていない者は新年に入っても一ヶ月後までなら申請できる。
「イレーナもまだだよね? いつ取るか決まってるの?」
「早めにする方が望ましいけれど、わたしは今の時期にとると『春の宴』に連れ出されてしまうから、少し過ぎてからね」
アリアスは?と尋ね返される。アリアスもまた色々あって逃したまま、今年の長期休暇はまだ。
「うー……ん。全然決まってないけど、少なくとも『春の宴』まではとらないよ」
「じゃあ『春の宴』の日は一緒にお祝いね」
毎年春となり王都、城ではパーティーが開かれ、お祝いをする。それを『春の宴』と言い、城下や各地でもその日は祝いをする。城に勤め、宿舎にいる者は街に降りたり宿舎で集まって祝ったりするのだ。
が、アリアスは「実は……」と切り出す。
「竜の世話の当番が入ってて」
聞いたイレーナは祝いの日に?といった顔をする。
『春の宴』の日とはいえ、騎士団の警備は通常もしくはそれ以上の人員に増やされ、その他にも城に勤める人々の中には『春の宴』だからこそ忙しくなる職があるが、騎士団の医務室は完全に休みだ。
アリアスは騎士団の医務室の他に竜の育成にも関わっており、竜の世話は一日も全員が休むわけにはいかない。常に誰かが当番にあることになる。
「ほら、少し休んでしまっていた時期があるから、自分で言ったの」
「それはそれでいいじゃない。仕方ない部分もあるでしょう?」
「それだけじゃなくて一番後輩でもあるから、先輩を差し置いてゆっくりしていられないかな」
確かにアリアス自身にはどうにもならなく休んでいた期間がある。そうは言っても割りきれない部分はあるので、という気持ちだ。
イレーナは「仕方ないわね……」と息を吐いた。
「アリアスは本当に、来年は良い年になるといいわね」
冗談抜きの声音で言われたアリアスは、曖昧に笑った。アリアスはというと、今年は完全に病災難続きの年だと周りに認定されたりしていたのだ。
医務室に配属された当初は忙しいには忙しかったものの、今年は別の意味で色々忙しなかった。
「もう一年経つね」
「そうね。もうすぐ一年経つと思ってたら、本当にもう一年。あと少しで新しい子が入ってくるものね」
あと少ししたら、去年のアリアスたちのように王都内の学園、もしくは王都外の魔法学校を卒業したばかりの生徒が魔法師となり、やって来る。一年経つという証だ。
こういった一年経つという証拠は、未だに新鮮に感じる。アリアスが故郷や城で過ごしていたときは催事はあったとしても一年経ったからといって、いきなり目に見えた変化は起きずにそれまでの続きというようだった。
しかし学園に入ってからは、一年経つと学年が上がり、卒業した先輩が学内から姿を消す一方で新入生の姿が新たに増える。魔法師になってからも、新しく魔法師になった子が医務室にやって来る。それははっきりとした区切りのように思えたものだ。
――グリアフル国では春からまた新たな一年が始まるとされ、その始まりに合わせて『春の宴』が催される。ゆえに今年の残りはあと一週間もない。
*
結局武術大会はあの日、辛うじて中止にせずに済んだと聞いた。あの場での出来事は道を外れた魔法師の違法な魔法具を使用した襲撃を受けたが、すぐに収束させられたと説明され、何時間も経った後ではあったようだったが試合は再開された。
その日試合が続けられ、医務室で回復に至った団員も復活し、団長も一人として欠けていなかったことは観客の不安を拭うには大きかっただろう。むしろそのために続けられるのなら続けた。
そう、ルーウェンもゼロもである。二人共あの後でよく参加したものだ。
アリアスが武術大会の行方を聞いたのは職場で、復帰した週のこと。実際に再開された試合は見ていないアリアスだけれど、その前の様子は知っているだけに驚嘆した。
それも両騎士団共決勝まで行き、結果白の騎士団が勝ったというではないか。団体戦だから魔法は使わないにしても、身体は大丈夫だったのかとそれこそ驚くと、「身体はな。問題は気力の面だろ」とすっかり武術大会のことを忘れていたようなゼロは言った。
