第3話 出会う





 夕方になると、アリアスは城の周りにある庭園の一つにいた。

 元々は異なる場所にある温室の方にいたのだが、そこでの手伝いを終えて歩いているところで、別の庭師に会ったのだ。


「『春の宴』の頃には満開になってるんだろうなぁ」


 庭に蕾をつけている花々がそういう風に計算されて、頃合いになるように育てられていることを知っている。

 アリアス自身は貴族ではなく、高位の魔法師どころか正式な魔法師でもないので、パーティーには参加することはない。

 けれども満開に咲く、色とりどりではありつつ、決して他の花と喧嘩しないように植えられた花たちを見ることが好きだった。

 去年はその時期に、パーティーから逃げる師について行き王都にさえいなかった。でも、その町の外れにあった野に咲く花もちょうど盛りで可愛いものだった。

 あと数週間後には満開になる花たちに、手に持ったじょうろで水をあげていく。盛りを数週間後に持ってくるために、まだまだ蕾の彼らが咲き誇るところが目に浮かぶ。


「師匠も普段真面目にしてたら少しは許されると思うんだけど……」


 師は王都にいるときには、あまり外に出たがらない。それは人が多いからだそうだ。

 彼曰く、「田舎の空気が合っている」らしい。本人が言うだけあって、王都の外へ出るとなればその行動力は倍になる。

 去年の『春の宴』の時期のことがそうだ。

 普段であれば、難易度の高い魔法、空間移動の魔法でこっそりと場所から場所へと瞬時に移動することがあるのにも関わらず、そのときはてきぱきと徒歩でやってのけたのだ。


 実はアリアスは王都にやって来るまではその魔法を見たことがなかった。十年以上前に放浪中の彼に拾われて共に国内を放浪していたときは、徒歩もしくは馬だったからだ。

 師の身分さえも詳しく知らなかった。

 そんなジオはあれでいて最高位の魔法師のはずなのだが、いかんせん『らしくない』。

 三日に一度は部屋の床の踏み場はなくなる。度々面倒くさがる。部屋の外に出たがらないが極めつきか。

 おまけに部屋の中に籠るにしても、仕事を真面目にしない。会議も時おりすっ飛ばす。

 あれがなければ、多少パーティーの最中に姿を眩まそうが目を瞑ってくれるかもしれないのに……。言ったら直るだろうか。


「直らないよね……」


 自分でも遠い目になっていることは分かりながら、どうすることも出来なかった。ここまであれでやって来ているのだ。自分が言ったところで直るはずもない。

 それより昼からあの部屋には戻っていないが、また寝ていないだろうか。

 渋々起き上がって、机についたところまでは見てきたのだけれど。塔の自分の部屋に戻る前に一度覗きに行った方がいいかもしれない。もしかしたら、書類が出来上がっているかもしれないし。


