第4話 相談事




「アリアス、何か元気ないんじゃないの?」


 城ではなく、一部の魔法師の仕事場である館。

 机がいくつも並び、その上には紙の束が乱雑に重なっている一室で、十人ほどの魔法師が忙しなくしていた。机について紙をひたすらに捲っている者あり、かと思えば他の魔法師と何事かを話し始める。物音がとにかく絶えない。

 その一角にアリアスはいた。


「そうですか?」

「そうですかって、あなた無自覚?」


 ぐちゃぐちゃに混ざった書類を仕分けする作業を手伝っているアリアスは、箱の一つに放り込もうとした手を宙で止めていた。左隣から声が飛んできたからだ。

 目をぱちぱち瞬かせて横を見ると、一二歩ほど離れた距離、壁際の細い机に向かって同じ作業をしている女性がちょうどこちらを見た。

 ミルクティーのような薄い茶色の髪の持ち主、アリアスより四つほど年上の彼女は、手を一度止めて、普段着のドレスに身を包む腰に手を当てた。


「時々見てみればすごくぼーっとしてるわよ。手は動いているけど」

「それは、すみません」


 参った。ソフィアの言葉で気づかされたアリアスは、箱の上で止めたままだった手の力を抜く。どさり、と箱の底に紙の束が落ちた重い音が立った。


「どうして謝るのよ。私が言いたいのは、一週間前まではそんなことなかったじゃないっていうことよ」


 ソフィアはそれだけを言ってまた手を動かし始めた。一方のアリアスも、その姿を見てからふ、と前に視線を戻す。

 一週間。


「一週間ですか……」


 頭に容赦なく浮かび上がってくるのは、三日ほど前の記憶だ。

 水やりを手伝っていた庭での出来事。どうにもそれが、頭から出ていってくれない。だからと言って誰かに相談するということも。

 右側に積まれた紙の束をいくつか落とすように引き寄せ、目を落とす。


「アリアス」

「はい」

「また遠くを見てるみたいな目になってるわよ」

「……そうですか」


 若干猫背気味にもなってきていることにも、アリアスは自分では気がついていない。


「ジオ様にこき使われすぎたの?」

「いえいえそれはないですよ。確かに今日も……まあそれは師匠の通常ですから」

「それならどうしたのよ」

「それはですね……」

「あら、心当たりはあるのね」


 ぴく、としたアリアスは手を止めて左を見る。しかしながら、ソフィアは手を止めてはいない。

 何とも鋭い人だ。それとも自分の声にでも出ていたのだろうか。アリアスはその横顔を見て、また前に視線を戻す。ぺらりぺらりと紙を捲る。同時にゆっくりと口を開く。


「一週間もあれば色々ありますよ」

「何よそれ。例えば?」

「師匠が仕事しなかったり仕事しなかったりでしょうか」

「それはいつもなんじゃないの?」

「ソフィアさん、言いますね」

「言ってたのはアリアスよ」

「……そうでした?」

「そうよ。それで、他には? さっきのは今に始まったことじゃないんでしょう?」

「それも私が言いました?」

「ちょうど一週間前くらいにね」


 どうも師が仕事をしないことについての愚痴をたびたび溢していたようだ。無意識だろうか。本当のことなのでいいことにしよう。

 それはそうと、会話が一度途切れて、改めて口を開く。


「ソフィアさん」

「なに?」

「初対面の人に『好き』って言われるって、どういうことだと思いますか」

「……まさかの恋愛事?」


 アリアスの普通の声音で言われた言葉に、ソフィアはピタリとその手を止めて右のアリアスに顔を向けてくる。

 予想外だったようで、その大きな目をさらに大きくさせている。


「……まさか、違いますよ」

「違わないじゃない。なになにちょっと詳しく聞かせなさい」

「ええぇ」


 すぐさま手を身体の前で否定の意味で横に軽く振るも、忙しない後ろの空間を窺いながら、ソフィアが木の椅子を引きずってやって来た。

 ちょっと頭を客観的に整理しようかな、と軽く言ってしまったアリアスはすぐ側に来た彼女に思わずそんな声を上げてしまう。

 そんな様子もお構い無しで、やって来たソフィアは後ろの魔法師たちが忙しくて、こちらに目を向けないことを良しとして、仕事を一時中断して楽しげに問いかけ始める。


「どこで告白されたの?」

「告白じゃないですよ。冗談やめてください、心当たりがなさすぎます」

「じゃあ何よ。『好き』だって言われたんでしょ?」

「でも顔も知らない人ですよ?」


 そこで、ん? とアリアスは首を傾げる。

 そもそもあれは結局何を意味していたのだろう。顔は絶対に知らない人。一度会ったことがあるのなら、忘れないだろう。眼帯をしていたし、髪の色だって中々見ない色だった。それなのに、