「立場は確かにあって俺だって理解はしてるが、……アリアスの目が覚めないのにやってる場合かって正直思っちまうし、ルーに至ってはアリアスの姿見る前だ。あいつこそよくやったと思うぜ」
打ち込んでいないと妙なことを考えるから、逆に嫌な原動力になった感じはあったとあんな試合はもうしたくないと嬉しそうではなかった。
「来年は絶対見ます」
「じゃあ、来年こそアリアスの前で勝つ」
来年のことを宣言したときの方が嬉しそうに笑うから、アリアスも心に決めた。
――その決勝の試合を含め、彼ら二人の団長が雑念を払うかのような無表情で相手騎士団方を薙ぎ払っていたことを知るのは、まだ先。事件があったことも含め、ある意味後まで記憶に残るであろう試合であったのだとか
そして武術大会より以前から始まっていた問題の中心に位置していた人物のこれからも決まり、今日、始まりを迎える。
仕事を終えた夕方、ゼロに導かれて行った先で一人の男と会った。人目のない場所の一室、特別に通されることが許されて待っていたアリアスを見たその男は、どのような表情をすればいいのか迷っている様子だった。
無造作に伸ばされていた髪は切り、整えられている。後ろでくくれるほどの長さもない。前髪にも隠されない顔は少しやつれた感じはあっても、顔色は悪くない。全体的にすっきりとした印象で、目の下にあり続けたくまも解消されていた。
相手が『らしくもなく』どうしようか迷っている様子である一方で、アリアスは――ああ、彼だと感じていた。
「サイラス様」
名前を呼ぶと、部屋に入ったところで止まっている彼――サイラスはアリアスに目を合わせた。
彼の瞳は、紫色がかったはしばみ色になっていた。元のはしばみ色がもう見られないのは、寂しい気がする。
「近くに行ってもいいですか?」
「……おまえが近づいてもいいならな」
いいと言われたので、アリアスはサイラスとの間の距離を短くしていく。顔を合わせて話すにはちょうどいい位置で立ち止まる。
サイラスを見上げると、アリアスを見下ろすサイラスの瞳が少し戸惑い、口が若干開いて閉じる。何かを言おうとしていることが分かり、アリアスは待つことにした。
どれほどアリアスが何事もなかったかのように近づいても、サイラスもそうではないのだと悟った。自分ではどうしようもなく訳が分からず苦しみ続け、意に沿わぬ出来事であったとしても、彼の記憶の中には刻まれている。
「……アリアス」
「はい」
「オレは、謝りたい」
何と言おうか迷ったのだろうが、意を決したように出された声には芯が通っていた。
「謝って済まされることじゃないが、謝りたかった。ごめんな。いっぱい傷つけた。怖い目に合わせた。酷い怪我をさせた。
拳を握り絞り出して言う『あのとき』はアリアスが死に陥る可能性があったときのことだろう。
「もしもあのとき周りに誰もいなければおまえは、死んでいた」
記憶なんて消えてしまえばいいのに。
いつからサイラスが自分の中に潜むものに振り回され、苦しんでいたのかは分からない。
けれど一連の彼らしからぬ行動は魔族の魂によるものだ。魂とは人の一部だけれど、まるで魔族による性も彼の一部であると知らしめるように、全てがくっきり残されていると感じる。
アリアスが覚えているよりもずっと、それは辛いこと。全ては収まったはずが、サイラスが未だ苦しそうで、事実は事実として残ってしまう。
「……そうかもしれません。あのときは意味が分からなくて、ただ混乱して、怖くもありました。でも、許します」
こう言っても微々たるものにしかならないかもしれないけど、アリアスには恐れも何も彼には抱いていない。今は理由が分かり、恐れを抱く原因も消えた。
「あれがサイラス様がしようとしたことではないと私は知っていますし、サイラス様がこうして私に会ってそう言うのは、その証拠じゃないですか? だから、もしものことを言うのはこれで最後です。――サイラス様、お帰りなさい」