「よし」


 大きめのじょうろの中の水を、両手で支えて最後の一滴まで花の上にかける。そうして、満足したアリアスは空のじょうろを右手で持つ。あと二回ほど来ればいいかもしれない。

 庭の一つといっても十分に広い庭だ。こればっかりは水を入れたじょうろを何個か魔法で浮かせてしまえば良かったかもしれない、と思ってしまうのは頭から振り落とす。

 あと一踏ん張りだ、と被った帽子の位置を直す。わらで編まれたつばの広めの帽子は、庭師がアリアスに被せたものだった。陽の光がまぶしいから、と。

 少し大きめのそれを押さえてながら、彼女が庭から一度出て行こうと足を踏み出したとき――


 鐘の音がした。


 簡単な時刻を知らせる、城の敷地内にあるもので、城だけでなく街にまで響き渡るような音を出す。決して耳障りでない音が、アリアスのいる庭にも浸透する。

 鐘の音が降ってくる空を見上げると、沈みかけた陽によって赤に近い橙色に染まっていた。雲さえも。

 それにも関わらず、アリアスに、その周りに影が落ちる。一瞬だけ。

 もう一度。


「今、帰るところかぁ」


 その正体は、空を羽ばたく大きな生き物。竜だった。


――ここは竜と人が共存する国。


 空の遥か高くを飛んでおり、その身体の色は陽に染められてよくは見えない。

 今は数体だけ見える彼らは、きっとほとんどが茶色だろうか。一度だけ、近くで見たことがあるのだ。

 群れで飛んでいた鳥たちが、散り散りになる様子が見える。


 竜たちは、魔法師で構成される騎士団の竜たちだった。師からだったか、そんなに多くはないと聞いた。

 どういう仕組みか騎士団にいる竜は、数十年かに一度程度の頻度で、卵が『巣』に置いていかれるのだという。それを人が育てる。

 『巣』とは、騎士団の竜が毎日帰っていく場所で、とある山の岩場にあるとされている。

 詳しい場所は機密となり、知る者は少なく、知っていても容易には近づけないようになっているらしい。

 その姿も、城にいようとも、中々見る機会はない。

 加えて、竜と共存すると言っても、卵を置いていく元――つまりは『野生の竜』とは一切の関わりがない。

 卵が置いていかれるということはいるはずなのであるが、彼らの居場所こそ誰も知ることがなく、また、誰も姿を見たことがない。


「不思議」


 竜との共存は太古の昔からのことであると言われているが、子であるだろうに卵を置いていく竜の心境とは如何なるものか。なぜ置いていくのか。

 考えても、知る者はいない。

 知るのは、竜のみ。


 空を見上げていたアリアスは、途切れ途切れに続けられるその光景から目を前に戻す。見上げたときに止めていた足を動かし出す。もうすぐ日が暮れるのだ。のんびりしている暇はない。じょうろを持ち直し、今度こそ花たちに背を向けた矢先、


「まずい、間違えた」


 背を向けたばかりの背後から、草花が大きく揺れる音が。

 それから聞きなれない声が耳に入る。その音たちによって振り向くと――そこには、一人の男がいた。

 沈みかけた陽が横から射してさっきまでは気にならなかったのに、目に染みる気がした。左手で陽を遮って、目を凝らす。

 見えた下を向いている顔は、しかめられているように見える。

 髪は後頭部で一つに縛られているのか、後ろで揺れている。その色は正確には分からない。例外なく、陽の光が射していたのだ。

 そして、その上げられて真っ正面を向いた顔は整った部類であり、鋭い目が一つだけあった。

 男は左目に眼帯をしていた。それは顔の印象を損なうものではなく、むしろ彼の一部にさえ感じた。

 すらりと背も高く、均整の取れた身体つきと言える。そのためか、上は白いシャツにベスト下は黒いズボンだけというそれだけの姿なのにやけに様になって……


「え……」


 そこでアリアスはあることに気がついた。

 男は、まだ蕾だけの花の中に立っていた。そのせいで、足元は見えない。

 そこは問題ではない。

 さっきまではこの庭には誰もいなかったはず。けれども、背を向けた一瞬でその人物は現れた。どういうことか。

 だが今や、それも、問題ではない。


 そのとき、ふと男と目が合ったような気がした。気がした、というのもアリアスからは照らされた男の容貌が見えているが、アリアスの目のすぐ上までは帽子のつばがあり、さらには影が落ちているからだ。

 それはそうと、目の前の光景を認識したアリアスは手に持つじょうろの持ち手を強く握り締める。


「何てことしてくれたんですか……!」


 花を踏み潰した男に悲痛な声を上げた。





「…………」

「悪かった」

「いえ……」


 一分後、花たちの間から出てきた男とアリアスは向き合っていた。アリアスは顔を軽く伏せていたが。

 男の髪は灰色であることと、目の色もそれより少しは薄いものの灰色であることが判明した。

 背はアリアスよりも二、三十センチも高い。二十代前半ほどであろう男は、眉を僅かに下げて申し訳なさそうにしていた。それによって鋭いと感じた目付きが和らいでいる。

 どこから現れたかは分からないが、自分が現れた場所がまずかったとは自覚しているようだった。

 花は男が道に出てくるときにもかき分けられ、覗いてみると踏まれたであろう場所は無惨にも潰れていた。

 アリアスは帽子の影からそれをちらりと横目で見て、どうしたものかと考える。『春の宴』に合わせて育てられている花たち。それはもうすぐ咲き誇るはずだったのに……。


「……大丈夫なので、気にしないでください」

「大丈夫じゃねえだろ。何か出来ることあるなら手伝う」

「いえ、たぶん大丈夫、です」


 アリアスは真剣な顔つきで花たちに向き直る。それから、手に持っているじょうろを石畳に下ろす。一つだけ、考えがあったからだ。必死に回した頭の中には。

 見えるのは、一ヶ所だけ花の見当たらない場所。怪我を直す要領で出来るだろうか。魔法は生命力のようなものだ。それを注ぎ込むようにすれば……。

 アリアスは花の植わった地面に近づき、膝をつく。大きな帽子がずったのでついでに取って地面に置く。それから、手を地面にそっと触れさせる。

 お願い。

 身の内から手を通して地面に、魔法を潰れた花に向かって注いでいく。

 それはちょうど、水を入れたじょうろで花に水をやるようなイメージで。

 徐々に徐々に、慎重に注いでいくと一番下の茎から立ち直っていく。折れていた箇所が繋がる。最終的にはぴん、と立ち上がったことを目で確かめて手をそっと離す。注ぎすぎては駄目だから。

 花は開かぬ蕾のまま。所々力の加減がずれて、開き始めてしまったものもあるが……ぱっと見ると踏みつぶされる前となんら変わらない。


「良かった……」


 アリアスは足に力を入れて、立ち上がってそのことを確認する。今や踏み潰されていたことなど、感じさせないほどになっている、と。

 でも、だからといって元に戻ったわけではない。見た目では分からないが、それは丹精込めて庭師に育てて来られたものではない。けれども、このまま庭師にこの光景を見せてしまうのは何だか嫌だった。とても悲しむだろう。

