第5話 お使い



「師匠、起きてください」

「…………うん」

「うんじゃないですよ」


 城にあるジオの部屋。

 ノックしたものの、また返事がなかったのでアリアスは遠慮なく勝手に入ったところ、そこにはソファに背もたれの方に顔を向けて寝ている師がいた。つまりこちらには背中が向けられている。

 その姿自体は見えるのだが、前に片付けをしてから数日が経っていて床が本でほぼ埋まっていた。どうすればこれだけ散らかるのか、というくらいに。

 部屋の主が放っておけば別にそのままでもいい、という性格だからだろう。

 とにかく本を踏むわけにはいかないので、隙間をブーツの爪先だけで歩き、少しずつソファに向かう。その隙間がなければ本を拾っていって踏み場を作る。


「師匠、もう昼前です」

「うん」

「師匠」

「ん」

「師匠!」

「……起きる」


 離れたところから、声をかけること数度。

 やがてジオが渋々起きたときにも、アリアスはソファに辿り着いていなかった。その腕には拾った本がいっぱいにある。

 ソファに行くにつれて踏み場がないどころか、本と本が重なっているところが増えていったのだ。

 大方、あのソファで本を読んでいたのだろう。これだけ見事なまでに隙間なく積み重なっていっているのは、本棚からは魔法で本を取ってきたはいいが、読み終えたあとはそこらに置くばかりだったのだと想像が出来る。

 むくりと身体を起こし、ジオは身体を反転させてソファに腰かける。

 黒髪が一筋さらりと流れる。前髪が跳ねているのは、背もたれに押し付けていた結果か。目は開けられているものの、眠そうだ。右手で目をこすっている。

 部屋にいるときの大体の服装、しわが入ってしまってよれよれの白いシャツに黒いズボンだけの姿でだらりと背もたれにもたれかかっている様は、完全に寝起きである。


「おはようございます」

「ああ」


 そんな師を横目に、アリアスは挨拶しながらも本棚に腕にいっぱいの本を手慣れた手つきで突っ込んでいく。念のため、その手つきは丁寧だ。


「あ、本踏まないでください!」

「足場がない」

「散らかしたのは師匠でしょう」


 立ち上がったかと思えば、ソファの周りには一つとして足場がないのでジオが本を踏んでしまっている。

 何ということだ、まったく。また本を拾っているときにその光景を目の当たりにしたアリアスは内心呟く。

 普段はこっそり魔法を無駄に使うくせに、こういうときには使わない。手で拾ってもよさそうなものだが……どうやら紙と同じ認識であるらしい。救いなのは、靴ははいていないということか。

 手を止めてじとりと半目で見るとジオはジオでそれに気がついたか、足を一旦止める。そして自らの足元に目線を落とし、腰を屈めて本を手に取っていく。

 ゆっくりと、おそらく足場を作るためだけに。

 そうして仕事をする机のところまで行った彼が机の向こうから出てきたときには、その足には黒いブーツをはいていた。

 本を置いてごそごそしていたと思っていたが。そこから分かること、どうもそこで昨夜履き物を脱いだらしい。どうせなら隣の寝室まで行けばいいのにとは思うが、それさえ面倒であるようだ。

 ソファでは寝心地は悪くないのだろうか。それとも、寝室が本で埋まってしまっているのだろうか。一度確認させてもらう必要があるかもしれない。

 ブーツを履いた師が本を踏んでいないことを目で確認してから、アリアスは作業に戻る。


「アリアス」

「はい、何ですか」


 ゴッゴッ、と後ろから重い音が鳴っている中、呼ばれる。

 一応振り向くと、師がこちらに背を向けて本を同じように壁一面の本棚の内の一つに入れ込んでいる。

 異なるのは、そのときの乱暴さ。投げるように入れていっているので、本が奥にぶつかり重い音がしているのだ。確かにその手つきは正確ではあるがいかがなものか。

 それは、乱暴ではあるが雑なだけで、決して不機嫌なわけではない。ジオはあれでいて怒ったり不機嫌になることは稀だ。その代わりに子どものようになることは多々ある。本人にそういった自覚はないようだが、歳を考えるとどうなのだろうか。


「俺は、今日ここを片付けて今夜あっちに戻る」

「分かりました」


 それそうと、その言葉にアリアスは机を見る。そこにはここ数日を思い起こすと、随分と減った書類。これだけ散らかっているのに、やはりジオの仕事は早い。そもそものところ、いつもにやる気が無さすぎるのだ。