やっとサイラスはここに帰って来たのだ。
アリアスが微笑むと、サイラスは表情を歪ませた。
「…………ジジイもアリアスも、甘いなぁ。普通あんなことされたら、そんなに笑いかけられないだろう」
泣いてしまいそうな弱い笑みを浮かべた彼は、天井を仰ぐ。やがて、静かに息を吸った。
「いつからかどこにいても、どこに行っても生きられないと感じた」
徐々に居心地が悪くなり、それはただの体調不良とは言えないどこか奥底から何をしてしまうか分からない衝動に襲われて、王都を出たと言う。
「自分が無くなる、何かに塗りつぶされる感覚が苦しくて、死んだ方がましだとさえ思っていた」
天井から顔を戻したサイラスは――笑っていた。
「ありがとな、アリアス。おまえのおかげでオレはこの世界で生きていける」
「覚、えて……?」
「覚えているさ。おまえが、オレを楽にしてくれた。もうどこに行っても駄目だと諦めていたオレを生かしてくれた。これからオレは自分がしたことはしたことで背負ってその上で生きていく。だからっていなくなった方がましなんて思わない。俺に機会をくれたのは、おまえだ」
サイラスは今日限りで自由だ。
彼がしたこと、ということに変わりはない。それは変えられないため、完全なる自由ではない。
「サイラス=アイゼンは死んだ」
落ち着いていたアリアスの感情が揺れ瞳を伏せると、「アリアス、ここは喜ぶところなんだぞ」と笑われる。
「驚くほど甘い処罰だ。というか処罰じゃないな、機会だ」
闘技場でどれほどの人が彼の顔を目撃したか。姿は見えても、顔は誰だと細かく見えた人は少ないのではないだろうか。
しかし牢に入れられていた事実は残り、騎士団にも知る者がある。武術大会に乱入したのが彼だとも。
近年では最悪の、道を外れた魔法師として一部の人が思ったままにサイラス=アイゼンという人がいなくなってしまうのは悲しいことだけれど、この形が一からの機会だと彼に与えられたもの。魔族の魂であるとは公表出来ない。配慮するべき点があり、長く罪を償わせるよりはいっそサイラス=アイゼンはいなくなったことにして、新しく人生を歩ませるべきではないかという案だった。
でもこれまで生きてきた名前、彼の名前だ。一人の人間「サイラス=アイゼン」がいなくなったことにされる。
この先簡単に会えるのかどうか分からない。
輝かしい未来の約束されていた才能溢れる彼は、新しい道を歩み始めても、陰で生きていくことになる。様子を見て表に出てくる時も来るかもしれないにしても、それは可能性としての話……それにも関わらずサイラスは、戻ってきてから一番彼らしい笑顔になった。
「名前が些細なものなんて思わないさ。でもな、アリアス。本来ならオレのやったことは、何十年も牢に入っておかなければならないことだ。オレはこれが罰だとは、思わない。それに、ジジイやおまえみたいにオレがサイラス=アイゼンだと知り続ける奴もいるから、名前が完全に無くなってしまうわけでもないんだ」
サイラスは強い。またここから歩める人なのだ。
「…………サイラス様」
「なんだ?」
「また会えますよね」
「会えるさ」
笑うサイラスはふと後ろに意識を向け、小さく独りごちる。
「怖い奴が見張ってるから長々出来ないのが残念だが……」
サイラスが歩み寄ればすぐという距離を今日はじめて彼の方から一歩、腕がアリアスの背に回される。
「ありがとう」
またサイラスは礼を囁き、抱擁は数秒に体を離した。
「今度会うときは、もっと成長楽しみにしているからな」
「これ以上のですか?」
「成長しどきだろう?」
笑った彼は、アリアスのぐしゃぐしゃと頭を撫でたのを最後に部屋を出ていった。手を振って去る後ろ姿は、六年前より以前の彼に重なる。
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