 でも、どちらが良いことなのか。

 結果、目の前の光景にすることが勝ったので、心の中で庭師に平謝りする。すみません、と。


「これで、大丈夫です」


 そうしながらも、顔には口元に微かに笑みを浮かべて、アリアスは後ろを向く。

 そこには、花の中に現れた男がその目を見開いてこちらを見ていた。ああ、もしかして魔法師だとは思っていなかったのだろうか。

 じょうろを持っていたから、庭師だと思っていたのかもしれない。まあ庭師にも魔法師の人はいたりするのだが。


「え!?」


 と思っていると、その男はこちらに一歩大きく近づいてきた。

 しかしすぐに視界から消えた。否、片膝をついたためにそう思えたのだ。

 驚いたのは、当たり前であるが、他でもなくアリアスだ。

 何、今度は何が起こった。

 どうしてこの人は、突然うずくまってるのだ。いや、うずくまっているにしてはこちらに顔をしっかり向けている。そもそも、結局この人はどこから来たのだ。

 その灰色の目が下から真っ直ぐにこちらを射ぬいてくる。とてつもなく、居心地が悪い。と言うより、状況の意味が分からない。

 その人は、蹲っているのではなく、膝をついてアリアスを見上げていた。


「な、何ですか?」

「俺の名は、ゼロという」

「え、あ、はい……?」

「お前の、いやあなたの名前は?」


 今度は突如、おそらく名乗られた。おれは、ぜろ。オレハ、ゼロ……。俺はゼロ。

 ゼロ、それがこの男の名前であるらしい。

 そして今度はこちらに問い返される。

 それにいつの間にか手を取られている。気づかぬ内のその行動にぞわ、何とも言えない恐怖のようなものが湧いてくる。

 何だこの状況は。自分はどうすればいい。とりあえず、名乗られたのだから名乗り返すべきか。


「ええ……っと、アリアス、と言います……」

「アリアスか、アリアス」

「はい……?」

「好きだ、――結婚してくれ」


 アリアスは向けられた目と、しばしの間見つめ合うこととなった。ちらとも動かずに、こちらを見続ける灰色の色彩と。


「…………え?」


 男の声は確かに耳に届いていた。聞こえていた。聞いていた。けれども、どうもその内容が理解できない。

 スキダ、ケッコンシテクレ。


「………………え?」


 変換できる言葉はどうにかある。

 だが、それは今、この初対面のはずの人に言われることではない。

 アリアスは固まったまま、理解不能を示す、意味を為さない言葉を出すしかなかった。


「確かに急すぎるかもしれねえ。だが、」

「え、あ、あああのちょっ、ちょ待って待ってください……!」


 包むように、力がさほど込められていなかった手はするりと抜けた。しかし、そこには未だ微かな熱があるように思えた。

 アリアスは再び口を開いた男が今度は何を言うか、恐怖めいたものが働いて急いでその声を遮った。そのままでは終わらずに、男から目を離さないままにではあるが、じりじりと後ろに下がり始める。


「アリアス」

「す、みません……失礼します!!」


 知らない人にあんな風に呼ばれることが、こんなに形容しがたい感覚を及ぼすとは。

 アリアスはその口がもう一度開かれたそのとき、とうとうそのまま男に背を向けて走り去っていった。それこそ風のように。


 あとには、膝をついたままの男と置かれたままのじょうろ、それからそよ風に揺れる無傷の花の蕾たちが残された。






 自分でもこれだけ早く走れるとは思わなかった。

 気がつくと、師の部屋の前にいた。

 ここまで来た過程の記憶がないのは、それだけ夢中だったからだろうか。ドアの前にぼんやり立ったまま、じょうろを置いてきてしまったと思う。水やりも途中だ。

 そこで、灰色の髪と、眼帯をした男を思い出す。

 直後、ふるふると頭を振って振り払う。あれは夢だ。きっと夢だ。顔に手をあてて、暗示のように頭の中で呟く。

 十数分前まで見知らぬ者であった人ゆえに衝撃が強かった。顔も眼帯という特徴的なものがあったためか、見られていたからかは知らないが、やけに明確にその姿は頭の中にあった。

 色々な意味で、ありえないことが起きた。


「おい、どうして外にずっといる」

「――え、はい!? ……し、師匠……」


 声をかけられてびくりと肩を跳ねさせ顔を跳ね上げると、室内から顔を覗かせたジオがいた。自分の気配でも感じたのだろうか。


「どうした」

「……何でもないです」


 アリアスはひょいと出ているジオの顔を見つめていたが、師の問いにその一言を吐き出す。そういうことにしよう。何もなかった。

 何もなかった。

 首を傾げる師の横を通り、ため息を一つつきながら部屋の中に入る。

 全てをため息に押し込めて、流し出す。


「それより師匠、寝てませんでしたか?」

「……いや」

「寝癖ついてますよ」


 ジオの髪には大きく跳ねた箇所が一つあった。






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