 『好きだ、結婚してくれ』

 耳にそのまま残ってしまったかのような、それは。


「本当に何だったんでしょうか」


 振り分け作業ももはや手に付かず、手のひらを額に当てる。容赦なく頭に甦る度に強まる疑惑があった。あれは、本当に、何だったんだろうか。


「本当に初対面だったの?」

「それは絶対だと思います。それに、初対面ではなかったとしても、言われる心当たりなんてないですよ」


 考えれば考えるほど、心当たりがない。

 ソフィアが顎に手を当てる。


「それは相当ね。色んな意味で」

「人違いでしょうか?」

「名前は? 呼ばれたの?」

「……聞かれました?」

「私に聞かれても。え? 聞かれたの? 告白の前に?」

「告白って言わないでください。そう、だったと思います」


 なぜ自分が悩まなければならないのか。おまけにやけに恥ずかしい。思い出すとなんだか顔が熱くなってくるもので、冷静になるように意識しながら頭の隅の記憶をつつく。

 そこら辺は朧気な記憶は、きっと突拍子もない言葉によるものだろう。

 机に肘をついて、手で頭を支えたままで下を見るその目が遠くを見るようになっているのは、もう仕方がない。


「その人、どんな人だったの? 特徴は?」

「えーっと……髪が灰色でした」


 たぶん。なにしろあのとき、夕日の橙の光が強かったのだ。


「灰色の髪、ね。あとは?」

「眼帯をしていました」

「眼帯……?」


 そこで、ソフィアの眉が寄せられた。今まで端々に楽しげなものがちらついていたのだが、それが吹き飛んでいる。


「ソフィアさん?」

「灰色の髪に、眼帯……」


 加えて、アリアスが上げたその二つの特徴だけを呟いている。


「でも……そんなはずないわよね。あの方がそんなこと……」


 一人ごちることは続き、ソフィアは思考の中に沈んでいくようだった。

 アリアスは椅子に横向きに座り、そんな彼女に身体の正面を向ける。


「ソフィアさん、どうしました?」

「んーううん、何でも……。ねえ、アリアス」

「何ですか?」

「もしかして、もしかするとで、あり得ないのだけれど、もしかするとね、その人……」


 そのとき、涼やかな音が二人の間に響いた。

 アリアスの手首につけた腕輪が鳴ったのだ。鈴がついたもので、ひとりでに小刻みに震えている。リリン、リリンと二度ほど鳴ってそれは止まった。


「あ、師匠」


 アリアスは自らの手首を上げて、呟く。

 それは魔法を込めることによって、対の鈴が鳴るという仕組みのものだった。

 対の鈴を持っているのは師であるジオで、なぜこんなものがあるのかといえば、他のところへ手伝いに行っているアリアスに簡単に用事があると知らせることが出来るものなのだ。

 主に書類の配達関係で呼ばれる。そのため反対に言えば、これが一日鳴らないということはジオが仕事を怠けているということなのだ。

 それはそうと、今これが鳴った。


「すみませんソフィアさん、師匠のところへ行ってきます」

「いつも思うけど、それ中々よね」

「中々、ですか? でも結構いい考えだと思うんですよね。面倒なときもありますけど」

「そうでしょうね。それより早く行ってらっしゃい言っておいてあげるから」

「ありがとうございます」

「また手伝いに来てね」

「それはもちろんです。近い内にまた来ます」


 椅子から降り、手を振るソフィアに一礼してからアリアスはそっと部屋を出る。


「あれ?」


 そういえばソフィアは何かを言いかけていたな、と思い出すも廊下を歩き始めている。それに結局大した結論も出なかった。


「あー、本当、何なんだったんだろう……」






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