 まだ書類は残っているようだが、どうやらもう一つの部屋、『塔』の部屋に戻るようなので残った書類も本人がそう言うからには、片付くのだろう。それも今夜までに。


「あ、知らせておいた方がいいですか?」

「『館』の方には言っておいてくれ」

「分かりました」


 言っておけば、そこからジオに届く書類もその隣にある建物の塔に届けてくれるだろう。

 他からのものも、きっとその情報が回っていく。後から行く用事もあるだろうからそのときにでも伝えておけばいいか、とそのことを頭に置いて、アリアスはまた本を本棚に入れ始める。


「これから城が浮き足立ってくるからな」

「だからと言って城への移動に魔法を使わないでくださいね」

「ばれないだろう」

「そういう問題ですか」


 どうやら塔への移動発言には、『春の宴』の件が関係していたらしい。逃げられない代わりに、と言ってはなんだがこの時期に城の中からいなくなるのは、せめてもの逃亡だろうか。

 あまり変わりがないのでは、とアリアスは思う。

 結局は出席しなければならないし、それまでにも立場上城に行かなければならないだろう。

 でも確かに城の中心部は特に浮わつき、『館』もまた例外なく浮わつくが、塔は人が少ないので空気的には多少は変わるかもしれない。


「レルルカに宴に一枚噛まされそうになったからな……」


 一旦、ゴッというぶつかる音がなくなったときに呟かれた言葉。

 それはきっと逃亡防止の保険だろう、とアリアスは思った。





「アリアスちゃんご苦労様」

「はい」

「ところで、頼みたいことがあるんだけどいいかい?」

「何でしょう?」


 アリアスは引き受けた。

 場所は『館』。ジオの書類を届けにいったときのこと。何を引き受けたかというと、混ざって異なる場所に来てしまった書類の配達だ。

 本来書類が混ざるということは、まずあり得ない。他の場所へのものが混ざればその分遅れが生じ、また書類がない方が困るからだ。

 それが重要なものであろうとなかろうと、管理はきっちりされている。はずなのだが、やはりこればかりは仕方がないだろう。実際起こってしまっているのだし。


 アリアスが今、新たに手にしているのは魔法師騎士団への書類だ。騎士団には魔法師で構成されているものとそうでないものがある。その、魔法師で構成されている騎士団の書類が、『館』へ届いていたようだ。

 それを手にした彼らはとても困った顔をしていた。

 それというのも、城及び『館』に勤める魔法師たちと騎士団の魔法師たちは比べてみるとかなりタイプが異なるからだろうか。

 簡単に言えば、騎士団は武闘派なのである。攻撃防御に適した魔法の素質の他に、彼らは『普通の』騎士団と同じくして剣や馬を扱う。

 要は、魔法師の騎士団ではあるが普通の騎士団と同じくして腕っぷしの強い者たちが揃っている。もちろん例外はいる。騎士団にしても書類作業は免れられないからだ。

 それに対して、城や館にいる魔法師のほとんどは魔法は使えど文官肌の者が多いのだ。接点も普段はあまりないのに等しい者がほとんど。

 時間と人手がなかったところへアリアスが来ただけかもしれないけれど、こういったことが少しでも働いていることは間違いはない。

 それはさておき、どうせ一段落していたところなので軽く引き受けた。どうせあまり変わりがないから、と。とても申し訳なさそうにしていた彼らに二つ返事で。


「すみません、書類を届けに来たんですけど」

「はい、何」


 魔法師騎士団の執務関係の建物は、館からはちょっと異なる場所にある。

 数度だけ来たことのあるそこに慣れないながらにそっと足を踏み入れると、通路の先、紺色の軍服を着ている男性が一人。あちらに歩いていくその人を呼び止めると、振り向いた男性が訝しげにする。


「騎士団への書類のようなのですが、紛れ込んでいたようなので届けにきました」

「あーどれどれ」


 理由と用事を済ませるべく手に持っている封筒に入れられた、妙に丁寧なそれを渡す。首を傾げながらも大きな封筒を受け取った男性は紐を解いて、中身の紙を半分だけ出して見る。そうして数秒、納得の声を上げる。


「あーこれもしかして一昨日届くはずだったやつか。まいったな」


 ……もしかして、数日過ぎてから発覚してしまったからすごく困った顔をしていたのだろうか。目の前で出した書類を確認している男性を前にアリアスは表情が動かせない。


「君さ、これ演習場の方まで届けてくれる? ここから離れられなくってさ」

「あー、はい分かりました」


 背景を感じ取ったアリアスに断れるはずもなかった。






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